2018 年 3 月 31 日

今月の礼拝予定(2018年4月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 16:23

4月1日 復活祭・イースター

主日主題:イースター
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: ルカの福音書 24章1-12節
説教:「イースターの朝」 鴨下直樹牧師
子ども:「復活したイエス様」 鴨下愛

午後:役員会

4月8日 復活節第二主日

主日主題:
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: ローマ人への手紙10章9-11節
説教:「主を信じる信仰」 鴨下直樹牧師
洗礼式
聖餐式

午後:受洗お祝い愛餐会

4月15日 復活後第三主日

主日主題: 証し
公同礼拝: 午前10時30分
聖書:
説教:山田長老
子ども:ダニエル① 河合和世

午後:礼拝準備会/月間予定確認、手話講座

4月22日 復活後第四主日

主日主題: 避難
伝道(ファミリー)礼拝: 午前10時30分
聖書: 申命記4章32-40節
説教:「避難と訓練」 鴨下直樹牧師
子ども:「エジプトからの避難」 鴨下愛

午後:避難訓練、役員研修会(於:可児教会)

4月29日 復活後第五主日

主日主題:
合同礼拝: 午前10時30分
聖書:
説教:ワイゲル師
子ども:ダニエル② 鴨下愛

午後:聖歌隊練習 14時~

2018 年 3 月 30 日

・受難日礼拝説教 ルカの福音書23章44-49節「いのちを委ねる」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 22:09

2018.03.30

鴨下 直樹

 今日は、受難日。主イエスが十字架につけられたことを覚える日です。そして、主イエスの生涯の頂点とも言えるものなのです。主イエスの人生の頂点、それは主イエスが十字架につけられて殺されるという出来事なのだということは、とても不思議です。

 主イエスが死ぬ時、全地が暗くなったということがここに記されています。日蝕がおこったのではないかとか、砂嵐のせいで暗くなったのではないかとか、色々な説明がありますが、どれも確かなものではありません。ただ、旧約聖書の中には、神のさばきの時に暗闇がおとずれることが色々な箇所で書かれています。ただ、私たちは「神のさばき」という言葉を聞くと、罰される立場で考えてしまいますから、恐怖感しか感じられません。けれども、神のさばきというのは、神の愛がみえるようになるということです。

 たとえば、親が子どもを叱るときのことを考えてくださるとよく分かると思います。怒られる子どもの立場からすれば、親が怒り出すと震え上がるほど怖いのかもしれません。けれども、それは同時に子どものことを愛している親の思いが、そこには込められているわけです。もちろん、人間の親は完全ではありませんから、嫌なことがあってつい子どもに当たってしまうというようなこともあると思います。けれども、この世を愛しておられる神は、八つ当たりのような怒りを人に示しめされることはありません。「神のさばき」というのは、ただ、ひたすらに人を愛してくださっていることがここで示されることになるのです。

 それで、45節で

太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。

とあります。普通に聖書を読んでいるとあまり意味が分からないのでつい読み飛ばしてしまうところですが、この言葉はとても大切な意味が秘められています。神殿というのは、一番奥に至聖所という部屋があります。その部屋を隔てているのが幕です。そして、この幕の内側には大祭司しか入ることが出来ません。 (続きを読む…)

2018 年 3 月 25 日

・説教 マルコの福音書6章45-56節「嵐の夜に」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 13:49

2018.03.25

鴨下 直樹

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 今日の箇所も、奇跡をあつかう出来事が記されています。奇跡というのは「しるし」という言い方をすることがあります。私は以前、神学生の頃に地質調査のアルバイトをしたことがあります。地質調査というのは、家を建てる前に、その家の地盤の強度を調べるわけです。そうやって、地盤の強度が足りないとセメントと土を混ぜる地盤改良という工事をしたり、あるいは杭を打ち込む杭打ち工事をすることになるわけです。そういう仕事はまた別の人たちがするわけですが、時々、この地盤改良の工事の現場監督に行かされることがありました。アルバイトが現場監督なんてやっていいのかと思いましたが、行ってみるとその時はそれほど難しい仕事ではありませんでした。

 ショベルカーなどの重機が入るわけですが、現場監督の仕事は、その重機が土を掘る時に、掘ってはいけない場所、たとえば下にガス管があるとか、水道管が埋まっている場所を図面で調べて、赤色のスプレー缶で地面にバツ印のしるしをつけていくわけです。そうすると、重機に乗っている人は、ここは掘ってはいけない場所というのを「しるし」を見て分かるわけです。

 なんで、こんな話をしているかというと、「しるし」というのは、「しるし」自体にはそれほど意味はなくて、その「しるし」の指しているものが大事だということなのです。つまり、奇跡そのものに意味があるのではなくて、その奇跡は何を表しているかということの方が大事だということです。

