2021 年 7 月 25 日

・説教 ローマ人への手紙2章17-29節「御霊による心」

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2021.07.25

鴨下 直樹

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午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 先週金曜日、東京オリンピックの開会式が行われました。ご覧になられた方も沢山おられると思います。先日、岐阜県が発行しました、『岐阜県ゆかりの選手応援ガイドブック』というものを頂きまして、見ておりましたら、この岐阜市からも色んな選手が出るようです。私も知らなかったのですが、今回からの新しい種目で、スケートボードに出る岡本みすぐ選手はこの岐阜市在住で、何と15歳なんだそうです。しかも、世界ランク1位というので、私も楽しみにしています。

 そのパンフレットの中に、岐阜県の色んな市町村が、オリンピックに参加する国のホストタウンとして掲載されているのですが、この近くでは八百津町という町があります。この町は可児教会のクリスチャン・ワイゲル宣教師が、住まいを置きまして、そこで伝道をしている町です。この八百津町はイスラエルのホストタウンになっているということでした。そういうオリンピックへの関わり方もあるのだと改めて知らされております。

 昨年の末から、水曜日の聖書の学びと祈り会の時に、「ざっくり学ぶ聖書入門」の学びを始めました。先日27回目で、旧約聖書の学びを終えました。それで、次回は旧約聖書と新約聖書の間の期間、この期間のことを中間時代というのですが、ここの学びをしようと思っています。

 実は、私が神学生の時は、ちょうど、この講義の担当の先生がいなかったので、私はこの学びをしたことがありません。それで、今、この講義を担当している古知野教会の岩田先生に、何かいい本はないかと聞きましたら、一冊の本を教えてくれました。『マンガ・聖書時代の古代帝国』という、いのちのことば社から出ている本です。

 中間時代というのは400年あるのですが、この本はイスラエル滅亡の頃からの約700年間を、マンガを交えて解説しているものです。この新約に移る前の700年の間に、イスラエルは、国が滅んでしまいます。そして、その後2000年以上にわたって、国土を持たない離散の民になってしまうという経緯があります。

 この中間時代と呼ばれる時代は、聖書には書かれていないのですが、イスラエルがさまざまな近隣の強国に支配されながら、何とか生き抜いていくという大変な時代です。

 その当時、このユダヤ人たちの信仰は、非常に倫理的であり、内容的にもあまりにも良く整えられていたので、ユダヤを支配したギリシャは、このユダヤ人たちの信仰に、とても興味を覚えます。そして、ユダヤ人たちを保護する王が現れる時もあれば、迫害される時代も迎えます。そんな中で、ユダヤ人たちは、パリサイ派とサドカイ派とに分かれていきます。サドカイ派は、ギリシャの思想を取り入れていきますが、パリサイ派は、できる限り聖書に厳密な立場を取ろうとした人々でした。そして、サドカイ派はエリート意識が強い人々でしたが、パリサイ派は庶民も、また異邦人をも巻き込んでいくという形態になっていくわけです。この辺りのことが、とても詳しくこの本の中には書かれています。

 そんな中で、パリサイ派の人々は、律法を大事にすることと、割礼を受けることで、異邦人であっても、ユダヤ人として歓迎していくというやり方で、各地に宣教師と言いましょうか、伝道者を遣わしていったのです。

 今日のパウロの手紙を理解するためには、こういう背景を知っていると、とても理解しやすくなります。つまり、このようなユダヤ人たちの宣教師、もっと言うとユダヤ教宣教師たちは当然、ローマにも沢山入っていたわけです。そして、ローマにいるユダヤ人キリスト者たちは、このユダヤ人宣教師たちの教えを色濃く受けていたので、パウロがこの手紙をローマに書く時には、まず、その人たちに向けて、主イエスの福音とは何かということを、丁寧に説いていく必要があったのでした。

 しかも、パウロもこの人たちを切り捨ててしまう、いわゆる “キリステ教” の立場を取ることもできたのですが、そうしないで、その人たちにも、どうしても、このユダヤ教の考え方と、キリスト教の違いというものを理解してもらわなければならないと考えました。これが、難しいわけです。

 こういうのはダメ、と切り捨てるだけなら簡単ですが、自分の間違いに気づいてもらって、なおかつ、正しい考え方に変わってもらう必要があるので、気を付けた言い方をしなければなりません。

