2024 年 4 月 28 日

・説教 ルカの福音書12章13-21節「喜びの備え」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:18

〈歌え〉
2024.4.28

鴨下直樹

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 約1か月ぶりに芥見教会の皆さんと、こうして顔を合わせて礼拝できることを、本当に嬉しく思います。前回はオンラインでの礼拝説教でしたので、今日はこうして皆さんを身近に感じながら礼拝できることは喜びです。

 4月になりまして、笠松教会との兼牧が始まりました。単純に関わる人の数が倍になりました。やることは増えましたが、私自身とても楽しく過ごさせていただいています。笠松教会にも多くの信仰の友がいて、その一人一人のお話を聞くことは、とても嬉しいことです。

 笠松教会にOさんという今年102歳になられるお婆さんが来ておられます。毎回私と顔を合わせると、顔をくしゃくしゃにして、手を握りながら「昔、オシメを換えていた、あの赤ちゃんがこんなに立派になって嬉しい」と喜んでくださいます。私が笠松教会にいたのは2歳までですので、そのころの記憶は私にはありません。けれども、これまで何度も何度もOさんとお会いしてきました。もう耳が悪くてあまり聞こえていないようなのですが、それでも喜んで礼拝に集っておられます。芥見でもそうですけれども、笠松でも教会の方々が、一人一人を訪問して車で乗せて来てくれるのです。中には何人もの体調のすぐれない方がおられるのですが、皆さん嬉しそうに教会に集っておられます。そういう皆さんのお姿を見ていると、それぞれの存在が、お互いに大きな支えになっているのかと思うのです。

 前回の説教は3週間前でしたので、前回のことを少し思い出してみたいと思います。前回、主イエスはパリサイ人や律法学者の偽善を見抜かれて、1羽の雀や抜け落ちる髪の毛の話をなさりながら「神があなたのことを心配してくださる」と語ってくださいました。見せかけの信仰に生きるのではなくて、神と共に歩むことのできる幸いをお語りになられたのです。

 すると、その様子を見ていた大勢の群衆の1人が、主イエスとは素晴らしいお方だと感じ、この方なら分かっていただけるのではないかと思って、主イエスに相談を持ちかけました。13節です。

「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」

 この相談をした人は、主イエスが絶対に自分の味方になってくださるに違いないという確信を持っていたのだと思います。ところが、主イエスから返ってきたのは、この人の思ってもみない返答でした。

「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」

14節です。

 主イエスの返事を聞いて、この人は失敗したと感じたのだと思います。見極めが甘かったのです。この人は主イエスが話をしておられるのを聴きながら、このお方なら、自分に対して遺産を分けてくれない兄弟から、遺産を取り返すことがおできになるに違いないと思いました。どうしてかというと、パリサイ人や律法学者のような立場のある、それこそ自分の正当性を主張する人であっても、その心の中に秘めた貪欲を曝け出すことが、おできになる方だと思ったからです。ところが、自分の味方になってくれると当たりをつけた人物は、自分の味方になってはくれないことが、ここで明らかになったのです。 (続きを読む…)

2024 年 4 月 21 日

・説教 マルコの福音書1章9-13節「私の愛する子」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 09:16

〈全地よ喜べ〉
2024.4.21

内山光生

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(本日はYouTube動画はありません)


序論

 私たちの家族が住んでいる借家において、私は2階の部屋を書斎にしてメッセージの準備をしています。窓の外には木の枝が風に揺さぶられている姿が見えます。また、鳥たちの鳴き声がまるでBGMのように響いています。とても恵まれた環境で聖書と向き合うことができることに感謝をいたします。昨日の子ども食堂も大勢の方が来られたことを感謝いたします。

I バプテスマを受けた主イエス(9節)

 9節から見ていきます。

 イエス・キリストが公に活動を始められる少し前に、バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。悔い改めのバプテスマとは、人々が自分の罪を告白し、神様に心を向けること、それらの「あかし」として水によるバプテスマを授けてもらうこと、そういう意味がありました。

