2020.02.09
鴨下 直樹
前回の17章でアブラハムは99歳、妻のサラは89歳。この時に主なる神はアブラハムに、来年の今ごろサラから子どもが生まれると語られました。今日の箇所はその続きと言いますか、今度はアブラハムだけでなくサラにもこの知らせが伝えられたことが書かれています。
この頃、アブラハムたちはマムレの樫の木のふもとで暮らしています。ここに住み始めてもう長いこと時間がたっています。ロトと別れた時から、聖書で言えば13章の時から、アブラハムはこのマムレの樫の木のところで生活しています。このマムレというのは14章でアブラハムがエラムの王ケドルラオメルの連合軍と戦った時に、アブラハムと盟約を結んでいた人物で、一緒に戦って勝利を得ています。つまり、アブラハムは神から土地を与えられる約束をいただいていても、なおも、マムレの所有する土地を間借りするような状態で、ここまで過ごしていたということです。
アブラハムにとってマムレの樫の木のふもとはもう住み慣れた地です。そこで落ち着いた生活をしていたところで、3人の旅人が日の暑い時間帯に、アブラハムの天幕のそばを通りかかったのです。
この三人の旅人は主なる神ご自身でした。「主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた」と1節に書かれています。これは、主がわざわざアブラハムに会われるために、出向いて行かれたということです。17章と内容が同じですから、創世記では時々そのような書き方になりますが、アブラハムに語られた出来事と、サラにも語られたというように書き方を分けて書いているのかもしれません。それは、あのクリスマスの出来事の時と同じように、マリヤに御使いが受胎告知されただけでなくて、夫のヨセフにも語りかけられたことと似ています。
主はアブラハムに寄り添われて、その信仰を導かれるように、ここではサラに対しても同じように、サラの信仰をも導いてくださるお方なのです。
しかし、もちろん、アブラハムは主がわざわざ自分に会うためにこられていることは知らなかったはずです。アブラハムは、普段からこのように旅人を持てなしていたのか、あるいは、この旅人からただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、はっきりしたことは書かれておりませんから分かりませんけれども、精一杯のおもてなしをいたします。
今年、オリンピックがあります。その時に「お・も・て・な・し」という言葉が日本の心を表す言葉として紹介されていましたが、アブラハムのおもてなしは、おもてなし文化のあるという私たちの予想を超えるおもてなしです。
少し余談ですけれども、日本に毎年ドイツから一年の短期宣教師たちがもう何十年も前から来ていますけれども、彼らに聞くと日本で家に招かれたことがないと口をそろえて言います。そんなことを考えると、私たちは「おもてなし」という文化を持っていると言えるのかどうか、怪しい気がしています。人を自分の家に迎えるという気持ちよりも、掃除がめんどくさいとか、きっと他の人がやるからいいとか、そこまで親しくないとか考えるわけで、相手の気持ちよりも、自分の事情が優先されているのではないかということを考えさせられます。ところが、アブラハムはそうではありませんでした。
まず、「三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作りなさい」と6節にあります。先週、「55プラス」の集会に28名もの方々が参加されたそうです。そこではいつもマレーネ先生がパン菓子というか、ケーキを焼いてくださっています。これは本当におもてなしの心だと思います。それが魅力でたくさんの近隣の方々が教会を訪ねてくれているのだと思いますが、30人分のケーキを焼くのに必要な小麦粉はせいぜい2リットルくらいでしょうか?焼いたこともない私が偉そうに言うことではありませんが、23リットルものケーキを焼かされたサラはかなり大変であったことは想像するに難しくありません。
それだけではなくて、子牛を一頭屠ります。もう大盤振る舞いです。それに凝乳と牛乳を準備します。「凝乳」というのは、チーズかヨーグルトかと思いますが、ドイツには「クワーク」というパンに載せて食べるヨーグルトとチーズの間みたいなのがあります。そんなイメージでしょうか。ドイツのルター訳ではどうなっているかと思ってみてみたら、「バターとミルク」となっていました。パンにあわせるものですから、バターの方が合いそうな気がしますが、どうだったのでしょうか。
サラはパンの準備、しもべは子牛をほふって大忙し、アブラハムも8節には「彼自身は木の下で給仕をしていた」とありますから、もう一族上げての「お・も・て・な・し」です。 (続きを読む…)