・説教 「宿もない者となられた主イエス」 マタイの福音書8章18-22節
鴨下直樹
2010.12.26 クリスマス礼拝
今朝は十二月の二十六日です。二十六日というと、私たちの周りではクリスマスの騒ぎは終わりまして、すぐさまお正月の準備に移ります。お店なども、大変あわただしく模様替えをしなければなりません。ところが、この芥見教会ではこの日曜日にクリスマス礼拝をしています。一般的な感覚からすれば、まだそんなことをしているのかというような思いを持たれる方も少なくないと思います。
教会の暦では今日は降誕祭次日と言います。ヨーロッパなどのいわゆるキリスト教国と呼ばれている国ではこの日までが休みです。今日もまたクリスマスの祝いをする日なのです。いや、今日だけではありません。教会の暦では一月の六日をエピファニーといいまして、やはりこの日も休日になったりいたしますけれども、東の国の博士たちが主イエスを礼拝した祝いの日としています。この日までをクリスマスの祝い期間とするのです。
なぜ、これほど長い間祝うのかといいますと、それほどに、キリストがお生まれになったことが嬉しいからです。いつまでだって祝っていたいほどの喜びはクリスマスにはあるのです。
しかし、そのような教会の暦通りに礼拝を祝う一方で、礼拝の説教はこの朝もマタイの福音書から御言葉を聴きます。こつこつと、順をおいながら主の御言葉に耳を傾けるのです。クリスマスの礼拝をすると言いながら、聖書はクリスマスのテキストではないのかと考えられる方もあるかもしれませんけれども、そうではありません。幸いにと言ってもいいかもしれませんし、あるいは主の導きによってと言ってもいいかもしれませんけれども、この朝、私たちに与えられている聖書の言葉は、クリスマスの祝いの時に聞くのに本当に相応しい言葉であると言うことができると思います。
さきほど、このマタイの福音書の聖書を聴く前に、もう一か所別の箇所から御言葉を聴きました。そのルカの福音書の二章六節と七節に次のように記されていました。
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」。と記されています。
キリストがこのクリスマスに私たちの住んでいる世界にお生まれになられた時、それは、神の御子が私たちを救うために天からこの地においでくださった時に、聖書は「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と記されているのです。これがクリスマスに起こった出来事であったとルカは記しています。この世界には、神の御子をお迎えする場所がなかったと言うのです。もっとも尊ばれるべきお方が、ゆっくりとくつろいで泊まることもできなかったのです。それが、神の御子が、この世界においでになった時の第一日目の晩の出来事だったのです。
では、一夜明けたら、ふかふかのベットで休むことができたのかというそうでもありませんでした。それどころではない、主イエスの公の伝道の生涯が始まっても、それは少しも変わらなかったのです。
この朝、私たちに与えられている箇所で、主イエスはこのように言っておられます。
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」マタイの福音書の八章に十節です。生まれた時から、このところに至るまで、主イエスには人の子には枕するところもないのだと言われたのです。これは一体どういうことでしょうか。
先週私たちが聴いた御言葉は、主イエスがペテロの家に行かれた時の出来事が記されていました。すると、私たちはこう考えます。ちゃんと、留めてくれる家があるではないかと。ちゃんと人の家の枕を借りて寝ているくせに、なぜ、ここで主イエスはまるでいじけているかのようにして、こんなことを言わなくてはいけないのかと確かに考えることはできます。
私たちはこのような話を聞くときに、前提として私たちには住む家があるということを当たり前の考えながら、主イエスの言われることを理解しようとします。誰もが家に住んでいます。それは私たちにとっては当たり前のことです。ですから、ここで主イエスが語られる言葉を正確に聞き取ることができなくなってしまうのです。
ここで主イエスが言われておられることを私たちが正しく理解するために、ここで注意深く聞かなくてはならないのは、主イエスはここでご自分のことを「人の子」と呼ばれたということです。
