・説教 「われらを救われる主イエス」 マタイの福音書8章1-13節
鴨下直樹
2010.12.12
主イエスのお語りになった山上の説教が終り、主イエスは山を降りられました。山を降りられて、人々の生活の中に入って行かれたのです。そして、そこで、さまざまな困難な状況にある人々と主イエスはお会いになられました。山の下で、多くの人びとは主イエスが自分たちの生活の場所に足を踏み入れてくださるのを心待ちにしていたのです。
このマタイの福音書の八章に記されているのは、奇跡の物語です。もっと言えば癒しの出来事が記されています。人びとはさまざまな病、さまざまな悩みを抱えていました。そして、そのように人々のあらゆる患いの主イエスは入って行かれ、そこで、人びとは主イエスと出会ったのです。
昨日のことですけれども、私たち同盟福音キリスト教会全体の青年があるまってクリスマスの祝いの時が持たれました。私は青年の担当牧師ということもあって、そこで短い聖書を聞きました。青年達と共に耳を傾けたのは、イザヤ書の九章二節の御言葉です。
「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」という御言葉です。
この預言者イザヤが語った時代というのは、主イエスのお生まれになる七百年前のことです。その時、人びとは闇の中を歩んでいたというのです。敵の国からの支配下にあって人びとは、そのような時代を闇の時代だと考えていました。けれども、そのような闇の時代というのは、預言者イザヤの時代だけではありませんした。主イエスの時代もまた、人びとは闇の中を歩んでいたのです。そのような主イエスの時代も闇の時代であったということができますけれども、また今日もその状況は変わりません。考えてみると、私たちは常に、どの時代に生きていたとしても、闇の中に生き続けているということができるかもしれません。
今、アドヴェントの季節を迎えていますけれども、この時期、青年たちが感じるのもまた闇の現実です。その大きなものは孤独です。人々が騒ぎ、浮かれている中にあって、自分はそのように喜ぶことができないという闇を、見つめるのです。けれども、主イエスはそのような人々に光をもたらすために、この世に来てくださいました。そんなメッセージを昨日私は青年たちに語りました。そして、事実、この預言者イザヤの言葉は、主イエスが人々の生活の中に足を踏み入れてくださった時から、現実のものとなったのです。まさに、闇の中に、光がもたらされる出来事が、そこで起こるのです。
今日の聖書の箇所を読みながら、驚くのは、ここに出てくる人々の素朴な信仰の姿勢です。「主よ、お心一つで、私をきよめることがおできになります。」とらい病を患った人は語りかけています。もう、信じてしまっているといってもいい姿です。自分の抱えている闇から自分を解き放ってくれるのは、あなたしかいないのですという告白の言葉です。
この言葉を読みますと、少し戸惑いさえ覚えます。人は、それほど単純に自分の闇を認めるのだろうか。それほど簡単に主イエスに救いを求めるのでしょうか。
特にこの、らい病人の物語を読みますと、簡単にことが進みます。闇の中に生きていた人が、光を求める。その光を主イエスに求める時に、主イエスはその人に、光を、救いを、癒しを与えられたという出来事です。これほどまでに簡単に、人は救いを受けることができるのでしょうか。
そこで、少し、当時のらい病という病がどのように考えられていたのかを考えてみる必要があります。旧約聖書の中に、このらい病に打たれた三人の人の出来事が記されています。ここでそのことを丁寧に説明するいとまはありませんけれども、どの場合も、神に打たれてそのような病になったことが記されています。そのために、長い間、人びとはこの病気は神からの裁きのしるしてあると理解するようになりました。
そして、そのことは聖書の時代だけではありませんでした。今日に至るまで、そのような思い病にかかった人は神に罰されたのだと考えられることが少なくなかったのです。新改訳聖書の第三版をお持ちの方はすでに気づかれたと思いますけれども、この「らい病」とこれまで訳されていましたところが、「ツァアラト」と訳されています。これは、そのように今日の「ハンセン氏病」のことが、このらい病に当たるとされてきたために不当に苦しんできた人々への配慮として、聖書のヘブル語の言葉を充てるという翻訳を試みたのです。その翻訳のことをここで色々と言うつもりはありませんけれども、それほどにこの病は長い間、神の裁きのしるしと考えられていました。
