2019 年 3 月 31 日

・説教 ローマ人への手紙8章14-16節「御霊に満たされ導かれて生きる」渡辺睦夫師

Filed under: 説教音声 — susumu @ 14:33

説教:「御霊に満たされ導かれて生きる」

2019.03.31

渡辺睦夫師

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2019 年 3 月 24 日

・説教 マルコの福音書12章35-37節「キリストって?」 

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 10:49

2019.03.24

鴨下 直樹

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 前回の聖書箇所の最後にこう書かれていました。34節の後半です。

それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

 ここに、主イエスと神殿側の指導者たちをはじめ、もろもろの人々との討論の終わりが記されています。みな主イエスの語る言葉に驚きながら、主イエスの言葉に耳を傾け、そしてみな納得したのです。主イエスの言葉の力を認めるしかなくなったのです。

 さて、それでどうなったのか。今度は主イエスの方から尋ねられる番です。主はこう切り出されました。「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。」

 「キリスト」とは何者なのか、「キリスト」は「ダビデの子」なのかという問いかけを主イエスの方からなさったのです。これは、いきなり問題の核心をついた質問だと言えると思います。

 今、私たちは受難節を迎えているわけですが、この受難節の問いは、このキリストとは何者なのかということに尽きると思います。というのは、主イエスが十字架刑を受けた時、自らキリストと偽証したという罪で殺されることになったからです。

 キリストというのは、固有名詞ではりません。人の名前ではありません。イエスが名前で、キリストが苗字というようなことでないわけです。そうではなくて、「キリスト」というのは称号です。キリストはギリシャ語ですが、旧約聖書のヘブル語では「メシヤ」と言います。メシヤというのは、油を注がれた人のことを指して言う言葉、称号です。そして、この油を注がれる人というのは、聖書の時代、王が選ばれるときに、油を注がれました。あるいはまた、祭司や預言者も、油を注がれます。神から特別な務めを与えられた者に油が注がれたわけです。

 けれども、いつしか、油注がれた者、メシヤと言うと、人々の中で真っ先に頭に浮かぶようになったのが、ダビデ王でした。ダビデはイスラエルを外的から守り、度重なるクーデターにも耐え、神の民の国としての安定をもたらせた王さまです。そして、次々に王が変わっていく中、神の御心を行わない王たちによってイスラエルは腐敗していきます。そして、ついにイスラエルは、南ユダと北イスラエルとに分裂してしまいます。それでも、神の民には悪い王ばかりが立ち続け、ついには外国に侵略されてしまいます。このころになると、神は預言者たちを立てて、もう一度油注がれた者、メシヤが与えられるとの約束を語らせました。そして、預言者を通して語られたこのメシヤによって、もう一度神の御心を行う国として立ち直ると聖書は約束を告げてきたのです。そうすると、自然に、人々は神が約束されたメシヤというのは、ダビデのような方に違いないという期待が膨らんでいきました。そして、イスラエルの人々はキリストが現れたら、きっと今のイスラエルを支配しているローマの手から私たちを救い出してくれるに違いないという幻を描いたのです。

 教会の歴史の中でも、さまざまなメシヤ、キリストのイメージが作り上げられてきました。キリストは教会の頭である。そんなイメージからいつのまにかキリストは教会の絶対的な権力者であるというイメージが生まれていきました。そして、中世の時代になると国の王よりも、王を任命するローマ教会の教皇、私たちが耳慣れた言葉でいうとローマ法王が絶対的な権力を持つようになりました。なぜ、こうなったのかというと、王様を任命するのは教皇の役目でしたので、教会が認めなければ王様にしてもらえなかったわけです。それで、ローマ教皇はこの世界のすべての権力を持つようになったのです。 (続きを読む…)

2019 年 3 月 23 日

イースターファミリー礼拝のご案内

Filed under: お知らせ,ファミリー礼拝(伝道礼拝) — susumu @ 20:58

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子どもと親のプログラム(4月のご案内)

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  • Mama’s cafe
    ...4月23日(火)朝10:00~12:00(第4火曜日です)
    参加費:300円…デザート&飲み物
     
    ノーバディーズパーフェクト(略NP)から生まれたママ達のおしゃべりサロンです。NP卒業したママや、こひつじクラブのママ、ハレルヤちびっこ、サタデージョイのママ達と、そのお友達にご案内しています!
     
