・説教 マルコの福音書2章18-22節「新しい喜びの生活」
2017.10.29
鴨下 直樹
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先週、私のところ一冊の本が送られてきました。「泥の好きなつばめ」というタイトルで辻恵美子さんの書かれたものです。サブタイトルとして、「細見綾子の俳句鑑賞」と書かれていました。いつも、親しみをこめて恵美子さんと呼ばせていただいているのですが、毎月、芥見教会では、「ぶどう木の句会」という俳句の会を、恵美子さんが指導してくださっています。私自身、俳句をつくることが出来ないのですが、いつも会に出させていただくと、俳句をどう読むのか、鑑賞するというのが正式の言い方なのでしょうか、そんなことも分からない程度の俳句の知識なのですが、恵美子さんの鑑賞を聞くのがとても面白くて、楽しませていただいております。ですから、私がこの恵美子さんの書かれた本について何かコメントをする立場にはないのですが、読み始めたらとまらなくなるくらい面白いのです。
私は細見綾子という人を知りません。いつも、恵美子さんの言葉を通して、恵美子さんの先生なのだということくらいしか知りません。この本は、細見綾子という俳人が生前つくられた俳句を、恵美子さんがどう読み取ったのか、どう鑑賞したのかということが書かれているものです。本のはじめに「泥の好きなつばめ」という章があります。どこかでなされた講演を文字に起こしたものだと思いますが、恵美子さんの細見綾子の俳句鑑賞という文章が載せられています。ここを読むと、まるでNHKの朝のドラマにでもなりそうな細見綾子という人となりが記されていて、この人が折々に作った俳句のことが紹介されています。
この細見綾子という方は明治40年に丹波で生まれた方です。若い時にほんとうに苦労されたようで、十三で父親を亡くしますが、母親の尽力でその後、東京の日本女子大に入ります。卒業して医者と結婚しますが、その夫が二年で結核のため亡くなってしまいます。その後、やむなく故郷の丹波にもどりますが、今度は三か月後に母親を亡くし、その四か月後には自分も肋膜炎を患ってしまいます。そういう中で俳句と出会って俳句をつくるようになったのだそうです。この時、まだ22歳です。私が面白いと思うのは、そういう中で、俳句が作られていって、その俳句の鑑賞というのはどうやるのかというと、その俳句が作られた時の細見綾子という人の生活がどうであったか、そのころ何をしていたのか、どういう状況の中で生まれた俳句なのかを丁寧に解説していくわけです。たとえば、こんな俳句があります。
ふだん着でふだんの心桃の花
昭和13年。31歳の時の俳句だそうです。そうすると、解説で、この時は療養のために大阪に出て来ている時、きっとこの当時のふだん着というのは木綿縞じゃないでしょうか、などいうことが書かれていて、その頃住んでいた池田というところに桃畑が一面にあってそれを読んだ句で、心が躍っているのが分かると書かれています。
どんな状況で、どんな場所で、どんな気持ちでこの俳句を作ったのかということを、読み取っていくわけです。たった17音という短い言葉なのに、意外にもいろんなことが分かってくるのだということに驚きを覚えます。
私がこの本を読みながらとても興味を覚えるのは、基本的に、聖書を読み取るのもおなじだなということに気づかされるわけです。私は、今名古屋の神学校で、聖書解釈学という講義を教えています。しかも、私の受け持つのは、信徒奉仕者コースの受講生がほとんどです。牧師になる方ではなくて、信徒という立場で、教会で奉仕をするために学びに来ている方々が多いのです。そういう方に、聖書をどう読むのかということを教えるわけです。
聖書解釈学なんていう名前になると何か難しそうな気がするわけですが、俳句と同じで、その文章が書かれた状況、背景を知ることから始めます。ドイツ語で「ジッツ・イム・レーベン」なんていう言い方をします。「生活の座」と日本語では言います。その当時、どういう生活に腰を下ろしている状況だったのかを理解することから始めるわけです。
細見綾子という人が、31歳の時に大阪の池田という町で転地療養をしていて、その池田の石橋というところに、桃畑が一面あって、きっとそのころは木綿縞を着ていたのではないかということを、この17音から読み取ると、この短い言葉の中にどんな気持ちが働いていて、どんな景色を見ていたのかが、ふわーっと広がってくるわけです。