この「人の子」というのは、実は独特の言葉です。旧約聖書の中にも何度かこの「人の子」という言葉が出てまいります。けれども、聖書の箇所によってその意味は実に多様です。「人間の子」という意味で、人間のはかなさが語られるところもあれば、神と比較した人間という意味で語られる場合もあります。けれども、この主イエスが語られた「人の子」という言葉を理解するためには、ダニエル書七章十三節以下に記された箇所を理解する必要があります。そこには、次のように記されています。
「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」 十三節と十四節です。
これは、預言者ダニエルに与えられた一つの幻です。神がこの地においでになって、永遠の国を建て上げるという希望を語った言葉です。このダニエルの時代以降、人びとは「人の子」と聞いた時には、永遠の御国を完成させてくださる方が来られるという、この言葉をすぐに思い起こしたのです。そして、ここで主イエスは自分は神の国を完成するために、この地に来られたことをお語りになったのです。
まさに、クリスマスに世界に語られた希望の福音が、もう一度ここで、主イエスによって宣言されたと聞き取ることができるのです。ところが、この人の子がこの地においでになったのに、そこに枕するところがないと主イエスが言われた時に、それは、このお方にとって枕するところ、つまり家がない、住まいがないと言っておられることが何を意味するのかというと、それは、主イエスにとって天の御国のことを意味していることになります。今、私は、天の住まいからこの地に遣わされてやってきて、まさに旅人のような生活をしていると主イエスは言われたのです。
さて、そうでるとすると、私たちはどうかということを考えなければなりません。私たちは自分の家に枕するところがあるから、それで大丈夫ということになるのかどうかです。主イエスがここで問いかけておられるのは、あなたも、自分の本来の故郷である神の住まいから離れて生活しているのではないですかと、主イエスに問われていることになるのです。自分の生活は、もうこれで成り立っているから大丈夫だなどということは言えないのではいかという問うておられるのです。
主イエスはなぜ、このような話をなさったのでしょうか。この話の前に、このように書かれています。「さて、イエスは群衆が自分の周りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった」と十八節に記されています。立派な話をなさり、様々な奇跡をなさった主イエスを見て、人びとは主イエスの周りに集まり始めたのです。「群衆」と言う言葉が使われるほどに、大勢の人々が主イエスの周りにやってきたのです。ようやく、主イエスの人気がでてきたところだと、これを聞くと喜びそうなところですけれども、主イエスはそのように思われなかったです。そのような人々の興味の対象になって次々に人々が集まってくることを、主イエスは拒絶なさいました。わたしは船に乗って、ガリラヤ湖の反対側に行こうと言いだされたのです。ペテロの家は猟師ですから、家の前が湖であったというのは、それほど想像するのに難しくないことでしょう。けれども、人びとから人気が出て来て、やっと人々が主イエスの実力を認めるだろうと期待できるそうなところで、主イエスはそのような道を拒んで、船に乗り込まれて湖の反対側、つまり、人々のいない方に行こうと言われたのです。なぜなのでしょう。それは、主イエスが人々に伝えたいとしておられる神の国、ダニエル書の言葉でいえば永遠の主権によって築き上げられる国というのは、人々が簡単に求めて、すぐに与えられるようなものとは性質を異にしていたからです。人々の期待に応えることが、主イエスのお働きではなかったのです。
そのことを示すように、一人の律法学者が主イエスの前に立ち、主イエスに尋ねました。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」
一人の律法学者がおりました。この人は主イエスの話を聞き、主イエスの御業を見たのでしょう。その言葉の権威に心打たれ、そのなされる御業を見て、主イエスに着いて行きたい。従いたいと考えるようになったのです。そこで、主イエスが言われたのが、先ほどの言葉です。わたしは、神の国を建て上げるために自分の帰るべきところを捨てて来ているのだと言われたのです。
