・説教 創世記25章1-18節「その後のアブラハム」
2020.05.10
鴨下 直樹
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20年ほど前のことです。当時私が牧会していた教会に、音楽をやっている20代の女の子が来るようになりました。毎週、教会に集い、よく説教に耳を傾けていました。あるとき、当時私は教団の学生や青年たちの担当していたこともあって、教団の青年の交わりに、その女性を誘いました。同世代の子たちと仲良くなれるといいなと思ったのです。ところが、彼女は、私が青年たちとはしゃいでいる姿の方に驚いたみたいで、終始、周りの青年たちに鴨下はいつもこうなのかと聞いてまわっていたのです。どうも、日曜の私の説教の姿と、青年たちと一緒に騒いでいる姿が重ならないので、そのギャップに驚いていたのです。
その当時、わたしの普段のイメージを知っている方の教会に、礼拝説教者として呼ばれたことが何度かあったのですが、よく「先生の説教は案外普通なんですね」と言われました。暗に面白い話を期待していたようなのですが、それほどでもないので、がっかりしたようです。私としては何とも申し訳ないのと、どんなのを期待していたんだろうと、そのころはずいぶん悩みました。
今もそれほど変わっていないのかもしれませんが、どうも私に期待しているものと、実際の私には大きなギャップがあるのかもしれません。今、目の前に人がおりませんので、こういう話を誰もいない会堂でやるのはちょっと勇気がいります。今のは一応笑うところです。
私に限らずですが、私たちはきっとお互いにそんなところがあるのだと思います。いかがでしょうか。教会に来ている時の自分の姿が、自分のすべてではない。なんとなく、そんなギャップに苦しんでいる方もあるかもしれません。
人にはいろいろな顔があります。人に見せてもいい姿と、人にはあまり見せたくない姿。そして、この人たちには自分のマイナスの面を見せたくないとか、あるいは、本当の自分を知られたら困るとか、そんな思いがひょっとすると、どこかにあるのかもしれません。
今日のアブラハムの姿は、まさにそんなアブラハムの新しい一面を垣間見せるものです。というのは、アブラハムにもう一人ケトラという側女(そばめ)がいたというのです。しかも、6人も子どもがいたというのです。ちょっとこの最後にきて耳を疑いたくなる話です。今までのは一体何だったのと言いたくなります。
私たちは何となく、聖書を順に読んでいきますから、息子のイサクがリベカと結婚したので、その後でアブラハムが再婚したようなイメージで読むのですが、どうもそういうことではないようです。100歳のアブラハムに子どもが生まれるのは難しいと言っているのに、イサクが結婚した後ということは、アブラハムは140歳を超えていることになりますから、そうやって読むのは現実的ではありません。1節に「再び妻を迎えた」とありますが、これは恐らくハガルを妻としたときと同じようにという意味なのでしょう。ですから時期としてはまだサラがいた時のことだと考えた方がよさそうです。ただ、ハガルの子、イシュマエルはアブラハムの子孫とされていませんから、ケトラの子たちも、同様にやがて「東の国に行かせた」と6節にあるように、アブラハムの子孫のようには考えられていなかったということなので、最後の最後まで物語の中心にはなりえないということで、これまで書かれていなかったということなのでしょう。
こういうアブラハムの一面を、最後の最後に聖書はなぜ書くのかという思いになるのですが、それが聖書です。都合のいい部分だけでなく、その人となりを描くことによって、アブラハムという人物の姿を描き出しているのです。
宗教改革者カルヴァンなどは、この記述はそうとう気に入らないようで、「われわれは、ここでどうも賞めることのできない族長の行動を目にするのである」と不快感を示しています。
けれども、聖書はこのようにアブラハムの別の一面を書くことを通して、これもアブラハムなのだという事を、物語っているわけです。
私たちは、人に見せたくないような部分があったとしても、それも含めて神は私たちを見ておられるお方です。そして、そういう部分があったにせよ、神のアブラハムへの評価は変わることはないのです。そして、このことは私たちにとって大きな慰めとなります。私たちは、自分の良い部分だけで人に評価して欲しいと望みます。けれども、神は私たちのすべての姿を、そのまま知ったうえで、私たちを受け入れてくださるお方なのです。
そして、つづく7節と8節にこのように書かれています。
以上がアブラハムの生きた年月で、百七十五年であった。アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして、自分の民に加えられた。
