2014 年 6 月 22 日

・説教 ヨハネの福音書4章43-52節 「しるしの信仰を突き抜けて」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 19:10

2014.6.22

鴨下 直樹

先週の金曜日の朝7時からワールドカップの第二戦、日本対ギリシャ戦をやっておりました。テレビにくぎ付けになりながら、一所懸命応援している私を妻が後ろから見て、こうつぶやきました。「あなた、まさか、日本が勝つようにお祈りしてないでしょうねぇ」と。

私の白熱した応援ぶりに、祈らずにはいられないような勢いを私から感じたのでしょう。けれども、私はおもわずおかしくて笑ってしまいました。「いくらなんでもそれはしない」と。ただ、その話を聞きながら、もう何年も前の2002年ワールドカップの時のことを思い起こしました。ドイツとブラジルの決勝戦の試合が始まる前に、ブラジルの選手たちがお祈りをしている姿がテレビに映し出されました。その後で、ドイツの選手にカメラが向けられますと、ドイツの選手の中でもそこで祈っている選手がおりました。その試合は、牧師の研修会で御代田にいた時、他の牧師たちとドイツ人の宣教師たちと一緒に見ておりましたので、その時の光景が私の頭の中に深く印象づけられました。その時、私はどっちの祈りを神様はきかれるんだろうかと、思ったものです。結果的にはその時ブラジルが勝ちまして、その時のゴールキーパーのオリバー・カーンがなんとも言えない悔しそうに一人ゴールにたたずむ映像がとても印象的でした。

日本を応援している私と違って、実際に試合をする選手たちにしてみれば、祈りたい心境になるのかもしれませんが、そういう祈りの不思議さといいますか、なんとも奇妙な気持ちは拭い去ることはできません。

私も、洗礼の準備のための学びの中で、祈りについて教えます。まず、何を祈ってもいいのだと教えます。どんなことでも、神様の御前に自分の心を注ぎだしたらいいと教えます。けれども、それと同時に、神様が祈りをかなえてくださるかどうかは、神様の問題なので、それで祈りを聞いて下さらなかったとしても、神様に不信感を持たないでくださいと教えます。

今日の聖書の箇所は、そのことと深く関わっている箇所です。今日のところはヨハネの福音書に記されている奇跡の出来事の二つ目です。場所はガリラヤのカナです。最初に婚礼の奇跡をおこなわれたのと同じ場所です。けれども、ヨハネはそれに先立って、主イエスはガリラヤに行かれたという記事と同時に、主イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と言っておられたと、44節に書かれています。ところが、そのご自分の郷里であるガリラヤで人々は主イエスを歓迎したと続く45節に書かれていまして、そのガリラヤで役人の息子の病を癒されて、53節では「彼自身と彼の家の者がみな信じた」と書かれています。

そう読んでいきますと、気になることが出てきます。人は、主イエスが言われた「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と言われたのはどういう意味なのかということです。もう一つは、ここまでの流れの中で、主イエスを「信じる」ということが、この役人の信仰をどう描いているのかということです。

はじめに、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」という主イエスの言葉はどういう意味で書かれているのかということから考えてみたいと思います。私は愛知県の木曽川町の出身です。今は、市町村合併で、木曽川町という名前はなくなってしまいましたけれども、中学は一つしかありませんでしたから、町の同級生はほとんど知っています。私が牧師になるときに、色々な方に聞かれたのですけれども、父親の後をついで、木曽川の教会の牧師になるのかと聞かれることがありました。そうするといつも私は、めっそうもないと答えていました。私はあまり優秀な子供ではありませんでしたし、地元に行きますと、子供の頃から私のことを知っている友達がたくさんおりますので、そこで伝道するなどということは、考えただけでも恐ろしいことです。ですから、聖書に預言者は郷里では敬われないのだと書かれていることが非常によく理解できました。自分の郷里で伝道をするなどということは私には考えられないことでした。

私たちの教団で、同じく牧師の息子で伝道者となったのは、川村真示先生です。彼は、父親の牧会していた教会をそのまま引き継いで伝道をしています。みなさんもご存知かと思いますけれども、川村先生はとても上手に牧会しておられます。私も見習らいたいと思うほど、よくやっています。けれども、だからと言って、イエス様は自分の故郷では伝道できなかったのに、川村先生は上手にできたというように考えていいのでしょうか。そう考えてみますと、この聖書の言葉はどうもそういう意味ではないのではないかと考えたほうがよさそうです。