    お申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
    または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。
    (お申し込みは23日頃までにお願いします)。
     
    ★託児はありませんが、ママの近くで乳幼児さんプレイスペースがあります!★

 

  • 子どもグッツや日頃の裁縫、素敵な作品なんでも!「マレーネ先生とてしごとの会」
    ...4月10日(毎月第2水曜日)朝9:30~12:00
    ※茶菓代100円

 

  • 未就園(0歳から)のお子さんと親のプログラム「こひつじクラブ」
    ...4月は休会です。(基本は毎月第2火曜日開催)朝10:30~13:00
    ※参加費:親子で200円(茶菓代/材料費)

 

  • 就園児(3歳から)と親のプログラム「ハレルヤちびっこ」
    ...4月13日(毎月第2土曜日)朝10:30~13:00
    ※参加費:親子一組で300円
    前日までに出欠をご連絡ください。

 

  • 小学生のためのプログラム「サタデージョイ」
    ...4月13日、20日、27日(毎週土曜日)朝10:00~11:30 参加無料
     
    ★毎回、家ではできない思い切った活動で、想像力がぐんぐん育っています!

現在少人数ですので、小学校で揉まれる子ども達にとっても心落ち着く居場所になっています。
世界のベストセラー、「聖書」の言葉を学んで、心の豊かさと、目には見えないけれど大切なことを考える心豊かな時間です。
 

  • ゲームナイト(4月は芥見キリスト教会1F交わり室にて開催!)
    ...4月27日(4月は変則的に第4土曜日です)夕18:00~ 参加費:200円(軽食付き)
    ★ドイツのボードやカードゲーム

 
お問い合わせ・申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。

2019 年 3 月 17 日

・説教 マルコの福音書12章28-34節「一番大切なもの」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 12:44

2019.03.17

鴨下 直樹

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 みなさんにとって、「一番大切なものってなんですか?」と質問されたらなんと答えられるでしょうか。ちょっといろいろ考えてから答える必要がある質問です。

 私の場合、今すぐに直感的に出てくるのは「こども」という答えです。でも、こう答えた後で、いや、それだと牧師らしくないと考えて「信仰」と答えたくなる衝動が出てきます。でも、もう少し丁寧に考えればもっと上手に答えられるのではないかと、少し冷静になって考えてみると、もっと大きな意味を込めて「いのち」と答えることもできるかなとか色々考えます。人によっては、ケータイの中に自分のすべてが詰まっているという人もあるかもしれませんし、やはり家族がなによりも大切と答えたくなるかもしれません。

 少し質問を変えて、「いちばん大切にしていることは何ですか?」と質問するとどうなるでしょうか。「もの」から「こと」に替わるだけでずいぶん違った答えになるはずです。「一番大切にしていること」と聞いて、すぐに出てくるのは、どの分野での質問だろうということです。「牧師として一番大切にしていること」というのと、「説教するときに一番大切にしていること」ではおのずと答えが変わってきます。

 実は、この説教題のつけ方はだいぶまずかったなと反省しています。タイトル自体が抽象的すぎるのです。教会の前を通りかかると、次の説教の題が一週間掲示されているわけですが、自分で何度も目を通しながら、これを近所の人が目にしてどんなことを想像するんだろうかとあれこれと考えるわけです。そして、きっと「人生において一番大切なものって何かな」と考えてくれるのではないかと思うことにしました。そう考えるのが妥当だと思えるからです。

 けれども、そう考えて聖書を読んでみますと、「すべての中で、どれが第一の戒めですか」と書かれています。ここで、ちょっと困ってしまうわけです。「人生の中で一番大切なもの」と、「戒めの中で第一にするべき戒め」というのとは、少しというか、かなりニュアンスが違ってくるわけです。

