2021.06.27
庄司 好男
Lineライブ
午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。
2021.06.20
鴨下 直樹
午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。
パウロの記したこの手紙は、この前の部分までが導入部分だとすると、ここからがいよいよ手紙の内容に入っていきます。
全体の枠組みのはなしをすると、ここから3章の20節までで、不義とは何か、罪とは何かということが語られています。
特に、今日読んだところには、こういう言葉が記されています。
神の怒りが天から啓示されている
よく、教会の学び会などでも質問としてでてくるのですが、旧約聖書の神様はとても厳しい神様で、新約聖書になると愛の神様になる。どうして、こんなに神様のイメージが変わるのでしょうか?という質問が出ることがあります。
確かに、聖書を読んでいますと、特に旧約聖書を読むと、そのように思えるほど厳しい神様のお姿が何度となく出てきますので、神様は厳しいという印象を持つということはよく分かります。
今週の、水曜日と、木曜日に私たち同盟福音キリスト教会は牧師たちの研修会をいたしました。例年は、長野県の「のぞみの村」という教団の宿泊施設がありますので、そこまで出かけて行って、牧師、宣教師たちがみな顔を合わせて、研修の時を持つのですが、今年はコロナのためにそれが出来ません。それで、オンラインで研修会を行いました。
今年のテーマは「ジャンルを大切にして聖書を読む」という学びをいたしました。というのは、昨年もお招きしようとしていて、できなかったのですが、教団の稲沢教会の渡辺先生が、そのタイトルの本を最近だされましたので、この本を牧師たちみんなで一緒に学んだのです。
そこで、渡辺先生が語られたのは、聖書の中にはさまざまなジャンルの文章があり、そのジャンルごとに、聖書の読み方が違うんですよという話です。
たとえば、私たちの日常でも、色んなジャンルの文章があります。新聞とか、日記とか、小説とか、会社の報告書とか、回覧板で回って来るお知らせとか、実に色々あります。その文章の目的にしたがって、それをどういう書き方にするかというのは、異なってきます。
それと同じように、聖書の中身というのは、詩とか、法律とか、歴史の記録とか、預言とか、たとえ話とか、実にいろんなジャンルの文章が混在しています。その、それぞれの文章の特徴と、その文章にふさわしい読み方を、意識して聖書を読みましょうということを、二日間かけて学んだわけです。
それで、先ほどの話に戻ると、旧約聖書には、神さまが厳しいというイメージを持つということですが、このジャンルという考え方からすると、まず、旧約聖書の冒頭は律法の書です。これは、法律なので、全部命令形の文章になっています。神様の命令なので、問答無用です。返事は、「ハイ分かりました」しか期待していません。だから、当然、書き方は厳しいわけです。
その次は歴史書です。この歴史書というのは、誰かの主観ではなくて、事実だけをたんたんと記していきます。どういう問題が起こって、それに対して、人間はどうしたか、神は何と言われたかという客観的な報告です。そうすると、そこには、読み手への気持ちの配慮なんてありませんから、やはり厳しく感じるという部分があるということになります。
一方で、今日の場合は手紙です。パウロがローマの教会にあてて書いた手紙ですから、そこには読み手が想像されていますので、律法の書とか、歴史書とは異なる書き方がなされています。そういう意味では、同じ聖書の文章ですけれども、読んだ時のイメージがかなり違うということになります。
これが、旧約聖書と新約聖書を読んだ時に起こるズレの一つの原因です。
もう一つは、いつもお話ししていますが、「漸進的啓示」というものです。これについては簡単にだけお話しすると、神さまは、幼子に向けては、分からせるために厳しく語りますが、ある程度分かるようになってきた大人には、大人の語り方をします。啓示の仕方が漸進しているわけです。どんどん進展していくので、その違いから、旧約は厳しいけれども新約は優しいという錯覚を感じるわけです。
ただ、今日の箇所は新約聖書ですが、とても厳しい箇所です。ここには錯覚とか、印象ではなくて、はっきりと、「神の怒り」と書かれています。
神は怒っておられるということが、はっきり書かれています。新約聖書だから愛だけなのだということではないのです。 (続きを読む…)
2021.06.13
鴨下 直樹
午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。
パウロはここで福音について語り始めます。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
「福音」というのは、信じるすべての人に救いをもたらす神の力だというのです。
先週、あるニュースを読んでおりましたら、岐阜県の池田町に工場のある塩野義製薬が、新型コロナウィルスの治療薬を開発しているというニュースが出ておりました。それによると、新しい変異株にも対応できる薬を作ろうとしているということでした。
今の世界の中にあって、こんな治療薬が完成したら、それはある意味では福音です。信じるすべての人に救いをもたらすものとなるでしょう。そういうものが完成したら、同じ岐阜県民として、誇りをもって、この薬をいろんな方にお勧めすることができるようになると思います。いかがでしょうか?
