・説教 マタイの福音書2章1-11節「礼拝をささげた博士たち」
2025.12.21
内山光生
それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
マタイ2章11節
序論
先ほど、古川長老から絵画を通してのクリスマスのお話を聞くことができました。その絵画の中に東方の博士たちがキリストに礼拝をささげた場面があったと思います。今日は、その場面を中心として、いつもより短めの説教をさせて頂きます。
I エルサレムで質問した博士たち(1~2節)
ではマタイ2章1~2節を見ていきます。
イエス・キリストがお生まれになった時代に、当時のユダヤの国では、ヘロデ王が、その国を支配していました。それで、東の方からやってきた博士たちは、ヘロデ王のところに行って、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」がどこにいるかを尋ねたのです。
II 動揺したヘロデ王(3節)
今の私たちの時代では、クリスチャンにとっては「キリストの誕生」は喜ばしい出来事です。いやクリスチャンでない人にとっても、クリスマスは、町がにぎやかになったり、おいしい食べ物で心が満たされやすい、そういう時期とも言えるのです。
ところが、キリストが生まれた頃のユダヤの国は、キリストの誕生をお祝いすることが出来ない独特の雰囲気があったのでした。どうやら、ヘロデ王は人々からの評判が悪く、次々と周りの人々を殺害した結果、「あの王は、次に誰を殺すのだろうか。」とうわさされるような王だったのです。ヘロデは、なんと自分の妻や子どもさえも信頼できなくなり、殺害してしまった、そういう王だったのです。
ですから、3節に「ヘロデ王は動揺した。」とありますが、彼は、本当に自分の地位が奪われるかもしれないと心配していたのです。そして、エルサレムの人々も、王がまた悪さをするのではないかと心配したのです。
そういう訳で、ユダヤの国の中では、「キリストがお生まれになった」という知らせがあったにもかかわらず、人々は、王に目をつけられてはいけないと考えて、誰もキリストに礼拝をささげに行く人がいなかったのです。
神様が、東の方の博士たちを導いてキリストに礼拝をささげたい、という気持ちを与えたのは、当時の状況を考えると、とても理にかなっていたと言えるしょう。なぜなら、この博士たちは、ヘロデ王が悪い王様だという事を何も知らなかったので、王を恐れることなく堂々とキリストに会いに行くことができる、そういう立場だったからです。
III ベツレヘムでキリストが生まれるとの預言(4~6節)
4~6節に進みます。ヘロデ王は、心の中で自分の命が狙われるかもしれないと、恐れを抱いていたことでしょう。けれども、王は自分が恐れているのを悟られないように、旧約聖書の専門家たちを集めて、どこでユダヤ人の王が生まれたのかを調べさせたのです。旧約聖書の専門家たちは、その場所がベツレヘムだということを突き止めました。そして、その事を王に伝えたのでした。
IV 博士たちを送り出したヘロデ王(7~8節)
7~8節に進みます。
情報を得たヘロデ王は、東方の博士たちにベツレヘムだという事を伝えます。それと同時に、博士たちから、星が現れた時期を尋ねることによって、キリストがいつ生まれたのかを知ろうとしたのです。ヘロデ王は、博士たちの前では「私も行って拝むから」と言っていますが、しかし、彼の本心は、「そのキリストを殺してやりたい。」という事だったのです。そうすれば、自分の地位が守られる、そう考えたのです。
東方の博士たちは、ヘロデ王が悪意に満ちた計画を立てていることを見抜くことができていません。しかし、後々、博士たちは御使いのみ告げによって、ヘロデ王に会わずに自分の国に帰っていくのです。こうして、神様の導きによって、キリストの命が守られていくのです。
V 礼拝をささげた博士たち(9~11節)
さて、今日の中心部分に入ります。9~11節を見ていきます。
9節では、星が博士たちを誘導して、幼子キリストのいる場所を探しあてることができた、そういう出来事が記されています。それゆえ、今の時代においてクリスマスツリーの一番上に大きな星が飾られたりするのです。
星に導かれて、ついに、幼子キリストを見つけ出すことが出来た博士たち、彼らは苦労して遠い国からやってきました。経済的にも時間的にも、大きな犠牲が必要となります。しかし、博士たちは、「ユダヤの王としてお生まれになったキリスト」に礼拝をささげるためには、多少の犠牲があったとしても構わない、そういう強い信念があったのでしょう。
今の私たちの時代において、クリスマスに礼拝をささげる事は、それ程、難しい事ではないと思うのです。その気になれば、どこかの教会に行けばクリスマス礼拝が行なわれているからです。けれども、キリストがお生まれになったその時に、礼拝をささげる事ができたのは、「東方の博士たち」とルカの福音書によれば「羊飼いたち」だけだったのです。一部の人々にだけ、礼拝をささげるチャンスがあったにすぎないのです。
イエス・キリストは、ユダヤ人の王としてお生まれになったのだから、もっと盛大にお祝いしてもらっても良さそうなのに、実際には、わずかな人だけが、幼子イエス様に礼拝をささげる事ができたのです。
ですから、遠い国からわざわざやってきた博士たちは、世界を代表するかのような特権に与ることが出来、その後、クリスマスと言えば必ずと言ってもよいほどに、博士たちがクローズアップされるようになったのです。すなわち、絵画で描かれたり、讃美歌を通して博士たちに関することが歌われたりするようになったのです。
今、日本に住んでいる私たちは、ヘロデ王のような人物による圧迫や迫害がなく、自由にイエス様の誕生をお祝いできる事に感謝を覚えるのです。しかしながら、今世界中を見渡す時に戦争や紛争が続いている地域が存在します。また、自然災害などによって、不自由な生活が続いている人々も存在します。ですから、そのような人々にも、喜んでクリスマスを迎えることができるように祈っていきたいのです。
さて、東方の博士たちは、幼子イエス様に贈り物をささげました。三つの高価なものでした。「黄金・乳香・没薬」です。これらにどのような意味があるのかは、いろいろな学者が、様々な意見を言っていますが、はっきりとした事は分からない、というのが正直な所です。ですが、どれも高価なものであって、キリストは、これらの高価な贈り物を受け取るにふさわしいお方だった、という事は確かな事です。
こうして、イエス・キリストの誕生は、ひっそりと、限られた人々によって礼拝がささげられたのですが、しかし、その後の歴史を見るとき、世界中でクリスマスに礼拝がささげられるように変わっていくのです。
まとめ
クリスマスとは、イエス・キリストに礼拝をささげる時と言えます。更には、イエス・キリストに献げものをする時とも言えます。もちろん、私たちはクリスマスにおいしいものを食べますし、今日の礼拝後も「クリスマスランチ会」が予定されています。それは、それで意味のある時なのですが、「クリスマスって何する時ですか。」と尋ねられたならば、「イエス・キリストに礼拝をささげる時」と言えるのです。
なぜなら、東方の博士たちが「キリストに礼拝をささげた」と聖書に記録されているからです。彼らは、単にかわいらしい幼子を見に行くためでなく、礼拝をささげるために多くの犠牲を払ったのです。キリストに礼拝をささげる事は、彼らにとって、価値がある事だと考えたからです。
キリストは世界中の人々から礼拝をささげられるにふさわしいお方です。そして、このキリストを通して、私たちに平和がもたらされるのです。神は愛なるお方であり、キリストを通して、私たちに救いをもたらそうとしているのです。
お祈りします。