アブラハムはとても長生きだったようです。にわかには信じがたい年齢ですが、ここにも聖書は大きなメッセージを伝えようとしています。
アブラハムは75歳まで父テラと共に、カルデヤのウルにおり、そこから旅をはじめてハランまでやってきます。このように、父と共に過ごした時間が75年間、そしてそのあと、父を亡くし、子も与えられない期間として25年間をカナンの地で過ごします。この間のことを聖書は多くの分量をさいてアブラハムの生涯について記録しています。そして、100歳でイサクが与えられて、その後75年間、息子と共に幸せな期間を過ごしたということになるわけです。つまり、はじめの75年。試練の25年。そして、晩年の幸いな75年という書き方になります。これは、アブラハムは途中100までとても厳しい試練を経験したけれども、その後3倍の期間、幸せに過ごしたのだということを表そうとしているようなのです。
こういう書き方は聖書の至るところに現れます。一つだけ例をあげるとすればヨブなどもそうです。ヨブははじめ豊かなものを神様から与えられていますが、試練を通してそのすべてを失ってしまいます。しかし、試練の後に、失った以上のものを与えられます。そして、家畜などが二倍になったと書かれています。そういう書き方は聖書の中に何度も出てくるのです。
聖書は、その時にアブラハムの幸せな期間のことを、それほど丁寧に書いていませんが、この8節だけで十分と言えるほど、アブラハムにとって幸せな期間であったことを物語っています。
アブラハムは幸せな晩年を暮らし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。
幸せな晩年を暮らす。この芥見にはすでに退職をされておられる方が何人もおられます。時折、訪問をさせていただくと、お庭で草を取っておられたり、近所の方と話しておられたり、ご夫妻で畑仕事をされていたりという姿を見ることがあります。あるいは皆さんのお話を聞いていると、長い距離を散歩されていたり、家で時間を作っては聖書研究をされていたり、俳句の吟行をされていたり、様々な時間の過ごし方をされているのを聞かせていただいています。そのような毎日の生活というのは、ドラマチックなものでもなく、人に話して聞かせるには、少し物足りなく感じるような生活なのかもしれませんが、私はとても素敵な時間を過ごしておられるみなさんの姿を、憧れをもって見ています。
「年老いて満ち足り」新改訳はそのように訳しました。とても、魅力的な翻訳です。晩年に、そのようにいられることは何という幸いなことなのでしょう。いつも、足りない、足りないと無いものに目が向いてしまうこともあり得ます。私自身、そうなってしまうのではないかという不安を持っています。
「年老いて満ち足りる」そんな晩年を過ごすことができたアブラハムは、まさに神がすべてを与えてくださることを、その人生の中で経験してきたのだと思うのです。
先週のことです。いつも、教会で「聖書のまばたき」というみ言葉のメール配信を教育部が行ってくれています。それが、2000回を超えました。その前に「芥見ネット」という配信をしていましたので、それも合わせればもう何回続いたことでしょう。そんな話をしていましたら、いつも、パワーポイントの奉仕をしてくださっているOさんは、「今日は二千○○○回目の礼拝ですよ」とおもむろに言われてびっくりしました。芥見教会の礼拝も、40年ほど前からはじまって、今日で二千何回という(正確な数字をわすれてしまいましたが)数字が出てくるのです。この人は礼拝の数を覚えていて、すぐに言えるのかとびっくりするのです。
神様のしてくださった恵みを数える。それは、本当に小さなことの積み上げでしかありませんが、ここにもなかなか目に留まらないけれども、私たちにはたくさんの神様からの贈り物が届けられているのだという事を改めて気づかされました。
今日は、母の日です。今年は、外出自粛のために花屋さんのお花が売れないのだそうです。そんなことで、今年は母の日ではなくて、母の月にしようという呼びかけがなされているのだそうです。母に感謝するときを忘れないということです。けれども、毎年思うのですが、母への感謝ということも、本当にいつも心に留めて、事あるごとに口にすることが大切なのでしょう。なかなか口下手で、そういう時でないと感謝を表せないということもあると思います。そうやって、母への感謝を表す。これもとても素敵なことです。
キリスト者の詩人で河野進という方がおります。この方は、牧師として、岡山にありますハンセン病の人たちの施設で働いた牧師です。この河野進が三冊の詩集をだしているのですが、それぞれ「母」というタイトルをつけています。二集のタイトルは、「続 母」、三集は「続々 母」というタイトルです。この方の「続々 母」という第三の詩集にこういう詩が載っています。
「いっしょにねる」
お母さん