 それで、今日の聖書を見てみたいと思うのですが、今日の聖書は、こういう言葉から始まっています。

それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ・・・

と記されています。

 今日の、キーワードはこの「強いて」という言葉です。新改訳2017では、「無理やり」となっています。この「強いて」とか「無理やり」というのは、本人は望んでいないことを強制的にさせたということです。この箇所を、地図を見ながら読んでみると、見えて来ることがあります。それは「ベツサイダに行かせ」とありますが、ベツサイダはガリラヤ湖の10時の方向にある町です。ところが、最後に着いたのは「ゲネサレ」の地です。このゲネサレというのは3時の方向にある町ですから、湖の正反対にあるわけです。

 つまり、ベツサイダに向かわなければならなかったから、舟は向かい風で進めなかったわけで、風に流されて行けば、ゲネサレには簡単に着けたわけです。そういうことが分かると、この「強いて」という言葉の中身が分かってくるわけです。向かい風なのに、その方向に行かなければならないように主イエスは弟子たちに命令したわけです。 (続きを読む…)

2018 年 3 月 18 日

・説教 ルカの福音書23章33-43節「十字架の意味」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 16:34

2018.03.18

鴨下 直樹

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 今日は、ファミリー礼拝ということで多くのご家族の方々が子どもと一緒に礼拝に集ってきておられて嬉しく思っています。今、教会の暦ではレントという主イエスの十字架の来住を偲ぶ季節を迎えています。そして、4月1日にはイースター、主の復活をお祝いする日を迎えるわけです。

 今日は、「十字架の意味」という題で少しの間お話をしたいと思っています。教会には十字架がかけられています。私たちの教会も、三角錐のかたちをしている建物ですが、その頂点のところに十字架が掲げられています。今でこそ、十字架はアクセサリーになっていたりすることもあって、あまりネガティブな印象がなくなっていますが。もともとは死刑の方法です。

 先日のニュースで、何年も前に大きな社会問題になったある宗教団体のリーダーたちが、刑の執行のために場所を移されたということが報道されていました。人が処刑にされるという話は、あまり嬉しい知らせではありません。けれども、教会では主イエスの処刑の出来事をこうして教会で語り、主イエスの十字架の死とは、一体何だったのかということについて語りつづけているわけです。それは、私たちにとって、この世界の人々にとって、とても大きな意味をもつ出来事であったことを語りつづけているのです。

 特に今日、先ほど司式者の方が読んでくださったルカの福音書の出来事は、三本の十字架の出来事です。主イエスの他に、二人の犯罪人が十字架にはりつけにされていたことが記されています。

 特に、この34節に十字架の上で主イエスが祈った祈りが記されています。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

主イエスがそのように祈ったということがここで記されています。

 新しい聖書翻訳の2017年訳をお持ちの方は注のところに少し詳しい説明が書いてあります。そこには「多くの有力な写本にはこの部分を欠いている」と書かれています。今日は、ここでこのことを詳しく説明する時間はありませんが、おそらくこの祈りの言葉はもともとはなかったのではないかと、今は考えられているわけです。けれども、これまでの聖書にはこの言葉は記されてきました。確かな伝承としてこの祈りは記録されているので、この祈りを鉤かっこで括ったり、削除しないで、このまま残されているのです。それは、それだけ、この主イエスの祈りが大きな意味をもつことを認めているからです。 (続きを読む…)

2018 年 3 月 11 日

・説教 マルコの福音書6章33-40節「見るべきところ」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 16:37

2018.03.11

鴨下 直樹

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 今日、私たちに与えられている聖書の箇所は五つのパンと二匹の魚で男の人だけで五千人の人々がお腹いっぱいになったというところです。五千人の給食などと言われるところで、聖書の四つの福音書のすべてに書かれている出来事です。どの福音書にも書かれているということは、それだけこの出来事が人々の心を捉えたということでしょう。

 聖書にはたくさんの奇跡の出来事が記されています。けれども、聖書の描く奇跡というのは、主イエスがこんなにすごいことができるということを強調するために記されてはいません。これまでの奇跡の記述も、奇跡は起こったが分かったのは癒された当の本人か、弟子たちだけに限られていました。けれども、ここでは一度に五千人以上の人たちがこの出来事を目の当たりにしたのです。ところが、このマルコの福音書は、この出来事の記述を後半に描きながら、とても簡潔な報告でまとめています。むしろ、他にテーマがあると言っているかのようです。

