・説教 ヨハネの福音書21章1-14節「153匹の魚と共に」
2016.04.24
鴨下 直樹
今からちょうど10日前の4月14日、木曜の夜から発生した熊本地震のために今、多くの人々が避難所での生活を強いられています。震度5以上の地震はすでに14回を数えます。今でも9万人を超える人々が避難していますが、これから被害が増える可能性も否定はできません。毎日何度も鳴り響く地震警報のアラート音。次にどのくらいの地震がくるのかも分からないわけですから、その恐怖たるやはかり知れません。私の幼馴染みも金曜からこちらを出まして、この週末にできるかぎり色々な物資を運びたいと熊本に向かいました。連日テレビにくぎ付けになってこの地震の被害の大きさについて考えさせられています。そこでいつもわたし自身考えさせられるのは人のいのちの重さについてです。
今、私は名古屋にあります東海聖書神学塾で聖書解釈学という授業を教えています。その最初に加藤常昭先生の書かれた「聖書の読み方」という本を一緒に読みます。この本は今からもう50年以上も前に書かれたものですけれども、今なお読み継がれるべき内容の本だと思っています。この本の第1章で、聖書の読み方について書いているのですけれども、その最後のところで、自分のいのちの重みを知ることが聖書を読むことなのだということを書いておられます。つまり、聖書を読むということは、キリストを知ることです。聖書を読んでいくうちに分かってくるのは、この聖書が記しているキリストというお方は、私たちのために自分のいのちを捨ててくださった。そのことが分かるようになると、わたしのいのちの重さは、キリストのいのちの重さと同じなのだということを知ることになるのだと、加藤先生は書いておられるのです。
マタイの福音書の16章25節と26節にこういう言葉があります。主イエスが弟子たちに語りかけられた言葉です。
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
私が牧師になったばかりの頃のことですが、江南市の教会の牧師として赴任したばかりのころに、東京で一つの葬儀がありました。ちょうど引き継ぎ期間だったということもあって、前任の明田勝利先生が葬儀を行いました。私はほとんどカバン持ちのようにしてついていったのですけれども、その葬儀会場で明田先生が説教をしました。正確にではありませんが、こんな内容の説教でした。
「人のいのちは全世界よりも尊いと言います。私たちはこの世界に生きていながら、一人のいのちの重さはかけがえのないものであるということを知っています。家族であればなおさらです。しかし、そのいのちが失われてしまった時に、それほどにかけがえない価値のあるいのちに対して、私たちは何をすることもできません。しかし、神の御子主イエス・キリストはまさに、この全世界よりも尊いいのちそのものとして私たちに与えられました。この全世界よりも尊いいのちであるイエス・キリストのいのちをもってしか、私たちはこの私たちの尊いいのちを支えることできないと信じているのです。」
私は、牧師になったばかりでしたけれども、私はキリスト教の葬儀というのはこうやってやるのだということを知りました。この説教にとても感動し、また、自分が牧師であることに誇りを持ちました。私たちの主イエス・キリストは、わたしたちのいのちを尊んでくださる。人のいのちの重さを知っておられるお方です。今、熊本で起こっている大きな災害を通して失われたいのちもまた、主イエスは軽んじてはおられません。だからこそ、私たちもまたこのために祈るのです。
今日の箇所はヨハネの福音書の第21章です。実は、前回30節と31節も読んだのですが、まったく触れずに説教を終えてしまいました。実は、この20章の30節、31節でヨハネの福音書は終わっていると考えることができるわけです。そういう意味で、この前のところは、ヨハネの福音書の結びの言葉です。けれども、21章もとても大切なことがしるされています。大切なことは、今現存するヨハネの福音書の写本のすべてが21章を含んでいますので、21章はあとで付け足されたのだと簡単に結論付けることはできません。色々と憶測することは可能ですけれども、はっきりしたことはこの21章にも私たちが聴き続けなければならない大切なみ言葉が記されているという事実です。
特に、この21章1節から14節までの箇所は弟子たちと主イエスが再会されたところです。いつも子どもが寝る前に絵本を読んでやるのですが、時々娘が、このお話の続きが気になってしかたがなくなって、続きのはなしをしてくれと頼んでくることがあります。そうすると私は、私の豊かな想像力を込めて壮大な物語をつくりまして、娘に話して聞かせます。時折あまりにも素敵な話ができますので、録音でもとっておいて、この出版社につぎのアイデアとして送ったらきっと売れる本になるのではないかなどと思うことが度々あります。自画自賛で申し訳ないのですが。けれども残念なことに、録音しておりませんし、次の日には私も忘れていますので、それは叶いそうにありません。