この病に侵された人は、本来人々の中に入り込んで一緒に生活するということは許されていませんでした。ですから、この人は、主イエスの山の上での説教を聞いたわけではないのです。普段、人々の中に入り込むことはできなかったからです。その時代にあってこの病は神からの裁きのしるしだと考えられていたからです。ところが、主イエスが山を下りた時に、この人は自分から進んで主イエスの方に近づいて来ました。ここに記されている「みもとに来て」という言葉はそういう言葉です。驚くばかりの決意がここに秘められているのです。そのようにして、しっかりした足取りで、この人は主イエスの前に立ち、「主よ、お心一つで、わたしをきよめることがおできになります」と語ったのです。
ここで、驚くようなことが起きたのです。主イエスの山の上の説教を聞いた人は大勢いたのです。そして、聞いた人々は主イエスの話に、驚きはしたのです。けれども、その主イエスに救いを求めるために出て来たらい病を患った人は、主イエスの話を聞いていなのです。しかも当時の人びとからは神の裁きだと考えられていた人が、主イエスの前に出て、救いを求めたのです。そして、この人だけが救いを得たと、山上の説教が終わった時に人々の反応はそうだったのだと、この福音書は物語っているのです。
私たちはここで主イエスご自身から問いかけられています。私たちも主イエスの話を聞き、喜びながらその御声に耳を傾ける。あるいは、その権威に驚きを覚えながら、そんなことが起こるのだろうかと、ただ待っているということはないだろうかということを考えてみなければならないのではないでしょうか。私たちはこれほどに素直に、このお方は私を助けることができる。私を救うことができる。このお方は私を、闇から救い出すことができると期待しているのでしょうか。
このらい病を患っていた人のように、このお方に救っていただこう、たとえ、周りの人が何と言ったとしても、私はこのお方に信頼してみたい。そう決意して御前に進み出ることができるような、力強い思いを持つことができかどうかに、すべてはかかっているのです。
しかも、この時まだ、誰も、このお方が、神の御子だと言うことを知らないのです。「誰も、あなたは神の御子救い主です」と言い表したこともないのに、ここで神に裁かれた人と思われていた、罪人は、主イエスの前に自らを投げ出すことができたのです。
その後に続く五節から記されている、百人隊長のしもべのいやしの出来事も全く同様です。しかも、この百人隊長がどこの国の人であったか記されていませんけれども、少なくともユダヤ人ではありませんでした。異邦人です。神の救いの民だと考えられていない人です。ローマの兵士たちをまとめる隊長をしていた男です。その人のしもべが中風で苦しんでいました。「中風やみ」と言われても、今日ではそれがどのような病気のことを指すのか分からない人が多いと思います。私もその一人です。これは脳の血管障害のために起こる体に麻痺状態が起こる症状を表す言葉のようです。
主イエスは山を下りて、カペナウムという町に入りました。すると、ここでも、この百人隊長は、先ほどと同じように「みもとに来て」と記されているように、自ら進んで主イエスの前に進み出たのです。そして主イエスにこう言いました。「主よ、私のしもべが中風やみで、家に寝ていてひどく苦しんでおります。」と。
それに主イエスはこう答えられました。「行って、直してあげよう。」。ここで主イエスはこの百人隊長の申し出に、自ら行こうと言われたと。しかし、これは、当時では考えられないことです。当時のユダヤ人は異邦人の家に自ら尋ねていくなどということをしなかったのです。しかし、非常に快く、当時の人々がしないことをして、主イエスはその中風で病んでいる人のところに尋ねようと言われたとなると、それは、主イエスがどれほど深い愛情を持っておられたかを示すことになります。
ところが、この「行って直してあげよう」という言葉は少し独特の言葉で記されている言葉です。他の翻訳もできるのです。それは「私に行って、直せというのか?」という訳です。疑問文として理解するのです。しかし、そうなりますと、ずいぶん印象が変わります。「なぜ、私がわざわざ行かなければならないのか」ということになるのです。けれども、もしそうであるとすると、どうも主イエスの言葉らしくない。それで、前者の翻訳を取ることが一般的です。
けれども、この「わたしに、行って直せというのか」という翻訳の可能性もあることを私たちは良く心にとどめておく必要があると思います。というのは、このローマの百人隊長は、ユダヤ人ではないのです。異邦人への伝道が開始されるのはまだ後のことです。
ここで主イエスはこの百人隊長に、疑問文で問われたとしてもおかしくないのです。他のところでも、「わたしはイスラエル人以外のところに遣わされていない」ということをはっきり語っておられるのです。もちろん、いじわるでそう言っておられるわけではありません。そこで、この人の信仰を試しておられるのです。
