・説教 創世記21章22-34節「共におられる神と生きて」
2020.03.29
鴨下 直樹
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私たちは今、アブラハムの人生を目の当たりにしながら、主の御言葉を聞き続けています。言ってみれば、アブラハムの伝記のような性質がここにはあるといえます。多くの人の伝記、特に偉人伝などと呼ばれる物語には、だいたい最後に大きなクライマックスが準備されています。アブラハムの人生もそうです。まだ、この後最大の出来事が待ち受けています。
今、NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」をこの地域の人たちは特に楽しんで見ているようで、明智光秀というこの戦国時代の最大のヒール役を演じた人物を、このドラマでは明智光秀なりの生き様や人との関わりを描きながら、これまであまり描かれていなかった側面からもう一度明智光秀という人となりを描こうとしています。まだ、始まったばかりということもありますが、ほとんど創作なのではないかという出来事ばかりが続いて描かれています。明智光秀がこの期間どのようにしていたのか、あまり記録がないようです。このドラマを見ていない方はあまり興味のない方もあると思いますが、お許しください。今日の聖書と何の関係があるのかと思うかもしれません。実際ほとんど関係ないのですが、大きな出来事と大きな出来事の間には、陰に埋もれてしまうような幕間劇とでもいうような小さな出来事がたくさんあります。そして、そういう小さなエピソードが、その人物の姿をよく描き出しているものです。
今日の箇所の出来事もアブラハムの生涯からしてみれば、省いてもほとんど何の影響もないような小さなエピソードのように感じます。けれども、この出来事は、確かに出来事としては小さな出来事のように映りますが、「ベエル・シェバ」という地名として、後々まで人の心に留められる地名がどうして生まれたのかということを説明する出来事です。そして、この小さな出来事の持つ意味は、決して小さくはないのだということを、今日はみなさんに知っていただきたいのです。
今日の聖書の最後にこんな言葉が書かれています。34節です。
アブラハムは長い間、ペリシテ人の地に寄留した。
実は、この言葉はちょっとここに入る文章としてはふさわしくないのです。これまで、ここに出てきているアビメレクはゲラルの王と記されていました。ゲラルというのは、後にペリシテ人の土地の中でも重要な場所となるところです。新改訳2017の後ろにあります地図の4の下の方に、「ベエル・シェバ」が出てきます。その左上に「ツィクラグ」と書かれた地名が出てきます。そのあたりが「ゲラル」です。このツィクラグという名の土地はダビデの時代にペリシテの王アキシュからダビデに与えられた土地です。
けれども、この創世記の時代にはペリシテ人という言い方はまだしていないのです。この箇所からだんだんとゲラルという言い方ではなくて、ペリシテ人という言い方が出てくるようになってきます。そして、なぜ、ここでアブラハムがペリシテの地に住むようになったと書かれているかということですが、ペリシテというのは、みなさんもご存じの通り、イスラエル人とはライバル関係になるような民族です。けれども、アブラハムは後に敵とされるようなペリシテとも、一緒に生きたのだということが、この21章の結びで描かれているのです。そして、そのことは、決して小さくない意味を持っているのです。
今日のところが、このゲラルの王であるアビメレクと、軍団の長であるピコルがアブラハムを訪ねてくるところから始まっています。言ってみれば、信長と明智光秀が出会ったようなものでしょうか。明智光秀がアブラハムだとすると、ちょっと言い過ぎかもしれませんが・・・。アビメレクの方は、一地方の王です。アブラハムは一部族の族長、しかも羊飼いをしているような遊牧民です。その差は歴然としているのですが、アビメレクにしてみれば、この前、アブラハムの妻サラを、アブラハムが妹だと言ったので、妻に迎え入れるという出来事の後です。今風の言い方をしれば、アブラハムに貸しが一つあるわけです。それで、盟約を結ぼうという提案を持ち掛けに来ているのです。 (続きを読む…)