 バプテスマのヨハネの噂は、ユダヤ地方だけでなく多くの地域に広がっていきました。それでガリラヤ地方の田舎町、ナザレという村に住んでいたイエス様もわざわざヨハネの元にやってきたのです。

 マルコの福音書では、この時の詳しい様子が省略されています。一方、マタイによると、ヨハネがイエス様にバプテスマを授けるのをためらった事が記されています。ヨハネは「どうしてこんな私がイエス様にバプテスマを授ける資格があるのだろうか?」と疑問に思ったのです。

 ある人々は、そもそもイエス様は神の子であって何一つ罪のないお方ではないか。罪がないのに「悔い改める必要」はないのではないか。と考えるかもしれません。確かに、その通りです。イエス様は私たちのように悔い改める必要はないのです。

 けれども、マルコの福音書は、単純に、この時起こった出来事を記すにとどまっていて、私たちの心に浮かぶ疑問に対して沈黙をしています。そしてそれがマルコの福音書の特徴なのです。だから、書かれていないことに目を向けるのではなく、はっきりと記されていることに目を向けていけばよいのです。ただマタイによると、イエス様がヨハネからバプテスマを受けられたのは、正しいことなんだと記されています。つまりイエス様は、私たち人間に対して、模範を示してくださったのです。イエス様は罪なきお方でした。しかしながら、ヨハネからバプテスマを受けられたことによって、私たち人間に対して、悔い改めて心を神様に向けることの大切さを示して下さったのです。

 まだ洗礼(バプテスマ)を受けていない方々に伝えたいことがあります。それは、イエス様を救い主として受け入れているならば、そして、洗礼を受けたいという気持ちがはっきりと出てきたならば、ぜひ、早めに洗礼を受ける決心をして頂きたいのです。それが神のみこころであって、神に喜ばれる正しい事だからです。 (続きを読む…)

2024 年 4 月 14 日

・説教 マルコの福音書1章1-8節「力のある方が来られる」

Filed under: YouTube動画,内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 00:06

〈主の慈しみ〉
2024.4.14

内山光生

序論

 皆さん、おはようございます。

 4月から芥見教会で奉仕させて頂いております内山光生です。

 私たち家族は諸事情によって昨年の9月頃から芥見教会の礼拝に集っております。そして私たちが芥見に集い始めてすでに半年以上経ちましたので、ようやく人々の顔と名前が分かるようになってきました。まだまだお話しした事のない方が大勢おられますが、皆様と少しずつ交わりを深めていけたらと願っています。

 短く、自己紹介をいたします。

 私は1972年生まれです。年齢は今は51才。今年の11月で52才になります。生まれは三重県の桑名市多度町で、両親共にクリスチャンです。幼い頃から教会学校や礼拝に集っていて、小学5年の頃にイエス様が救い主だということを知識としてではなく、心の底から信じることができるようになりました。そして、中学1年の夏に洗礼を受ける恵みにあずかりました。しかしながら、中学時代や高校時代は、あまりぱっとしない信仰生活を送っていました。今思うと、学校での悩みや受験の悩みなどで、神様に心を向ける余裕がなかったのでしょう。

 その後、大学受験で失敗し、2年間の浪人生活を送りました。その試練を通して、私は神様の存在をより強く感じるようになり、大学1年の冬に、献身の思いが与えられました。祈りと導きの中で、5年間、会社員として働きました。そして29才の時に神学校に入学し、33才の時から牧師として奉仕をしています。

 家族は妻と息子です。それでは聖書を順番に見ていきます。

I 表題(1節) ~はじめ~

 1節を見ていきます。

 ここには、イエス様がどういうお方なのかが示されています。そして、イエス様は神の子であって、キリストだということが分かってきます。そこで、「イエス・キリストの福音のはじめ」と表現されていますが、福音とは、どういう意味でしょうか。