その意味が分かったからでしょうか。今度は一人の主イエスの弟子が尋ねたのです。「父を葬ることを許してください」と。現代でもそうですけれども、家族の葬儀というのはことさらに大切にされています。そのためであれば公に仕事を休むことが許されます。それは、今日だけではありませんでした。モーセの律法にも家族を葬ること、特に父親ですからそれは大事にされるべきことでした。言ってみれば、これだけは例外でしょう?と弟子は主イエスに尋ねたかったのです。
ところが、主イエスから驚くような言葉が返ってきたのです。「死人は死人にまかせない」と。これはどういうことかというと、簡単に言ってしまえば放っておきなさいということになります。それほどに、主イエスと共にいることが大事なことなのだということです。
しかし、もしそうだとすると主は何故、そのような厳しいことを言われたのでしょうか。私が神学生の時に、岡崎の教会で奉仕をしていました。その時に一緒に働いていたのは、ドイツからの宣教師のベルンス・ラインハート先生です。この先生が当時、神学校の発行している塾報にメッセージを書きました。それを読んで私は驚きました。その時、まだ、名古屋の東海聖書神学塾という私が卒業した神学校は創立十年を迎えたばかりでした。その設立の際に、近隣の牧師たちが協力し合って神学校を設立しようという話し合いがもたれることになっていました。当時、まだ日本に来られたばかりのベルンス先生は、名古屋の金山教会で奉仕しておりまして、この話し合の会場教会ということもあって会場のカギを開けるという仕事があったのです。ところが、その前日に、ベルンス先生の父親が亡くなったのです。宣教師たちというのは、そのような覚悟を持って日本に宣教に来ているということでしたが、最初に両親に約束をした通り、この宣教師は葬儀に駆けつけることはいたしませんでした。父親も分かっているはずだというのです。自分は日本の教会で教会の玄関を開けるという大事な役割があるからだと。その塾報に、ベルンス先生は、主に献身をして主の働き人になるということは、主を何よりも第一にすることだということを書かれたのです。そして、自分は神学塾の働きのことを振り返ると、そのことを思い出さざるを得ないと記されたのです。
こういうことを聞きますと、ある人はそこまでしなくてもいいのではないかと考える方があるかも知れません。今日であれば、その頃よりも交通の便も良くなったということもあって、そのような場合に帰国する宣教師たちもあると思いますけれども、このベルンス先生は、そうすることによって、自分は神に仕えるということを証ししたのです。それは、誰かがどうこう言うことではないでしょう。そして、その時、この宣教師の心の中にあった御言葉は間違いなくこの聖書の御言葉だったのです。
ベルンス先生は、神を第一とするということを、このような形で表すことができたのは、何よりも、主イエスご自身が、天の故郷を捨ててまでして、自分を救ってくださったのだから、自分の同じようにして主イエスの応えることが、主イエスが自分にしてくださった御業に応えるのに、もっとも相応しいと考えたのです。
家族を失うということは非常に大きな悲しみです。人がいろんな方法を通して慰めようとしても、その悲しみの心には届かないほどに、人は深い悲しみを覚えます。それほどに、人のいのちの重みというものは重いものです。公に休みをいただいて、その弔いをしたとしても、その数日の間に悲しみがなくなるということはないでしょう。主イエスがここで、この父の葬儀に行きたいと願った弟子に「わたしについて来なさい」と言われたのは、葬儀に行ってはならないということではなかったはずです。そうではなくて、主イエスについていく中で見えてくるいのちの尊さ、神の深い配慮をしることなしに、あなたはその父親の弔いをすることになると思うのかという意味以外のなにものでもないと私は思うのです。主と共に生きることによって、私たちは主イエスが人のいのちをどれほど尊んでおられ、愛しておられ、救いたいと思っておられるかを知るのです。神が、天の御座を捨てて、まさに、馬小屋で生まれてくださるほどに、宿もない者となってくださったほどに、主イエスは私たちのいのちを支えたいと思っておられることを知ることによって、私たちの明日は開かれるのです。
今日、私たちはクリスマスを祝っています。主イエスが、私たちのために払ってくださった犠牲の大きさを私たちは思い起こす必要があるのです。この後、私たちは聖餐を祝います。主イエスが、この主の言葉のとおり、私たちのためにいのちを投げ出してくださったことを思い起こすのです。そして、このキリスト愛を知って初めて、私たちはクリスマスを心から祝うことができるのです。
お祈りいたします。