 私たちは毎日生活するなかで、それほど多くの戒めに縛られて生きてはいないと思います。けれども、いろんな考え方はあります。「人に親切にしよう」とか「ちゃんと挨拶をする」とか、あるいは、「電話は10回以内で出る」とか、「待ち合わせは5分前に着くようにする」とか、人によって、いろいろと大事にしていることがあると思うわけです。なかでも、多くの人のかなり上位にランクインする考え方として「人に迷惑をかけないようにする」というのがあると思います。この考え方は、いろいろなものを含んでいます。たとえば、「電話を10回以内で出る」というのも、「待ち合わせは5分前に着くようにする」も、「人に迷惑をかけないようにする」ということの中に含まれます。ですから、より包括的な考え方というのが大事になってくるわけです。 (続きを読む…)

2019 年 3 月 8 日

今月の礼拝予定(2019年3月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 16:43

3月3日 降誕後第10主日

主日主題: 生ける神
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書12章18-27節
説教:「生きておられる神と共に」鴨下直樹牧師
子ども: 鴨下愛

午後:役員会

3月10日 受難節第1主日

主日主題: 戒め
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: コリント二 4章6-7,16-18節
説教:「土の器と宝」鴨下直樹牧師

午後:宣教ネットワーク合同役員会@芥見

3月17日 受難節第2主日

主日主題: キリスト
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書12章28-34節
説教:「一番大切なもの」鴨下直樹牧師
子ども: 鴨下愛

午後:手話講座

3月24日 受難節第3主日

主日主題:
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書12章35-37節
説教:「キリストって?」鴨下直樹牧師
子ども: 鴨下愛

3月31日 受難節第4主日

主日主題: 霊性
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ローマ人への手紙8章14-16節
説教:「御霊に満たされ導かれて生きる」渡辺睦夫師

午後:聖歌隊練習

子どもと親のプログラム(3月のご案内)

Filed under: 子どもと親のプログラム,教会の活動 — susumu @ 16:30


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  • Mama’s cafe
    ...3月26日(火)朝10:00~12:00(第4火曜日です)
    参加費:300円…デザート&飲み物
     
    ノーバディーズパーフェクト(略NP)から生まれたママ達のおしゃべりサロンです。NP卒業したママや、こひつじクラブのママ、ハレルヤちびっこ、サタデージョイのママ達と、そのお友達にご案内しています!
     
    お申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
    または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。
    (お申し込みは23日頃までにお願いします)。
     
    ★託児はありませんが、ママの近くで乳幼児さんプレイスペースがあります!★

 

  • 子どもグッツや日頃の裁縫、素敵な作品なんでも!「マレーネ先生とてしごとの会」
    ...3月13日(毎月第2水曜日)朝9:30~12:00
    ※茶菓代100円

 

  • 未就園(0歳から)のお子さんと親のプログラム「こひつじクラブ」
    ...3月は休会です。(基本は毎月第2火曜日開催)朝10:30~13:00
    ※参加費:200円(茶菓代/材料費)

 

  • 就園児(3歳から)と親のプログラム「ハレルヤちびっこ」
    ...3月9日(毎月第2土曜日)朝10:30~13:00
    ※参加費:親子一組で300円
    前日までに出欠をご連絡ください。

 

  • 小学生のためのプログラム「サタデージョイ」
    ...3月9日、16日、23日(毎週土曜日)朝10:00~11:30 参加無料
     
    ★毎回、家ではできない思い切った活動で、想像力がぐんぐん育っています!

