2016 年 4 月 30 日

子どもと親のプログラム(5月のご案内)

  • Mama’s cafe
    ...5月24日(火)朝10:00~12:00
    (毎月第4火曜日、参加費:300円…デザート&飲み物)
  • こひつじクラブ (乳幼児と親)
    ...5月10日(火)朝10:30~12:00
    (毎月第2火曜日、参加費:親子で200円)
  • ハレルヤちびっこ (3歳以上~就学前の子どもと親)
    ...5月14日(土)朝10:30~12:00
    (毎月第2土曜日、参加費:親子で200円)
  • サタデージョイ(小学生)
    ...5月14日、21日、28日(土)朝10:00~11:30 参加無料
  • 中高生のクラブ 芥見JC
    ...5月21日(土)夕 18:00
    (毎月第3土曜日、参加費:200円…夕食付)

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2016 年 4 月 24 日

・説教 ヨハネの福音書21章1-14節「153匹の魚と共に」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 13:15

 

2016.04.24

鴨下 直樹

 
 今からちょうど10日前の4月14日、木曜の夜から発生した熊本地震のために今、多くの人々が避難所での生活を強いられています。震度5以上の地震はすでに14回を数えます。今でも9万人を超える人々が避難していますが、これから被害が増える可能性も否定はできません。毎日何度も鳴り響く地震警報のアラート音。次にどのくらいの地震がくるのかも分からないわけですから、その恐怖たるやはかり知れません。私の幼馴染みも金曜からこちらを出まして、この週末にできるかぎり色々な物資を運びたいと熊本に向かいました。連日テレビにくぎ付けになってこの地震の被害の大きさについて考えさせられています。そこでいつもわたし自身考えさせられるのは人のいのちの重さについてです。

 今、私は名古屋にあります東海聖書神学塾で聖書解釈学という授業を教えています。その最初に加藤常昭先生の書かれた「聖書の読み方」という本を一緒に読みます。この本は今からもう50年以上も前に書かれたものですけれども、今なお読み継がれるべき内容の本だと思っています。この本の第1章で、聖書の読み方について書いているのですけれども、その最後のところで、自分のいのちの重みを知ることが聖書を読むことなのだということを書いておられます。つまり、聖書を読むということは、キリストを知ることです。聖書を読んでいくうちに分かってくるのは、この聖書が記しているキリストというお方は、私たちのために自分のいのちを捨ててくださった。そのことが分かるようになると、わたしのいのちの重さは、キリストのいのちの重さと同じなのだということを知ることになるのだと、加藤先生は書いておられるのです。

 マタイの福音書の16章25節と26節にこういう言葉があります。主イエスが弟子たちに語りかけられた言葉です。

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

 私が牧師になったばかりの頃のことですが、江南市の教会の牧師として赴任したばかりのころに、東京で一つの葬儀がありました。ちょうど引き継ぎ期間だったということもあって、前任の明田勝利先生が葬儀を行いました。私はほとんどカバン持ちのようにしてついていったのですけれども、その葬儀会場で明田先生が説教をしました。正確にではありませんが、こんな内容の説教でした。
「人のいのちは全世界よりも尊いと言います。私たちはこの世界に生きていながら、一人のいのちの重さはかけがえのないものであるということを知っています。家族であればなおさらです。しかし、そのいのちが失われてしまった時に、それほどにかけがえない価値のあるいのちに対して、私たちは何をすることもできません。しかし、神の御子主イエス・キリストはまさに、この全世界よりも尊いいのちそのものとして私たちに与えられました。この全世界よりも尊いいのちであるイエス・キリストのいのちをもってしか、私たちはこの私たちの尊いいのちを支えることできないと信じているのです。」

 私は、牧師になったばかりでしたけれども、私はキリスト教の葬儀というのはこうやってやるのだということを知りました。この説教にとても感動し、また、自分が牧師であることに誇りを持ちました。私たちの主イエス・キリストは、わたしたちのいのちを尊んでくださる。人のいのちの重さを知っておられるお方です。今、熊本で起こっている大きな災害を通して失われたいのちもまた、主イエスは軽んじてはおられません。だからこそ、私たちもまたこのために祈るのです。 (続きを読む…)

2016 年 4 月 19 日

熊本地震 被災者支援募金のお願い

Filed under: お知らせ — susumu @ 06:57

芥見キリスト教会では、4月14日から16日にかけて発生した熊本地震で被害に遭われた方を支援するため、募金活動を始めました。
募金は「日本国際飢餓対策機構」を通じて送金します。

日本国際飢餓対策機構のインターネット募金のリンクから、直接送金頂いても結構です。クレジットカード、コンビニ支払いも可能です。

祈りをあわせましょう。

2016 年 4 月 10 日

・説教 ヨハネの福音書20章24-31節「疑いの人トマスの信仰」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 17:05

 

2016.04.10

鴨下 直樹

 
 ヨハネの福音書の説教をはじめまして二年半がたちました。そして、今日、ようやくこの聖書の箇所にたどり着きました。といいいますのは、私は聖書の中の人物で、もっとも心惹かれるのがこのトマスです。この箇所を読むたびに、私は心から、このトマスがいてくれて良かったと思うのです。
トマスというのは、これまでのヨハネの福音書の中で出て来ましたけれども、率直にものを言う人です。今日のところでもそうですけれども、他の弟子たちはよみがえりの主イエスと出会った。しかし、トマスはその場に居合わせませんでした。25節にはこう書かれています。

それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た。』と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。

