・説教 詩篇119篇33-40節「ゴールを目指して」
2021.02.21
鴨下 直樹
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今朝は、予定されていた説教題を変えまして「ゴールを目指して」としました。何やら、サッカーでもしそうなタイトルですが、私たちの人生のゴールという意味で、ゴールとしました。
ジョン・バニヤンが書いた『天路歴程』という物語があります。読んだことのある方がおられるでしょうか。クリスチャンの信仰の歩みをテーマにした旅の物語です。この物語は、滅びの町に住んでいる背中に大きな荷物を背負ったクリスチャンという名前の主人公の物語です。ある時、クリスチャンが読み物を読んでいて、いずれこの世界は天から火が降って来て滅んでしまうと知り、どうしたら救われるのかと、救いを求めて旅をする物語です。途中、エバンジェリスト(福音宣教者)という名前の人と出会い、遠くに見える光のところに小さな門があるから、そこに向かって進むように教えられます。そして、その天の都の門にたどり着くまでの旅が記されているのですが、途中でさまざまな人達と出会い、何度も道を踏み外しては危険な道を歩んでいく、そんなクリスチャンの冒険物語です。教会の図書にもありますので、是非、読んでみてほしい一冊です。
今日の詩篇を読んでいますと、まさにこの天路歴程の物語を思い起こすような書き方がなされています。
33節と34節にこう記されています。
主よ あなたのおきての道を教えてください。
そうすれば 私はそれを終わりまで守ります。
私に悟らせてください。
私があなたのみおしえから目を離さず
心を尽くしてそれを守るために。
詩篇119篇は「道」という言葉がほとんどどの段落にも出てきます。ここでは「あなたのおきての道」という言葉が出てきます。その道はどこに続いているのか、祈り手は、その道を「終わりまで守ります」と言っています。「終わりまで」ということは、死に至る時までその道は続いているということです。自分の人生の歩みをかけて、その道を進んで行くというのです。なぜなら、その先にゴールがあると信じているからです。それが、天の都の門です。そして、そのゴールを目指して主が歩ませてくださる道が、自分の人生をかけて進んでゆくのにふさわしい道だと信じているのです。
その道を進むために「あなたのみおしえから目を離さず」とここで言っています。この道を進む先にあるゴールを目指して進んで行くのです。
そのゴールを目指して進むときに、目を離さずに、しっかりとゴールの方向、進むべき方向を見据えていることが大切です。
問題は、「目を離さず」とあるのですが、私たちはすぐに目を離してしまって、どこに向かって行くのかが分からなくなってしまうことです。
天路歴程の物語も、さまざまな登場人物が登場します。最初に出てくるのは、カタクナ氏と、イイカゲン氏です。その他にもヨワタリ氏、オキテマモル、カタチバカリ、コワガリ、シンジナイ氏など色々なユニークな名前の人物が登場してきます。こういう名前の人たちが、主人公のクリスチャンの進む道を邪魔していくのです。
私たちの人生の進む道もそうです。セケンテイ氏だとか、ミンナヤッテル氏だとか、リュウコウさんやら、フツウさんやら、さまざまな人が私たちに声をかけて、この進むべき主の道とは違う道を示そうとしてきます。そして、その都度、私たちはそういう言葉にも一理あると思いながら、遠回りを繰り返してしまうのです。
私に悟らせてください。
私があなたのみおしえから目を離さず
心を尽くしてそれを守るために。
とありますが、これは私たちにとって切実な祈りなのではないでしょうか。
今日の詩篇のところは、「へー」というヘブル語から始まるのですが、面白いことに、最後の40節以外のすべての節で、この「へー」という文字が入る単語から文章が始まっています。そして、そのすべての箇所はすべて命令形で記されています。
〇〇してください、〇〇し給えというのは、お願いですけれども、文法としては命令形になるわけです。悟らせてください。み教えから目を離さないで、心からその教えを守ることができますようにという祈りです。
この祈り手は主に願い求めながらどうしても、知りたいのです。主の道を歩むことが最善であると。それが分かれば、わきのものに目を奪われることはなくなるのです。 (続きを読む…)