ぼく目がさめたら
じっと見てる
ぼくねむったらねるんな
いつも起きてるのとちがうか
いつの時に作った詩なのか詳しいことは書かれていませんが、この河野進の詩集の中には母をテーマにした詩がいくつもあります。この詩は、子どもがまだ小さな時のことなのでしょうか。それとも、子どもが病気の時なのか、あるいは、いつもこの母親は子どもを見つめながら過ごしていたのでしょうか。いろいろな想像が頭に浮かんできます。
母の愛に触れる喜びを、この詩人は沢山の詩で表現しています。
母のしてくれたことへの感謝を思い起こしてみる。これもまたとても素敵なことです。心が豊かになることです。ひょっとすると、気づいていなかった新しい母親の側面を知ることになるかもしれません。そうやって、母親に対する思いを、思い出すとき、私たちの心は自然に感謝の思いが浮かんできます。
「年老いて、満ち足りる」
このごく短い言葉の中に、その人の様々な人生の喜びがにじみ出てきます。そんな満ち足りた晩年の歩みに、とても心が惹かれます。母だけでなく、父親や、家族に対する感謝。さまざまなものに心を向けることを知る喜び。ないものにではなく、与えられているものに目をとめる歩み、そのような歩みというのが、神の祝福なのだということを、ここでもう一度知らされるのです。
アブラハムの死後、イサクとイシュマエルがともにマムレにあるマクペラの洞穴にアブラハムを葬ったと書かれています。このような箇所に目をとめる時も、とても大きな慰めを覚えます。イシュマエルとイサク、共に離れ離れの歩みをするようになったのに、父の葬りは一緒に行ったという、この出来事が、アブラハムの晩年にまた一つの花を添えることになるのです。
この後、13節以降で、そのイシュマエルについても、簡単な報告が記されています。イシュマエルもまた、神の祝福を経験し、12人の子をもうけ、その中に、イシュマエルも葬られることになったと記されています。それは、ごく簡単な書き方ですが、神はこのイシュマエルにも目をかけてくださっていたことが分かります。
神は、アブラハムの最後に、息子たちによって葬られるという幸いを残してくださいました。これは、何という祝福なのでしょう。
私自身もこれまで何度となく葬儀を行ってきました。最近は家族だけの葬儀も多くなりました。その中でもやはり、葬儀の時に家族や兄弟がそろって葬りをする姿を見る時に、私自身、その葬儀に大きな慰めがあることを覚えます。この方にもこういう家族がいて、それぞれがその歩みをしている。この葬儀は家族にとっては悲しみの時ですが、同時に、神の守りを改めて気づかされるときなのだということを、いつも感じています。その人にも、血のかよった結びつきがあるということは、決して小さなことではないのです。
聖書は11節でこう記しています。
アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。
そのように記されています。イサクが住んだのは、アブラハムが住んでいたヘブロンのベエル・シェバやマムレの樫の木のふもとではなく、ハガルがアブラハムのところから飛び出して、神からの慰めを得て、「エル・ロイ」と告白した土地に、イサクは住んだようです。それは、親としては少し寂しい思いがするのかもしれません。しかし、イサクにはイサクの歩みがあります。それは、それでいいのだと思うのです。たしかにイサクが生活したのはアブラハムが愛した土地とは少し離れた場所でした。けれども、「神は、彼の子イサクを祝福された」と書かれています。
アブラハムに与えられていたのは、神の祝福です。神によって与えられた祝福です。ここにある「神は」との短い言葉の中に、イサクの祝福された生活の主語は神であるということが、語られています。神によって、祝福が与えられるのです。この神の祝福は、アブラハムの全生涯にあったように、イサクの生涯にも及ぶというのです。そして、それは絶対大丈夫という約束を得たのと同義です。
神を主とする、あるじとする人生には、神の祝福がもたらされるのです。それは、人生の晩年に至るまで、「年老いて満ち足りる」という具体的な祝福です。神は、この祝福をアブラハムの子孫である今日の人々にも同様に、この祝福を約束してくださっています。主を信じるということは、このような祝福に預かることなのだという、この幸いを、神は私たちに与えて下さるのです。
アブラハムにも信仰的な部分と、影の部分とが確かにありました。しかし、それでも神の祝福は与えられるのです。神は、人の罪を赦されるお方です。この主が、光の部分と闇の部分を併せ持つ、私たちをも祝福してくださるのです。そして、闇の部分、影の部分が、私たちを大きく支配しているのではないのだという幸いを、私たちの晩年に至るまで約束してくださるのです。
この主の祝福が、皆様の上にあるように祈ります。
お祈りをいたします。