2020 年 12 月 24 日

・聖夜燭火礼拝説教 ルカの福音書1章26-38節「お言葉どおりこの身になりますように」

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2020.12.24

鴨下 直樹

⇒ 説教音声の再生*1はこちら

*1:ライブ録画から抽出した音声を掲載しています。聞きづらい点はご容赦ください。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 今日、私たちに語り掛けられている言葉はこういう言葉です。

「おめでとう、恵まれた方。」

 スマートフォンでインターネットの記事を読んでいると、突然、「おめでとうございます。」という画面になって、よく読んでみると、「アイパッドが、あなたに当選しました。」という画面が突然現れたことがあります。そうすると、私はすぐにその画面を消して、検索をかけます。「アイパッド、当選」と検索しますと、すぐに「当選詐欺」という情報を見つけることができます。

 今から20年も前のことですが、当時はFAXでしたが、シェル石油のゼネラルマネージャーを名乗る人からのFAXでした。私と同じ苗字の、シェルのナンバー2の方が家族で事故にあってしまい、その莫大な遺産、たしか何千億円だったかという金額が書かれていました。そのお金が、もうすぐ政府に没収されてしまいます。そのため、誰かにこの遺産を引き継いでもらいたい。あなたはたまたま同じ苗字なので、あなたにその権利を差し上げたいので、銀行口座と名前、そして、暗証番号をFAXして欲しいという内容のFAXがナイジェリアから届いたことがあります。

 なぜ、暗証番号が必要なのかと思うわけです。不思議なもので、詐欺だとすぐに分かるのですが、少し夢があります。一瞬そんなにお金貰ったらどうしようかなぁなどと考える自分がいます。

 私たちはこの「おめでとう、恵まれた方」という言葉ほど、今日うさん臭い響きの言葉はないということを知っています。

 しかし、私たちはこのクリスマスに改めて、この言葉を聞きたいのです。

「おめでとう、恵まれた方。」これが、クリスマスの出来事の神からの最初のメッセージだったのです。

 今、私たちはそれぞれに、さまざまな異なる状況を抱えて生きています。誰もが、嬉しい思いで毎日生活しているわけではありません。今年、とりわけ今年のクリスマスは、世界中が闇に覆われた年のクリスマスだと言えると思うのです。

 この世界中に爆発的に広がっているウィルスのために、経済が停滞しています。外出自粛がまた叫ばれています。病院はひっ迫し、適切な医療を受けられない方々が沢山います。今、病気の人たちがいます。家族とこの年末年始も会うことができない人もいます。経済的にとても厳しい人たちも少なくありません。将来の姿が描けない中で、私たちは今、この聖書の言葉を聞こうとしているのです。

 そんな中で、何が「めでたい」と聖書は語ろうとしているのでしょう。不安しかない、押しつぶされそうな思いの中で、この聖書の言葉を聞こうとしているのです。

「おめでとう、恵まれた方。」

 何もおめでたくない。そんな言葉を聞くのもつらい、そんな中で、神はこの言葉を私たちに届けようとしているのです。

 何が、「おめでとう」なのでしょうか。クリスマスにはどんな喜びがあるというのでしょうか。

 ひょっとすると、私たちはこうして、教会に集まっては来ますが、本当のところ、クリスマスのめでたさなんていうものを、そもそも期待してここに来ているのでしょうか。

 この知らせを受けたマリアは、この時まだ十代の少女でした。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

 
 当時は、スマホなんてありませんから、すぐに検索するというわけにはいきませんので、そうであれば考え込むしかできません。これは、いったいどういうことなのか?

 すると御使いは、こう告げます。

「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」

 本人の同意もなしに、一方的に、男の子を産むだろうと言うのです。何かが当たりましたというような知らせでは済まないのです。

 マリアは婚約していました。それなのに、子どもを産むことになるという知らせは、「おめでたい」知らせではありません。はた迷惑な話です。この神からの一方的で、拒否権もない、この知らせのどこに、おめでたさがあるというのでしょう。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

主はそのように語り掛けられるのです。この知らせがめでたいというのです。

 そうです。この時知らされたマリアへの神からのメッセージは、神が決断しておられたことがついに実行に移されるための第一声だったのです。

 まさに、この闇に支配されてしまった、この病理に冒されたこの世界を、神は手術するために、ついに、その治療のために身を乗り出して下さったのです。

 神がこの世界にメスを入れる、その最初の知らせが、今、まさにこの少女に告げられたのでした。神のこの世界を救う大手術が、今から始まる。それは、まずあなたを通してなのだと、神はここで告げているのです。

 「私、失敗しないので」と言う女医のドラマがありました。しかし、「私失敗しないので」と言える医者は、神以外にはありません。この全世界に広がった病理のもとであるガンを、罪を乗り除くために、神がいよいよ長い沈黙を破って、執刀を開始してくださるというのです。

 だから、この知らせは福音なのです。「おめでとう!」と本当にいうことができる、唯一のめでたい知らせが、この知らせなのです。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

 しかし、マリアはこの突然の言葉を受け止めることができません。この言葉の本意が分かるのは、後になってのことです。

 御使いはそれでも語り続けます。

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」

そして、親類の高齢であるエリサベツも子を宿していると言い、更にこう語りました。

「神にとって不可能なことは何もありません。」

 
 そうです。神にとって不可能はないのです。神は、ご自身の計画を成し遂げるために、長い間、忍耐し、備えて来た神の救いの業が、いよいよ実行に移されるのです。

「神にとって不可能なことはないのです。」

 行われるのは、神の御業です。神のご計画なのであれば、それは必ず成し遂げられるのです。

 マリアは、それを受けて、こう言うことが出来ました。

「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」

 これが、クリスマスの信仰です。喜びの知らせを受け取る者に、求められる信仰の姿です。

 神は、神のご計画を、その人を通して行われるのです。ある時はマリアを通して、ある時は、わたしを、そして、あなたを通して、神は御業を行われるのです。

 私たちの状況がどうであるかは、神にとって何の問題にもなりません。神に不可能なことはないのですから。

 私たちは、ただ、神の御業を受け入れる信仰を、神は求められるのです。あとは、すべて神の御業です。

 そして、神のこの大手術は、すでに大成功を収めているのです。私たちはそこまですでに知らされているのです。

 神は、今日、私たちにこう語り掛けておられます。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と。

お祈りをいたします。

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