さて、ヨハネの福音書は20章でいちど筆をおきながら、いやまて、まだこういう話があったとその後の出来事を知らせてくれているのです。それは、復活の主と出会った弟子たちの後日談です。2節には七人の弟子たちの名前があげられています。ペテロ、トマス、ナタナエル、ゼベダイの兄弟であるヤコブとヨハネ、そしてそれ以外に二人、計七人です。ペテロの次にトマスの名前が出てくるあたりからも、その後トマスが弟子たちと一緒に行動を共にするようになった姿が見て取れます。復活の主とお会いしながらも、ペテロは「漁に行く」と主の弟子になる前に漁師であった仕事にもう一度戻ろうとしているのです。これまで一緒にいた弟子たちもなんとなく去りがたかったのでしょうか。ペテロと一緒に船に乗り込みます。ところが、その夜は何も獲れません。
こんな時、人は何を考えるのでしょう。主と共に約三年間歩んできました。そして、主イエスは十字架にかけられてしまいます。復活の主とお会いしますが、その後は現れてくれません。どうしていいか分からずに、手持無沙汰で、何か仕事でもしていないと落ち着かないとでもいうのでしょうか。今後の人生に見通しがたたず、漠然とした不安感を抱えていたのかもしれません。この弟子たちの姿に、私たちの姿が重なります。
すると、夜が明けそめた時、主イエスは岸辺に立たれて、一晩漁をして何も獲れず、疲れて果て、無力を感じていたであろう弟子たちに声をかけます。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」
私は、この時の主の呼びかけは弟子たちにとって忘れることのできない体験になったのではなかったかと想像するのです。たとえば13章の33節でも主イエスは弟子たちに「子どもたちよ」と呼びかけておられるのですが、この時の言葉とは違う言葉が使われているのです。13章は主イエスが弟子たちの足を洗われて、ユダが裏切るために去って行った直後に語りかけられました。その時は、「小さな子たち」というような言葉なのです。あるいは、復活の主とマリヤが出会った時には、主イエスはマリヤに「わたしにすがりついてはいけません」と言われました。20章17節です。そのように、これまでは主イエスはどことなく距離をとっておられたのですが、復活の後、ここでは自分の子どもとしての家族的な親しみの言葉を使われて「子どもたちよ」と声をかけられているのです。まるで、お腹を空かしている子どもに対して母親が語り掛けるかのような言葉なのです。
「はい。ありません。」と弟子たちは答えました。そこには何とも言えないひもじさと言ったらいいでしょうか、何もかもうまくいかなくなっている弟子たちの姿がこの言葉にあらわれています。すると、主イエスは言われます。6節です。
舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。
舟の左側は獲れなくて、右側なら獲れるなどということはありそうもないことです。子どもの頃から、この箇所を読むたびにもう少しがんばったらなんとかなったんじゃないかという想像を働かせるのですが、そういうことではないのでしょう。まさに、ここに主の業が記されているのです。そして、弟子たちは主の言われるようにすると、「おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」とあります。不思議な出来事が起こったのです。
ダンクマル・ホッテンバッハという宣教師が私たちの教団で長い間宣教師として働いてこられました。「伝道者の魂」と言ってもいいくらいの人です。この同盟福音の宣教の歴史とともに語られるべき宣教師です。とてもユーモアがあって、いつも人を楽しい気持ちにさせてくれる人で、また説教もとてもうまい宣教師でした。アレゴリカルな説教という言葉が一番ぴったりくるのですが、「アレゴリカル」というのはアレゴリー、象徴のことですが、説教の中に、いつも、様々なたとえ話、色々なアレゴリーが登場します。有名な説教がいくつもあります。私は同じ教会であったことはないのですが、神学生の時に、この先生が開拓をしておられた名古屋の天白教会で夏休みの留守番を二年間したことがあります。ドイツの宣教師は日本の暑さが耐えられないために、軽井沢に行って休むのです。まだクーラーなどというものがない時代の頃からのことです。夏に3週間ほど教会を留守にする間に、神学生にその期間伝道させるのです。