そうしますと、この百人隊長はこう答えます。八節と九節です。少し長いのですがお読みします。
「しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。
と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
驚くべき言葉です。自分のような者の言葉にも権威が与えられているというのです。自分が普段兵士に、「これをしろ」と命じれば、兵たちはその権威に従って、その命令を行うのです。自分に、そのような権威が与えられているのだから、あなたの言葉にも権威があることは当然のことだと言うのです。言葉の持つ、力を良く知っている人の語る言葉です。権威という者がどういうものかよく分かっているのです。そして、同時にこの百人隊長は、主イエスの言葉には、病をいやすことのできる力があると信じたのです。どうしてこんな風に信じることができるのだろうかと、驚かざるを得ません。本当に、単純にそう信じているのです。
私たちも祈ります。誰かが病になったと聞けば、そのために祈ります。けれども、そのような祈りの中で、いつも祈ったように癒されるわけではないということを、私たちは実感してもいます。どうして、自分の祈りには力がないのだろうと考えることが、私たちは多いのではないでしょうか。
私たちはこのような信仰を主イエスがご覧になって、癒されたという記事を見ると、すぐに、私たちにはそのように信じきることができないから、自分の信仰がまだ不十分だからだと考えてしまいます。けれども、大切なことは、ここで百人隊長はそのような、自分の不十分さというようなことに心を向けないで、ただ、主イエスだけを信頼しました。
主のみこころを求めている時に、私たちが忘れてならないのは、そのようにして、素直に主イエスを信頼することができるかということです。
ここで、このような信仰をご覧になった主イエスは十節で次のように語っています。
「イエスはこれを聞いて、驚かれ、ついて着た人たちにこう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちにだれにも、このような信仰を見たことがありません』」。
主イエスは、この百人隊長の中にある信仰をご覧になりました。主イエスは、信仰をもつものをイスラエルの中で探してみたけれども、どこにも見当たらなかった。けれども、ここに、この異邦人の中に、まことの信仰を見たと言っておられるのです。
マタイの福音書のなかで、最初に「信仰」という言葉が使われているのが、このところなのです。信仰というものを主イエスがどのように考えておられるかが、このところからもよく分かると思います。
癒されると、状況が良くなるかどうか、神の御心でなかったらどうなるだろうかというような判断も含めて、主イエスに委ねる。まさに、すべてを主イエスに託して、このお方の持つ、権威に信頼するときに、その姿を主イエスは「信仰」と呼んでくださるのです。
河野進という牧師がおりました。すぐれた詩人であることで知られた人です。この人は長い大、岡山のハンセン氏病の療養施設で、長い間病んでいる人たちと共に生きたことでも知られている人です。
こんな詩があります。「やけど」という詩です。
「やけどをしたそうで痛みますか」
「痛いのがわれば こうまでやけどをしません ははは」
うかつな愚問をくりかえして
心にまで傷をつけなかったか
痛みの恵みをらい患者は
しりすぎるほど知っている
病の人と共に生きた人でなければ、書くことのできない詩です。
もう一つ、こういう詩があります。
「くりかえす」
病床で 一日じゅう くりかえす
「天の父さま ありがとうございます
お天気さん 雨ふりさん
緑の木々さん 小鳥さん
お医者さん 看護婦さん
お食事さん お掃除さん
お見舞いさん お手紙さん
親しい人々さん なつかしい思い出さん」
みんな不思議がるほど「ありがとうございます」
この施設の人びとの素朴なまでの信仰の姿がうたわれています。自分のすべてを主に委ねて生きることのできる幸いな人々の姿が、この人の詩からにじみ出てきます。
私たちの主は、私たちを救うことがおできになるお方です。私たちの抱える闇を、取り除くことがおできになるお方です。
このらい病を患った人も、百人隊長も、ただ、素直に信じたのです。しかし、すべてを託して信じたのです。そこに、主の御手があると。そのように、生きる信仰の歩みも、私たちも与えられたいものです。
お祈りをいたします。