 よみがえりの主と出会った弟子たちが集まっているところ、それは、もう教会と言ってもいいでしょう。言ってみればできたばかりの教会の中で、「私は決して信じない」という言葉を口にしたのが、主イエスのお選びになられた十二人の弟子たちの中にいたのです。他の弟子たちからしてみれば約三年間、同じ釜の飯を食べてきた信仰の仲間、主イエスの弟子です。その自分たちの言うことが信じられないと言われてしまうのですから心中穏やかではなかったのではないかと想像するのです。けれども、ここに教会の姿があるのだとも思います。

 先週、洗礼入会式を行いました。その前からその方々と信仰入門クラスという学びの時を持っています。今のところ、私は洗礼を受ける人たちのすべての学びをしてきました。信仰の学びをしませんか、聖書のまなびをしませんかと言って、はじめのうちは色々な聖書の疑問について尋ねます。はじめは多くの方がそうですけれども、聖書の色々な言葉に戸惑います。色々な質問が出て来ます。みなさん、同じように「はい、信じます」という具合にはいきません。学びをし、礼拝にお集いになられて、また、持つようになった疑問を投げかけられます。そういう姿は、この最初の時から今に至るまで続いているのです。私はここに、素直に信じられないで、頑として首を縦に振ろうとしなかったトマスがいてくれて本当にありがたいと思うのです。それは、牧師としてそう思うというこころもありますけれども、何よりも、わたし自身の姿がここにあると思うのです。 (続きを読む…)

2016 年 4 月 3 日

・説教 ヨハネの福音書20章19-23節「新しく生きる者とされて」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 11:55

 

2016.04.03

鴨下 直樹

 
 今日は、説教に先立ちまして、二人の方々の洗礼入会式がとり行われました。洗礼をすでに受けられた方にとっては、洗礼式というのは、洗礼を受けられる方への喜びを感じる時であると同時に、自分の洗礼の時の想いを新たにする時でもあると思います。今日の説教題を「新しく生きる者とされて」としました。

 復活節の第二番目の主の日には名前がつけられていまして「クアジ・モド・ゲニティ」といいます。新しく生まれると書いて日本語では「新生」という日です。まさに、この日に、二人の方が洗礼を受けられて新しく生きる者とされたことを嬉しく思います。洗礼式というのは、まさに、この水の中で古い自分は死んで、新しく生きる者とされたことを明らかにする時です。

 先週、教団の学生キャンプが行われました。そこには50名を超える若い学生の方々が参加していまして、私はとても嬉しい気持ちになりました。教団全体で、「次世代への献身」という課題をもってこの五年間を歩んでいきたいと思っているところで、多くの学生たちがキャンプに参加しているのをみて、嬉しい気持ちでいるのです。そこで、私は最終日に「礼拝」についてメッセージしてほしいということでした。以前、私は教団の学生会担当の牧師でしたので、学生たちといつも向き合ってきましたけれども、教団の学生キャンプに参加したのは、12年ぶりです。ドイツに行くときに学生会の働きを終えて以来でした。いつも、芥見の教会では学生たちに話していますけれども、普段関係を持っていない学生たちに説教をして言葉が届くのか、少し自信がなかったのです。けれども、とても学生たちが喜んで説教を聞いてくれて嬉しく思いました。テーマは「礼拝」です。中学生、高校生の時に、それまでは、親に連れられて何となく教会に行っているわけですけれども、少しづつ大人に近づいていくにつれて、親の信仰ではなくて、自分の信仰の歩みということをどうしても考えるようになります。そこで、実にたくさんの学生たちが礼拝の喜びを見出せなくて、教会から離れてしまうということが起こってしまうわけです。

 私はそこで、「礼拝」というのは何のためにあるのかということについて、まず話をしました。というよりも、人間は礼拝をするために生きているのだということを語りました。人間として生きるということは、礼拝をするということと同じです。礼拝をしないということは、人間をやめるということです。いくつかのキーワードを上げて説教をしたのですが、礼拝という言葉にはいくつかの言葉がありますけれども、その中のひとつに「ラトレイア」というギリシャ語があります。ローマ書12章1節に書かれている「礼拝する」と訳されている言葉です。この言葉はとても面白い言葉で、「ラオス」、「民」という言葉と「エルゴン」、「仕事」という言葉の合成語です。つまり、礼拝というのは、民の仕事、奉仕であるというわけです。神の民は礼拝をするのが仕事なのです。けれども、私たちが安息日に礼拝をするために、神はそれに先だって六日間かかってこの世界をお造りになられて、すべてを備えてくださいました。人間は何も働かないで、最初にしたのが安息日を迎えるということだったのです。神は、私たちがこの世界で生きる前にすべてのものを創造して、整えてくださって、そうして、人間は礼拝をすることによって、人間の業をはじめたのです。 (続きを読む…)

2016 年 4 月 1 日

今月の礼拝予定(2016年4月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:00

4月3日 復活節第二主日

主日主題: 新生<クアジ・モド・ゲニティ>
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書20章19-23節
説教:「イースターの朝に」 鴨下直樹牧師
洗礼式
聖餐式

午後:受洗お祝い愛餐会、役員会

4月10日 復活節第三主日

主日主題: 慈しみ<ミゼリコルディアス・ドミニ>
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書19章28-37節
説教:「疑いの人トマスの信仰」 鴨下直樹牧師

午後:聖歌隊練習はお休み、納骨式

4月17日 復活節第三主日

主日主題: 喜べ<ユビラーテ>
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヘブル人への手紙11章8-16節
説教:「さらにすぐれた故郷」 古川秀昭長老

午後:礼拝準備会、礼拝予定確認会

4月24日 復活節第四主日

主日主題: 歌え<カンターテ>
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヨハネの福音書21章1-14節
説教:「再び主とお会いして」 鴨下直樹牧師

午後:女性会、役員研修会(於:可児キリスト教会)

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