 先週、私は律法のない人の生き方を説明するために、我が家の犬の話をしました。いたずらばかりする犬は、救いようがないのだと、まあそこまで言ったつもりはないのですが、そんなニュアンスがありました。後で、家に戻りましたら、妻から猛抗議を受けまして、あれではうちの犬が可哀想過ぎる説明だと言われてしまいました。

 確かに、そうだったかもしれないと反省しているわけですが、パウロはここで、かなり厳しい言い方をしているのですが、私と違って切り捨ててはいないのです。何とか、この人たちに変わって欲しいと願っているのです。

 パウロはこの17節で「あなたが自らユダヤ人と称し、」と語り始めていまして、ここの文でパウロが「あなた」と呼んでいるのは「ユダヤ人」の事だということがはっきりと出てきてしまっています。ユダヤ教の伝道によって聖書に近づくようになった人たちもいたのです。そして、そういう人々にキリスト者たちは伝道していって、教会が生まれていったのです。

 この17節と18節では、当時のユダヤ人の誇りとしていたものが4つ記されています。第1に記されているのが「律法を頼みとする」ということです。第2は「神を誇る」ことです。第3は「神のみこころを知っている」ことで、第4は「律法から教えられて、大切なことをわきまえている」ということです。

 この4つの大切なことを持っているような立派な人なのに、なぜそう生きていないのかということを、パウロはここで指摘しています。

また19節と20節では、自分たちのことをどう理解しているかが、ここでも4つ語られています。それが、「目の見えない人の案内人」、「闇の中にいる者の光」、「愚かな者の導き手」、「幼子の教師」という4つの言葉で表現されています。

 特に、この後半の4つは、なかなか自分では恥ずかしくて口に出しては言えないような内容ばかりです。「目の見えない人の案内人」、「闇の中にいる者の光」、「愚かな者の導き手」、「幼子の教師」 よほど、聖書を知って、立派に生きていないと、ここまではなかなか言えません。

 ですが、このユダヤ人たちは、そう言えたわけですから、どのくらい聖書を大切に生きて来ていたかということです。

 もし、本当に、胸を張って言えるのだとしたら、それは本当に素晴らしいことだと思うのです。

 しかし、この後、パウロは「でも、ちゃんとやってないよね?」と言うのです。

 今、娘の夏休みの宿題を見ているのですが、小学4年生の算数は難しいですね。こちらは渡されている答えを見ながら、丸付けをするんですが、間違っていると、思わず「なんで、ここ間違えたの?」と言いたくなります。でも、「ここはね・・・」と説明しようすると、私も分からないところが出てきたりします。

 人に、やれ!とは言えるんですが、じゃあ自分でできるんですか?と言われると、立ちどころに自信がなくなってしまいます。

 パウロはここで、まさにそのことを語っています。人にあれやこれやと口出しするけれども、何が正しいことなのか、何を神は求めているのか、その正解を知っているんなら、ちゃんと自分でもできるの?と、ここで問いかけているわけです。

 自分でできていないのに、自分は大丈夫だという思い込みがどこから来るのかということですが、それが「割礼」にあるとパウロはここで言っているのです。

 というのは、当時のローマ教会のユダヤ人たちは、「自分は割礼を受けているので、私は神の側にいる人間なので大丈夫。もう合格したのだから」と理解していたというのです。

 さて、このくだりまで来ると、私たちも人のことが言えなくなりました。「私は洗礼を受けているから大丈夫」という理屈です。「だって、いつも鴨下先生、そう教えてくれてるじゃないですか?」と言われてしまいそうです。

 25節でこう書かれています。

もしあなたが律法を行うなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法の違反者であるなら、あなたの割礼は無価値になったのです。

 この箇所は気をつけて読まなくてはなりません。この後の3章からのところで、割礼に何の益があるかということを語っています。

 パウロがここで何を語りたいのかと言うと、ユダヤ人たちに対して、「あなたがたは心においては無割礼になっている」と言おうとしているのです。

 割礼を受けているという意味は、本来は神の民として生きる者とされているということです。ところが、せっかくの神の民としての意味を放棄してしまって、中身のない生き方をしていて、それでいいのですか?という問いかけです。