現在少人数ですので、小学校で揉まれる子ども達にとっても心落ち着く居場所になっています。
世界のベストセラー、「聖書」の言葉を学んで、心の豊かさと、目には見えないけれど大切なことを考える心豊かな時間です。
 

  • ゲームナイト(芥見7丁目・宣教師館にて)
    ...3月16日(毎月第3土曜日)夕18:00~ 参加費:200円(軽食付き)
    ★ドイツのボードやカードゲーム

 
お問い合わせ・申込みは教会まで 電話 ♪058-243-5798
または⇒こちらのフォームからメッセージを送信してください。

2019 年 3 月 3 日

・説教 マルコの福音書12章18-27節「生きておられる神と共に」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 19:49

2019.03.03

鴨下 直樹

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 今日のテーマは「復活」です。先日、妻とさきほど話した聖書の話しのことでこんな話が出ました。「復活」という言葉は子どもに分かりにくいのではないかと思って、「よみがえり」という言葉に言い換えようとしていたのです。ところが、最近の子どもは「よみがえり」という言葉よりも「復活」という言葉の方が、なじみが深いということに気づいたのです。子どもの遊びでもゲームでも、「復活」という言葉がなじみになるほどによく使われるというのは、考えてみればとても興味深い気がします。けれども、その場合よく考えてみると、「元の状態にもどる」という意味がそこには込められていることに気がつきます。そして、私たちはひょっとすると、聖書が語っている「復活」も、そのように考えているのかもしれないということに、改めて気づかされるわけです。

 今日の聖書の箇所は、また新しい主イエスの敵が登場してきます。よくもまあ、毎回手を替え品を替えしながら、色々な人々が出てくるものだと感心したくなります。今日新たに出てくるのは「サドカイ人」です。サドカイ人というのは使徒の働きに何回か出てきますが、復活を信じない人たちです。それ以外の詳しいことはあまり書かれていないのですが、このサドカイ人たちは、モーセの記した五書といわれる律法の書をとても重んじていました。そして、そのモーセ五書には復活のことは書かれていないわけです。それで、19節にあるように申命記に書かれている律法を読み上げました。これは「レビラート婚」と言われる戒めで、夫が亡くなった場合、その妻は兄弟に嫁ぐことによって財産を守るという考え方があったわけです。ルツ記に出てくるルツはこの戒めに従ってボアズと結婚をしています。

 19節にこう書かれています。

もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を残さなければならない。

 現代の私たちには少し理解しにくい結婚観ですが、日本でも少し前まではこういう考え方はありました。サドカイ人はこの聖書の箇所を復活がないことの証拠の箇所としてこの申命記に書かれている戒めを引用しているわけです。つまり、これはどういうことかというと、モーセの律法は、永遠のいのちということに関心があるというよりも、この世での生活に関心があることを示しているではないかということになるわけです。

 そして、続いて20節以下のところでは七人の兄弟がいて、その兄弟が次々に死んでしまった場合、その長男の妻は復活の際誰の妻となるのかという質問を投げかけます。

 サドカイ人は復活を信じていない人たちです。もし復活があるならこの妻は誰の妻となるのか。ちょっと考えてみてもそんなことはあり得ないのは明らかではないかと言おうとしているわけです。

 このサドカイ人の問いかけは一見相手をバカにしている不真面目な質問のように映ります。けれども私たちもサドカイ人と同じような考え方を持っている気がします。

 国語辞典を調べますと復活という言葉の意味は一番目の意味としては「死んだ者がいきかえること、よみがえり」となっていて、二番目に「元の状態に戻すこと」となっています。そのためでしょうか。私たちは復活ということを考える時に「元の状態にもどること」ということがどうしても頭から離れないでいます。

 そのためでしょうか、復活の後、つまり死んだあとでクリスチャンはよみがえるのだとすると、それは元の状態になることだと、つい考えてしまうことがあるのだと思います。死んでしまったペットと天国で一緒に暮らす。家族もまた天で同じように家族として暮らす。あるいは仲良し家族の場合も、天ではみんな近くに住んで一緒に暮らせるというような夢を持つこともあるわけです。

 けれども、よく考えてみるとそのように、絵にかいたような幸せそうな家族像がそこにはあるのかもしれないのですが、いろんな家族の形がありますから単純にきっとこうなるというような思い込みはよく考える必要があるのかもしれません。 (続きを読む…)

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