・説教 ヨハネの福音書6章22ー35節 「永遠のいのちに至る食物」
2014.8.31
鴨下 直樹
ヨハネの福音書の6章を今、ずっと聞き続けています。71節までの大変長いところです。今月の最初から始まりまして、来月の月間予定表をすでに見られた方は驚いたかもしれませんけれども、9月一杯かかります。それだけ丁寧に読んでも、十分とはいえませんけれども、同時にそれだけ時間をかけますと、もうこの前のところに何が書かれているのか忘れてしまう方もあるかもしれません。ずっと言い続けていることですけれども、ぜひ、この6章の全体の枠組みを理解しておいていただきたいと思います。
この6章は過越しの祭りのころに、ガリラヤ湖、またの名をテベリヤ湖と言いますけれども、この湖の周りで起こった出来事が書かれています。五つのパンと二匹の魚で男だけで五千人の人がお腹いっぱいに食べたという出来事があって、その次にはカペナウムに向かう船の出来事です。そこで、主イエスは湖に吹きまくる強風を沈められたという出来事が記されています。その後に、主イエスと、主イエスを追いかけて来た群集たちとの長い対話がしるされています。そして、弟子たちとの対話があります。その結果として、主イエスを去っていく弟子たちがあったと記されています。
今日のところは、この五千人の給食といわれる出来事と、荒れた湖を沈められた出来事のすぐ後に書かれている部分です。本来、22節から35節までと区切らないで読みたいのですけれども、長すぎますからどこかで一度きらなくてはなりません。それで、今日はやむを得ず35節で区切りました。そこに書かれていることは、それほど難しいことではありません。五つのパンと二匹の魚の出来事の後で、群集と書かれております人々は主イエスを無理やり王としようとしますが、それを察した主イエスはひとりで退いてしまわれました。それで、この人々は追いかけてきたのです。想像していただくといいと思うのですけれども、少年が持っていた貧しい大麦のパン五つと小さい魚二つで、とてつもなく大勢の人々が満たされます。そして、余ったパンは十二のかご一杯になったのを目の当たりにします。なんとかして王になって欲しい、自分たちを助けてほしい、こんなとてつもない力をもっているのだからと、思いこんだ群集は、目の色が変わっていったと思います。目の前に示された、金の成る木、ならぬパンを増やす宝のような存在を、やすやすと諦められるはずはないのです。必死になって探して、追いかけてきた様子が、22節から25節までに記されています。 (続きを読む…)