その名古屋の天白教会にいきますと、教会の壁に一枚の大きなタペストリーがありました。今もあるかどうか分かりませんが、153匹の魚が舟の網に捕えられているものです。この天白教会はバッハ先生によって開拓されたのですが、会堂に椅子が153並ぶように設計されています。それは、この時に弟子たちが153匹の魚を取ることができたように、この教会にも153人の人々が一緒に礼拝することができるようになるのだというビジョンをかかげて、教会堂を建て上げられたのです。いつも、何かあるとその説教をしておりました。この会堂の献堂式の時になされた説教でも、なぜ153の座席をビジョンとしたか、そのもう一つの理由として、教会の隣に大きな国道153号線が走っているのもまさに神の御心なのだと説教してみなを大いに笑わせました。たぶん、本人はかなり真剣に考えていたのだとおもいます。
何年か前にドイツのベルリンの教会を訪ねた時にも、同じことを言っている牧師がいまして、やはり会堂に153匹の魚のレリーフが壁の至るとこに張り付けられていまして、私は、ドイツ人はこういうことをするのが好きなのかな、などと思ったものです。日本の教会ではこういうアレゴリカルな聖書の読み方をまじめに取り上げて教会を造っているという話は聞いたことがありません。でも、私は、このヨハネの福音書を読んでいる時に、牧師として教会にそのようなビジョンが与えられていると読む姿にはとても心惹かれます。
おそらく、教会の長い歴史の中ではこの時に153匹の魚が獲れたことを、主イエスが弟子たちに与えられた比喩だと理解してきた人たちは何人もあっただろうと思うのです。弟子たちにしてみればとても忘れられない経験です。
というのは、この後、教会は自らのシンボルとして魚を使いました。というのは、「イエス・キリストは神の御子、救い主」という言葉の頭文字をならべると、「イクトゥース」、「魚」という言葉になったのです。それで、教会の人々は迫害の中で、魚のマークを秘密のシンボルとして使っていました。たとえば、それはロシア正教などにある「イコン」と言われる聖画がありますが、去年私たちの教会で講演会をしていただきましたけれども、名古屋の中京大学の学長をしておられる安村先生は、それこそ、バッハ先生が伝道をされたこの天白教会の方ですけれども、ロシア正教やイコンの研究家でもあります。その安村先生によると、イコンに描かれている顔、たとえばマリヤでも赤子のイエスでもいいのですけれどもじっと見ていると、一つの発見をするんだそうです。それは、顔の真ん中に描かれた鼻を見ているとどれも魚の形をしていることに気づく。そこから、ああ、イエス・キリストは神の御子、救い主なのだということを思い起こすことができるようになっているのだそうです。実際にイコンを見てみると、たしかにどの鼻も魚の形に描かれていることに気づきます。そのように、教会は長い歴史の中で、この魚をシンボルにしながら、教会を建て上げて来たのだそうです。
弟子たちは、自分自身を持て余していたと思います。復活の主とお会いしながら、これから先が見えないでいました。もう一度これまでの仕事に戻るべきなのだろうか。弟子たちと一緒にいるべきなのだろうか。そういう中で、主は弟子たちに声をかけてくださいました。そして、その弟子たちのために大量の魚をすなどる喜びを味わわせてくださいました。そして、その弟子たちに食べ物を備えてくださる。こうして主が備えてくださった食卓で、パンと魚を口にした時に、弟子たちは何を思ったでしょう。目の前には大量の魚、153匹の魚がいます。この153匹の魚と共に色々なことを考えたのだろうと思うのです。ひょっとするとかつて五つのパンと二匹の魚で、何千人もの人たちとともに糧を得たことを思い出したかもしれません。主の最後の食卓を思い起こした者もいたでしょう。そして、主の十字架と復活を改めて確信したことでしょう。そうして、このお方の中に、自分自身の人生がすべて抱かれていることを改めて確信したのではなかったかと思うのです。もはや疑問の余地のないほどに、自分のいのちはこのキリストのうちにあることを確信したのだと思うのです。153匹の魚のいのちが主の御手の中にあるように、自分のいのちもまた主の御手のうちにあることを弟子たちは確信したに違いないのです。
主イエスを知ることは、自分自身を知ることと結びついています。主イエスにあって、弟子たちはこれからも153匹の魚を求めて、沢山の神の子どもたちをすなどる喜びを覚えていくことになるのです。この主イエスによって与えられた自分のいのちを、この主のためにつかっていくことの中に、弟子たちは自分の人生の充足を感じることができるようにされるのです。こうして、弟子たちは夜が明けそめていく中で、新しい自分のいのちが始まりつつあることをしっかりと受け止めたに違いないのです。
お祈りをいたします。