ヨハネはここで何を言おうとしているのでしょうか。聖書の解説を読んでおりますと、主イエスが言われた郷里というのは、ご自分の出身地ガリラヤのことと読むのが一般的ですけれども、さまざまな議論がありまして、その一つは、ガリラヤではなくて、ユダヤのこと、もっと言うと、エルサレムのことを指すのではないかという説明があります。このヨハネの福音書では2章ですでにエルサレムに主イエスたちは行っておりまして、そこで多くの人々は主イエスを信じたのですけれども、主イエスはその信仰にご自身をお任せにはなられなかったと書いております。けれども、45節を読みますと、ガリラヤの人々は主イエスを歓迎して、そして、主イエスを受け入れています。そうしますと、これは主イエスの郷里というのはユダヤのことで、ユダヤの人々は信じなかったけれども、ガリラヤの人々は信じたということになります。

もう一つの理解があります。それは、やはり郷里というのは主イエスの出身地をさすガリラヤのことで、このヨハネによると、このガリラヤのカナの人々は主イエスを受け入れて信じたのだけれども、それもやはり、エルサレムの人々と同様に、この多くのカナの人々もやはり見せかけの信仰でしかなかったのだと理解することもできます。ただ、どうもこの部分を見ておりますと、どうもヨハネというのはエルサレムの人であろうと、ガリラヤの人であろうと、本来信仰に生きるべき人々の信仰というのは、別のところに視点がいってしまっているということを描き出そうとしているようです。

というのは、三章では信じない人の代表としてニコデモを登場させて、この四章ではサマリヤの女は主イエスを発見しているのに、弟子たちは見えるものが見えていないと描き出しています。そして、ここでも、ガリラヤの人々は主イエスのおこなったしるしのために喜んで迎え入れているけれども、今日登場する王室の役人は、見えるところではない部分で主イエスを信じたということを明確に語っているからです。

預言者は郷里では敬われないというのは、旧約聖書を見ても、神の民であるイスラエル全体がそうです。神の民のところに、神の言葉を届けるために神の言葉を届けているのに、人々はその言葉には耳を傾けず、自分の目先のことばかりに心が捉えられてしまっているのです。ですから、ここで主イエスが言っておられる郷里というのは、ガリラヤとか、エルサレムというようなある一部の地域を指すというよりも、神の民たちは、その地に生活しながらも、神の言葉に耳を傾けないという意味に解すること以外にないのです。そうであるとすれば、イエス様でも故郷では伝道できなかったのに、私は出来ないとか、私にはできたということではないのです。この言葉はむしろ、神の言葉を聞きながらも、かたくなに神の言葉を拒絶してしまう神の民に向けられていることばということができるのです。

さて、では今日のところに出てくる王室の役人に目を留めてみたいと思います。ここでこの役人はカペナウムにいる自分の息子が病気であったために、主イエスのところに、息子の病の癒しをもとめて訪ねてまいりました。カペナウムというのは湖の近くの町ですけれども、同じガリラヤでもカナは少し離れています。地図の縮尺で見ると20~30キロに見えますが、あるものでは40キロ離れていると書いているものもありました。詳しいことははっきり分かりませんが、目と鼻の距離というわけではなかったようで、ユダヤからサマリヤを通って主イエスがガリラヤに来られたという噂を聞いて、この人は駆けつけてきたのです。ところが、主イエスはその役人に会うと「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」とお答えになられたと48節に記されています。

主イエスはそうお答えになられながら、神の民の信仰を非難なさっておられるのが分かります。しるしが見えている間は、神を信じるのだというのです。

このところの加藤常昭先生の説教がありますけれども、加藤先生はここで、ご自分の友人が参議院選の議員になった話をしておられます。この方は、自分の財産をなげうって選挙の資金を造って議員になったのだそうです。無事に当選して、挨拶状が来たんだそうです。そうすると、そこには、いろいろお世話になりました。これからはお役に立ちたいから、どんなことでも言ってくださいと。代議士になったのだから、あの人のところに行けばなんとかしてくれると思う。その時には、その代議士は、われわれにいつもしるしを見せなくてはならない。実際頼みに行ってみると、そのとおりに事が運ぶ。やはりあいつは偉い、としるしが見えている間は信用する。そのためにお金を出す。ところが落選して、もう当選する見込みがないと分かると放り出してしまう。私たちはそういうふうに国会議員を選んできた。そこが変わらない限り、私たちの民主主義というものはかわらないのではないかと説教しておられます。