 それは洗礼についても同様でしょう。洗礼を受けている、前に一度受けたので、その後聖書も読んでいないし、教会にも行っていないけど、たぶん救ってくれるということだと理解して、神様の心から離れた生き方をしていたとしたら、それを神様はどう見られるのかということでもあるのです。そして、この手紙に出てくるユダヤ人たちのように、自分のことを棚にあげて、他の人を非難するというようなことが出来るのかということが問われているのです。

 29節でパウロはこう語っています。

文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。

 これは、何を言っているかと言うと、ユダという名前の意味は「主をほめたたえます」というヤコブの妻のレアがつけた名前の起源のことを言っています。でも、ユダという名前は、人から褒められることではなく、神から来るというのです。

 そして、神から認められる、神が褒めてくださるのが、「御霊による心の割礼」だというのです。

 ここに「心の割礼」という言葉が記されています。これはエレミヤ書4章4節に出てくる言葉から来ています。少しお読みます。

ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。

と記されています。

 ここで語られているのは、まさに割礼の心のことです。割礼を習慣として行う、あるいは民族としての儀式として行う。そこには、ユダヤ人のとしての誇りを覚えていたことでしょう。しかし、ここで主は、大切なのは、その心の問題なのだと語られたのです。

 心というのは、とても複雑なものです。その人が本当はどう考えているかなんていうことは、その言葉だけでは見えてきません。けれども、主はその心をご覧になることができる。その人の心を何が支配しているかを、主は知っておられるのです。だから、「心の割礼」というのです。その心が、心そのものが神の力によって、聖霊によって、不要なものを切り捨てて、新しくなる必要があるのだと言っているのです。主がその心をご覧になられるのです。

 ところがユダヤ人たちは、自分たちはユダヤ人だから、自分たちは割礼を受けているから大丈夫だと考えてしまいました。そして、人からその信仰を褒められ、凄いねと言われる。それこそ、ギリシャからも、ローマからもユダヤ人たちは認められる信仰を持っているのだと、それを誇りとしたのです。自分たちは特別な人間なのだと思い込もうとしたのです。

 最後の29節の言葉は、ユダという名前の起源が、「褒めたたえられる」という意味であることにちなんでここで語られているわけですが、パウロはここで、人から称賛されるためではなくて、神から来るものを求めるべきなのだと言っています。この神は心を見られるお方なのです。

 主が喜んでくださる。このことが大切なのです。そして、これは私たちの心が聖霊によって変えられること以外にないのです。

 ユダヤ人であればいい、割礼を受けていればいい。そうではなくて、神の霊によって新しくその心が変えられることこそが大事なのです。

 心が聖霊に支配されるようになるということは、神の思いに生きるようになるということです。神が喜んでくださることを求めて生きるということです。

 最初にお話した、八百津町出身と言われているロシア正教のキリスト者で杉原千畝という方がおります。この方は、ナチスドイツによって多くのユダヤ人が虐殺されていた時に、リトアニアの領事代理をしていました。そこで、6000人のユダヤ人たちが日本を通って、第三国へ脱出できるようにと、日本の外務省に背いて、ビザの発行をしてその命を救いました。そのことが、今でも憶えられていて、今回のオリンピックでも、イスラエルの選手たちは杉原千畝のゆかりの地である八百津町をホームタウンにしているというのです。

 もちろん、御霊に支配される心というのは、決して杉原千畝のような大きなことをしなければならないということではありません。杉原千畝さんの聖霊に押し出されてした行動が、結果としてこういうことになったのです。当時の人々は自分が犠牲になってまでユダヤ人を救おうなどと考えた人はいませんでした。けれども、杉原千畝さんの心は聖霊に、神の心に捕らえられていたのです。それが、6000人のユダヤ人の命を救うということに結びついたのです。

 称賛は人から来るのではなく、神から来るとパウロは29節で言っています。私たちはどうしても、人に認められることに心が向いてしまい易い者です。けれども、大切なのはそこではないのです。神が喜ばれること、神の心を求めて行くときに、私たちがどう行動するかが見えてくるのです。

 御霊による心の割礼というのは、聖霊によって心が変えられるということです。聖霊によって、私たちは新しい心で、神に仕え、人にも仕えることができる者へと変えていただけるのです。神は、複雑な私たちの心をも、新しく作り変えることができるお方なのです。そして、神の霊に支配されることを通して、私たちは、人を愛し、受け入れる者として歩むことができるようにされるのです。

お祈りをいたします。

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