聖書を読むのもそれと全く同じなんです。今日の聖書の中に断食の話しが出て来ます。当時の着物の話しがでてきます。あるいは、当時使っていたぶどう酒を入れた入れ物のことが書かれています。今から二千年以上も前の生活のことです。しかも、日本ではなく、イスラエルです。ですから、私たちにはイメージできなくて当たり前です。「木綿縞」という今から50年ほど前にはごく当たり前のふだん着でも、今の私たちにはあまりなじみがなくなってしまっているので、どんな着物なんだろうとインターネットで調べると、初夏に着る着物だということが書いてありました。分かる人には、調べるまでもないこと、当たり前のことでも、時間がたつと分からないことが出てくる。けれども少し調べてみて、こういうことが分かるようになると、途端に今までぼやーっとしていたものが、見えるようになるわけです。
断食。今だと、食べ過ぎの人が調子を崩して、もう一度リセットするために断食がいいなどと勧められることがありますが、ほとんどの人はあまりしないのではないかと思います。けれども、この時代は違いました。二種類の断食があるのですが、一つはレビ記16章に記されている贖罪の日の規定で定められている断食がありました。これは第七の月の10日に全イスラエルに課されていた戒めです。あるいは、悔い改めの時などにも律法に定められていた断食というものがあります。これは、神の民は誰もが守るべき習慣となっていました。けれども、もう一つの断食は、特にパリサイ人たちが行っていたもので、修得のために週に二回、月曜日と木曜日にも断食が行われていたようです。その他にも、祈りと施しというのがあって、義人はこの三つを行う事によって、敬虔な民であることのあかしとしたようです。
しかも、このように敬虔な神の民の証というのは、パリサイ派の律法学者だけでなくて、バプテスマのヨハネの弟子も、同じように断食を生活に取り入れていたようなのです。今でも、そうでしょう。敬虔なクリスチャンという言葉があります。色々なイメージがあると思います。昔でしたら、お酒を飲まない、タバコを吸わないというようなイメージであったかもしれません。あるいは、聖日厳守などという言葉が言われたこともありました。聖なる日、主の日には必ず礼拝に集い、献金をし、奉仕をよくする。そして、生活の中でも生きたクリスチャンとしてふさわしい証の生活をする。そういうクリスチャンのイメージが、敬虔なクリスチャンというイメージの中にはあると思います。
禁欲的な生活をし、積極的に他の人に対して愛の行いを示す。そうして、敬虔な生活を築き上げるというのは、何も非難されることはない立派な生き方です。同じように、この時代、聖書に厳格に生きようとしたパリサイ派の律法学者が断食をし、また、悔い改めの重要性を説いたバプテスマのヨハネの弟子たちが、まさに悔い改めを表すために断食をしたというのも、まったく当然の結果であったはずです。ですから、なぜ、主イエスの弟子たちは断食をしないのかと、ここで問いかけられているというのは、神の御前に敬虔に生きようとしている者からすれば、至極当然の問いかけだったのです。
私の想像ですけれども、すでに主イエスの弟子となっていた弟子たちとしても、改めて気づかされたのではなかったかと思うのです。「本当だ、私たちも断食をしなくてはいけないではないか」。そう気づいて、断食をするようになったと、ここに書いてあっても何の不思議もないのです。
今日の箇所の面白いのはまさにそういう中で、主がこの問いかけに対して何と答えられたかです。今日のところは、最初の18節だけが問いかけで、後の部分は全て主イエスの答えです。主は何とお答えになられたかというと、「結婚式の花婿の友達は、喜びの食卓について一緒に喜んでいる時に、断食など必要ないでしょう」と答えられたのです。20節では、けれども、断食が必要ないのではなくて、ちゃんと必要なときにはしますよということでした。何といいますか、少し答えをはぐらかされたような印象さえ持ちますが、しかし、この主のお答えの中に、主イエスの弟子として生きるということはどういうことなのかということがちゃんと答えられているわけです。
それが、その後の二つの短いたとえ話しです。21節にこうあります。
だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。
そもそも、最近では服に継ぎを当てて着るというようなことをあまりしなくなってしまいましたので、少し分かりにくくなってしまっているようですが、この教会のみなさんはよく分かると思います。それこそ、先ほどの木綿縞なんていうのは継ぎを当てたりしたのでしょうか。私はあまりよく分からないので、余計なことは言わないほうがいいのかもしれません。私も子どもの頃、スボンの膝のところに穴をあけては、母が継ぎを当ててくれていました。カッコ悪いから新しいのを買ってくれと頼みましても、家にはそんなお金はないと言って、いつも継ぎの当てたズボンをはいていました。