 私たちはしばしば福音とは「良い知らせ」という意味だと受け止めます。厳密には、「福音」は元々は別の意味だったのですが、聖書の中に出てくる「福音」は「良い知らせ」という意味でよいかと思います。 (続きを読む…)

2024 年 4 月 7 日

・説教 ルカの福音書12章8-12節「神が知っていてくださる」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:39

〈新生〉
2024.4.7

鴨下直樹

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(本日はYouTube動画はありません)


 今日は、私自身がコロナになってしまったために、このようなオンライン越しで説教することになってしまったことを申し訳なく思います。お聞き苦しいところがあるかもしれません。ご了承ください。

 さて、今日の聖書の中にはとても気になる言葉が記されています。10節にこういう言葉があります。

聖霊を冒瀆する者は赦されません。

 聖書の中に赦されない罪があると書かれているわけですから、どうしたって気になるのではないでしょうか?ここで、主イエスはいったい何を語りかけようとしておられるのでしょうか。

 先週のイースター礼拝ではこの前の1節から8節までの箇所を取り上げました。その時にもお伝えしたのは、主イエスのこの時の話は1節から12節まで一まとまりの文章で語っておられますから、内容としては1節から12節までを一つの内容と考えた方が、よく理解できると思います。

 前回の復習も兼ねて少しお話ししますと、冒頭の1節から8節までで、まず主イエスはパリサイ人の偽善に気をつけなさいと語り出されました。そして、神は小さなことをも見ておられるお方だから、人に見られていないから大丈夫と思って行動するのではなく、神の御前で誠実に生きるようにとお話しなさいました。主は、自分は無価値な存在だと思っているような人であっても、その人をとても大切に思ってくださるお方であることが、語られていました。

そこまでが、前回の内容でした。そして今日の続きの箇所、8節と9節にはこのように書かれています。

あなたがたに言います。だれでも人々の前でわたしを認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。

 一瞬、突然違うテーマの話になったのではないか?と思えるほどテーマが変わった印象を持ちます。けれども、主イエスがお話になられた意図としては、ここからが大事なところになるわけです。

 神様にとっては、パリサイ人のような目立つ存在が大切なのではなく、一羽の雀のような、たとえ小さな者であったとしても、自分に自信がないような者であったとしても、そんなあなた方が大切なのだと主イエスは伝えました。そして、今日の箇所です。そのようなあなた方、弟子たちが人々の前で、私たちは主イエスの弟子なのだと宣言することが大事なのだと言っておられるのです。

 この時、主イエスと弟子たちの周りには大群衆が押し寄せてきていました。そんな中で、主イエスは、群衆に向かってではなく、弟子たちに向かって話しかけられます。大事なのはあなたがた弟子たちが、わたしのことを、主イエスのことを認めているかどうかが鍵なのだと、このところで言っておられるのです。 (続きを読む…)

2024 年 4 月 1 日

今月の礼拝予定(2024年4月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 11:32

4月7日 復活節第2主日「乳飲み子のように」

主日主題: 聖霊
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書: ルカの福音書12章8-12節
説教:「神が知っていてくださる」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、役員会

4月14日 復活節第3主日「主の慈しみ」

主日主題: 福音
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「種まきのたとえ」河合和世
聖書: マルコの福音書1章1-8節
説教:「力ある方が来られる」内山光生牧師

礼拝後:聖歌隊練習、礼拝準備会/月間予定確認会

4月21日 復活節第4主日「全地よ喜べ」

主日主題: 試み
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「良いサマリヤ人」宮崎恵美子
聖書: マルコの福音書1章9-13節
説教:「私の愛する子」内山光生牧師

礼拝後:韓国語クラス活動報告

4月28日 復活節第5主日「歌え」

主日主題: 喜び
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「なくした金貨」鴨下愛
聖書: ルカの福音書12章13-21節
説教:「喜びの備え」鴨下直樹牧師

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