 マルコの福音書はここで派遣された十二弟子たちが戻って来て、それぞれの伝道の結果を報告するところから記しています。そして、31節にこう記されています。

そこで、イエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。

 今週の火曜日のことです。この教会で教団役員会を行いました。朝9時から始まりまして、昼食に1時間休憩がありますが、夜の9時すぎまで話し合いをしました。その日、ある方が電話をしてくださっていたのですが、結局折り返しの電話をできたのは夜10時過ぎてからです。芥見が会場だったので、私はすぐに家に帰れるわけですが、他の先生方は家に着くのは12時近くです。みなさんでも、働いておられる方は、残業で夜遅くになってようやく家に帰り着く方も少なくないと思います。そういう時に、この箇所を読みますと、少し慰められる気がするのではないでしょうか。

「さあ、あなたがたで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」この主イエスの言葉を聞くだけでも、ああ、この方は分かってくださっているなぁという気になるわけです。主イエスはここで働いてきた弟子たちを労わってくださろうとしておられます。他の誰でもない、主が私のことを気にかけてくださっているのかと考えるだけで、充分という気持ちになるのかもしれません。しかしこの出来事は、これがすべてのきっかけとなっています。つづいて、こう書かれています。 (続きを読む…)

2018 年 3 月 4 日

・説教 マルコの福音書6章14-29節「神の言葉の確かさ」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 12:39

2018.03.04

鴨下 直樹

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 今日のところには色々な人の名前がでてまいります。ヘロデ、そして、ヘロデの妻ヘロデヤ、そして踊りを踊ったヘロデヤの娘、バプテスマのヨハネ。出て来る四人に共通しているのは、ここに出てくる人たちの不幸がここで語られているということです。誰一人として喜んでいる人はいないのです。この箇所は初めから終わりまで重たい空気が漂っています。

 ヘロデ王がここで登場します。聖書の中には色々なヘロデが出て来ますので少し整理してみたいと思います。ここで「ヘロデ王」と書かれていますけれども、正確には王ではなくて、日本で言うと知事のような立場で、その地方の領主です。正式の名前はヘロデ・アンティパスと言います。ベツレヘムで嬰児虐殺をしたのは彼の父、ヘロデ大王です。ヘロデ・アンティパスの息子ヘロデ・アグリッパは使徒の働き12章でキリスト教会に迫害を加える人となる。罪にまみれた家族と言ってもいいわけです。親子三代にわたって聖書に登場しながら、このヘロデ一族がしたのは「神のことばを抹殺しようとした」と言っていいと思います。

 バプテスマのヨハネはヘロデに悔い改めを語りました。というのは、ヘロデは自分の兄弟であるピリポの妻をとりあげて、自分の妻としていたのです。姦淫の罪を公然と行い、自分の権力で周りの声を押し殺して来たのです。けれども、バプテスマのヨハネは恐れることなく、誤りは神の前に認められないのだと悔い改めを求めたのです。ヨハネはヘロデの権力を恐れませんでした。そして、自分の語るべきことをしっかりと語ったのです。

 今日の箇所の前のところでは、主イエスが弟子たちを遣わしたということが書かれていました。主イエスの弟子たちが語るのも悔い改めです。神の思いに逆らって、自分を正当化して生きることは間違っているのだということを語るよう、主イエスに遣わされたのです。そして、ここでは、まさに主イエスの弟子たちからしてみれば先輩であるヨハネは、そのために殺されることになったということが書かれているわけです。そして、今日のところでは、そのようにして主イエスが働き始めた時に、主イエスの働きはまるでバプテスマのヨハネのようであるという噂がたったということが記されているのです。 (続きを読む…)

2018 年 3 月 1 日

今月の礼拝予定(2018年3月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 08:41

3月4日 受難節第3主日

主日主題:神の言葉
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書6章14-29節
説教:「神の言葉の確かさ」 鴨下直樹牧師
子ども:「あなたの敵を愛しなさい」 鴨下愛
聖餐式

午後:役員会、聖歌隊練習(礼拝後)

3月11日 受難節第4主日

主日主題: 5つのパンと2匹の魚
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書6章30-44節
説教:「見るべきところ」 鴨下直樹牧師
子ども:「エルサレム入城」 河合和世

午後:誕生月の祈り、聖歌隊練習(礼拝後)

3月18日 受難節第5主日

主日主題: 救い
伝道(ファミリー)礼拝: 午前10時30分
聖書: ルカの福音書23章33-43節
説教:「死と天国」 鴨下直樹牧師
子ども:特別プログラム 鴨下愛

午後:ファミリー礼拝後愛餐会、聖歌隊練習(礼拝後)

3月25日 受難節第6主日

主日主題: 恐れからの自由
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書6章45-56節
説教:「嵐の夜に」 鴨下直樹牧師
子ども:「十字架のイエスさま」 鴨下愛

午後:女性会、聖歌隊練習(礼拝後)、3月総会(於:岩倉教会)

3月30日(金)受難日

主題: 十字架
聖餐式礼拝: 午後7時
聖書: ルカの福音書23章44-49節
説教:「いのちを委ねる」 鴨下直樹牧師

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