もっとも最近はズボンという言葉も使わないのかもしれません。ジーンズといった方がいいのかもしれません。最近はかっこいいワッペンのようなものが売っているのを少し前にお店で見かけたことがあります。そんな様子ですから、この当時の布地がどういったもので、どんな継ぎを当てたのかというのは少しはっきりしなくても、話としてはよく分かるわけです。新しい布はまだ硬いので、古くて弱くなっている布に硬い布を当てると、かえって弱い布を傷めることになる。
断食というのは、それまでの古い生活習慣の継ぎ当てのように考えることができるというわけです。立派な、敬虔な生活にほころびが出ないように、良い生活習慣、断食とか、祈りとか、施しとか、それこそ、破れてしまったジーンズに、綺麗なワッペンでも張り付けるかのように、自分の信仰の生活に継ぎを当てる。見た目にも良いものでプラスアルファしようとするのです。
それは、よく分かるのです。自分の生活に何かプラスアルファをするかのように、断食をすることで、自分の生活が立派であるような気持になる。断食だとか、人前で長々と祈るいわゆる律法学者たちが好んでした人前での長い祈りや、施しというのもそうです。人にアピールすることによってそこで、見返りを得るわけです。
最近、よく耳にするようなった言葉で、「インスタ映え」という言葉があります。芥見教会の方はあまり耳にすることが少ないかもしれませんが、「インスタ」というスマートフォンのアプリなんですが、あっ、スマートフォンとかアプリが分からない方は後で聞いてください。自分で撮った写真を紹介するアプリがありまして、そこで、自分の生活がどれほど充実した生活をしているかをアピールするために、写真写りのよいスポットや、光景を捜してインスタというところで、紹介するのが流行っているようです。そのインスタで紹介するのに映えるものを捜しまわっているというのです。それを「インスタ映え」なんていう言い方をするわけです。それも、このパリサイ派の律法学者の断食と同じです。自分がいかに充実した生活をしているか、みんなに知ってもらいたいと思うので、一所懸命に、自分の信仰の充実ぶりをアピールするのです。
ひょっとすると、信仰も同じように考えているかもしれないわけです。自分の生活がより良いものとなるために、教会で聖書の話を聞いて、自分の生活にちょっとよいものをプラスする。そうやって、ちょっとしたプラスアルファを求めて、教会を訪ね、主イエスと共に歩もうとする。けれども、主と共に歩んで行こうとするというのは、自分の生活にちょっといいことをプラスアルファするというようなことでは収まらないのです。
パリサイ派やヨハネの弟子も、最初は真剣なはずだったのです。神に対して真実な歩みをしたいということだったはずなのです。けれども、そうやって、人と違う生き方をしていきますと次第に、自分が立派な生き方をしていて、他の人との違いが分かるようになってきます。そうやって、自分たちが立派な生活をすることを意識し始めると、だんだんと、神と共に歩む生活ではなくて、ちゃんとやっている自分ということに心が向かっていってしまう。そして、気づいてみると、ちゃんとやっていない人のことが気になってしまって、他の人のことを見下してしまうようになってしまう。結果として、自分にとって主イエスと共に歩むということがどんな意味を持っているのかという、一番大事なことを忘れることになってしまうのです。
ここで、主イエスが言われているのは、私と共に歩むということは、自分の人生に何か少しプラスアルファするようなことではなくて、自分の生き方そのものがまったく変わってしまうような、新しい、生き生きとしたものなのだということです。
それは、ちょっと継ぎ当てに使おうとしようものならば、その人の生活をダメにしかねないほど、生き生きとした力強いものなのだということなのです。それは、その後のぶどう酒と革袋のたとえの中でも明確に語られています。
主イエスと共に歩むこと。それは、たとえば、前のところに記されていた取税人のレビを見てみてもそうです。今まで誰からも見向きもされず、疎まれることはあったとしても、誰も積極的に声をかけてくれるようなこともなく毎日過ごしていたのです。ところが、主イエスと出会って、主イエスに受け入れられることを知って、レビはどれほど嬉しかったことでしょうか。しかも、ただ、誰かに認めてもらえたということにとどまらず、まさに神の目に叶うものとして生きることができるのだという喜びを知ったのです。自分の人生は主と共に歩むことで、新しくされるということが分かったのです。主イエスと一緒に生きるということこそが、喜びの生活の土台であることを知ったのです。それは、他の誰かに、なぜ断食しないのかと、とやかく言われるようなことではなのです。まさに、ここにこそ、主イエスと一緒に生きる事こそが、新しい喜びの生活、そのものとなったのです。
私たちの主は、私たちが自分で自分の生活を立派に見せるために、人前で充実しているように装って生きる虚しさから解放し、私たちが心から喜ぶことのできる新しい生活を与えることの出来るお方なのです。
お祈りをいたします。