昨日も朝、ニュースを見ておりますと、日本の企業がいよいよ軍事産業に名乗りをあげたんだそうです。今まで、日本は戦争をしない国でしたので、軍事産業に名乗りをあげていませんでしたが、今、メッセが開かれていて、世界中が日本のこの新しい産業に注目しているのだそうです。そのテレビでインタビューに答えておられたある日本の企業の方は、これからはこの方面で計り知れない経済効果をもたらすと答えておられました。

今の政治も、なぜ憲法の解釈を大幅に変えてまでこれをするのかというと、そのように持ちつ持たれつの関係があるからです。そうしてこの国にはかりしれない富をもたらすしるしを見せることによって、自分たちの政治が支持されるからです。私たちはそういうしるしがともなうものを当たり前に求めてしまっています。そのように、目に見えるしるしを求める、つまり、自分の利益を求めることが優先されて、そのために神を利用するという自分本位な姿を、主イエスはここでそれを信仰とは言わないのだと非難しておられるのです。

信仰は信頼と服従によると、私がまだ神学生であったときに、当時まだ日本で教えてくださっておられたエミー・ミュラー先生の口癖でよく聞きました。主イエスに対して信頼し、このお方に従うことが信仰なのであって、自分の願いことを必死に祈って、それがかなえられるかどうかということの中に信仰はないのです。私たちは、どうも、相手が神様なのだから、何でもできるはずで、そのような利益が自分にもたらされるのであれば、信じるに値すると考えてしまいます。

主イエスは、ここでこの王室の役人の息子を癒してほしいという願いに対して、はっきりと拒絶しておられることを、何よりもよく理解しなければなりません。「しるし」が、つまり、「対価」が得られるならば信じてもいいというものを、主イエスはここではっきり拒絶しておられ、まさに、そのような誤った理解が、当時の神の民の中に蔓延していたことを明らかにしておられるのです。

けれども、ここで役人は主イエスにはっきりと拒絶されているにも関わらず、主イエスに願い求めます。主イエスがここで大事なことを問いかけておられるのにも関わらず、この役人は、自分の願いを訴えることしかしていません。興味深いのは、ここで主イエスは、「なんと聞き分けのない愚かな男だ、私は今大事なことをあなたに話しているのに」とおっしゃるのではなく、「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」とお答えになられました。ここで、どうやったら、主イエスからこういう言葉をいただくことができるようになるのかという方法を見つけ出そうとすることは意味のないことです。すべては、主イエスがご自分でお決めになることで、こうしたらうまくいくのだから次からはその方法なら祈りにかなえてもらえる、ということではありません。

大切なのは、ここでその主イエスの言葉を聞いてどうするかということです。「その人はイエスの言われたことばを信じて、帰途についた。」と50節にあります。主イエスのこの言葉を聞いて、信じた。そして、それに従って家に帰ったのです。

ここには、最初の奇跡が行われた時のイエスの母マリヤの場合と同じことが記されています。マリヤの願いを主イエスは拒まれたのですが、マリヤは、あの方の言われることをしてくださいと、それでも、主イエスの語られることに信頼しました。ここに、主イエスのことばに対する信頼を、主は問いかけておられることが分かります。主イエスの言葉に耳を傾け、信頼して聞き従う時に、そこで何事かが起こるのです。それは、あらかじめ約束されているのではありません。

今、祈祷会ではヨハネの黙示録を学び続けております。迫害の真っただ中にある教会にヨハネは慰めの手紙を送ります。手紙が届いても、教会の迫害がなくなることはありません。けれども、その手紙の中で、ヨハネは何度も、何度も、天を仰ぎみて、天上の礼拝の姿を伝えます。今、あなたがたには地上の厳しい現実しか見えないかもしれないけれども、心を高くあげなさい。天ではすでに勝利の讃美歌がうたわれているのだ、天ではすでに、神が悪に勝利しておられるのだ。主の言葉を聞いて、信頼に生きるところに、私たちは目に見えるしるしを突き抜けた信仰があるのだと、語り続けています。

そのような姿は黙示録にはじまったのではなくて、主イエスがその生涯をかけて語り続けられたことです。安易な恵みは、私たちに本当の希望を与えません。すぐ手にいれられる祈りの答えは、神への信頼を大きくはしません。神は、私たちにみ言葉を語り続けてらおられます。

この主イエスの言葉への信頼に生きるとき、私たちは、私たちの周りの家族にも、私たちの周りの人々にも、この神の救いの言葉が届けられていくのです。

お祈りを致します。

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