福音というのは、良い知らせです。しかもその知らせをもたらされた人に救いを与える力が、そこにはあるのです。大事なことは、そこでも「信じる」ということが不可欠です。
それがどれほどすばらしいものでも、信じて受け取られることがなければ、何もないのと同じです。そのためには、この知らせを届ける人が必要です。
だからこそ、パウロは、この福音を届けることこそが、私の負い目、責任なのだとこの前のところで語っているのです。
そして、この人を救うことのできる神の力である福音を届けることを恥とは思わないとパウロはここで言っています。
振り返ってみて、私たちは、私たちが受け取った福音をパウロのように大胆に証しできるのだろうか、ということを考えてみたいのです。
家族に聖書を勧める、教会に集うことを勧める時に、そこに躊躇させるさまざまな要因があるとすると、それは何かということです。
福音を伝えることを難しいと感じる理由はいくつかあると思います。まず、私が思いつくのは、相手に対する配慮です。相手の家族の宗教だとか、その人が大事にしているものを考えると、なかなか勧めづらいということがあると思います。 (続きを読む…)
2021.06.06
鴨下 直樹
午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。
皆さんは、富士山をご覧になったことがあるでしょう。先日、関東に車で行った際に、富士山を見ながら走るのをささやかな楽しみにしていたのですが、残念ながら天気が悪くて全く見ることができませんでした。
「表富士」とか「裏富士」という言葉があります。山梨県側から見る富士山は裏富士なんだそうですけれども、山梨県の方々からすれば、こっちが表だと思っておられるようです。考えてみたら当たり前のことですけれども、表とか裏というのは、誰が決めるのかということになります。みんな自分を基準で考えるわけで、いわゆる表側の、高速道路や新幹線が通っている静岡県側から見る人が多いので、なんとなく、表富士という言い方が、多くの人に支持されているようです。
私は東海聖書神学塾で、聖書解釈学という講義をしているのですが、先日そこで、この富士山の見方という話をしました。それは、別に何か特別なことなのではなくて、まず富士山の見方には三種類あるという話をしました。まず一番目は、富士山の全体像を眺めるということです。この見方が、富士山のもっともポピュラーな見方です。けれども、二番目の見方としては、実際にその山道を上ってみるという見方があります。そうすると、ひたすらごつごつした岩場を何時間もかけて登らなければならないわけです。そこからは、山から周りの景色は見えても、富士山自体はそれほど綺麗ではなくて、富士山の厳しい現実を知ることになるわけです。そして、三番目の見方としては、さらに詳しく観察してみるということもできると思います。富士山の石はどういう石なのかとか、酸素の濃度はどうだとか、標高何メートルかを超えると木が生えなくなるとか、詳しく見るとさらにそこで見えてくる世界があります。
ちょうど、この三つの富士山の見方があるように、聖書を読む時にも、それぞれ見方が違うのだという話をしたのです。
パウロは、ローマの教会に手紙を書き送っています。なぜ、手紙を書くのかというその目的をここで記しています。11節ではこう言っています。
私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。
パウロもローマの信徒たちも、共に主にある信仰に生きている人たちです。それは、言ってみれば一緒に富士山に登頂する仲間のようなものです。その仲間たちが、力強く山を登り続けることができるように、「あなたがたを強くしたいから」とパウロはここで言っているのです。
それは、ある程度、その道を歩んできた先輩だからこそ、教えられるさまざまなノウハウがあるということです。その自分のノウハウ、この聖書の言葉でいえば「御霊の賜物」を分け与えたいのだというわけです。
けれども、それだけではないとパウロはここで語っています。それが、続く12節です。
というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
このパウロの言葉に、私は驚きを覚えます。パウロは異邦人伝道の先駆者です。しかも使徒として主に召されているという、自覚もあるのです。そのパウロがここで、私は、これからあなたがたにいろんなことを教えてあげるからねという、言ってみれば「上から目線」で語ることも出来るわけですけれども、パウロはここで、私も同じ山を登っているので、あなたがたと一緒に上りながら、励まし合っていきたいのだと言っているのです。 (続きを読む…)
主日主題: 信仰
聖餐式礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙1章8-15節
説教:「信仰に励ましを受けて」鴨下直樹牧師
礼拝後:役員会
主日主題: 神の義
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙1章16-17節
説教:「福音を恥とすることなく」鴨下直樹牧師
礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会
主日主題: 真理
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙1章18-25節
説教:「真理を阻むことなく」鴨下直樹牧師
礼拝後すぐ:伝道の学び
主日主題: 神の招き
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: エペソ人への手紙1章1-12節
説教:「神の選びの計画と十字架」庄司好男牧師
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