・説教 ローマ人への手紙16章1-16節「パウロからよろしく」
2022.08.07
鴨下直樹
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8月に入りました。8月は教会の諸集会の多くが休会となります。また、聖書の学びと祈り会は、これまで信徒交流会としておりましたが、今は長老たちが担当してくださることになっております。先週の水曜日と木曜日にも、それぞれの長老たちが担当してくださって、今日の聖書箇所の学びをいたしました。特に、木曜の祈祷会の時にはM長老がここに上げられている1人1人について大変丁寧に調べて来てくださって、ずいぶん盛んな学びになりました。
この箇所には26人の名前と、5つの家族のことが取り上げられています。一人ひとり取り上げて考えてみますと、実にいろんな人とパウロが関わりを持っていたことが分かります。
そこで、M長老は「パウロはこれらの人たちとの交わりが濃密であったからこそ、よろしくと挨拶しているのだ」と言われました。
そんなに深い交わりがなければ、わざわざ挨拶しなかっただろうというのです。このことは、私たちにいろんなことを投げかけていると思うのです。
今、芥見教会は宣教40周年記念礼拝を行っておりまして、この教会に関わりのある先生方をお招きして、礼拝説教をしていただいております。二週間後には前任の後藤喜良師をお招きすることになっています。
特に、この教会はドイツ人宣教師、ジークフリード・ストルツ先生の開拓によって生み出された教会です。もし、ドイツからこのような手紙が届いたことを想像してみると、そこには、同盟福音の最初の信徒となったOさんによろしく、F長老夫妻によろしく、M長老夫妻によろしく、Aさんのご夫妻によろしくと、この教会の創世期におられた方々の名前が書かれていることでしょう。そして、その人たちは本当に嬉しく思うのだと思います。それと同時にストルツ先生のことを知らない方が沢山いるわけですから、その人たちは何を思うだろうかと思います。
前回来てくださった森岡先生からもはがきが教会に届いております。まだ10年ほど前のことですから、森岡さんのことを知っている方は大勢おります。知っている方の手紙が届きますと、懐かしい思いがよみがえってきたり、一緒に働いた当時のことを思い起こして、主のしてくださった御業の数々を思い起こすことができるわけです。
しかし、パウロはローマの教会にまだ行ったことがありません。しかも、ローマの教会というのは、少なくとも何百人という人たちが既にいたと考えられます。もちろん、会堂は複数の会堂があったはずです。そういう教会に手紙を送る時に、この挨拶はどういう機能をもったでしょうか。
パウロのことを知らない人もいたと思います。噂ぐらいは聞いたことはあるかもしれません。ある意味で異邦人伝道をはじめたのはパウロですから、ひょっとすると、近寄りがたい有名人というイメージだったかもしれません。その人から教会に手紙が届いたのです。そして、その最後のところで、「何々さんによろしく」という言葉を聞いた時に、ローマの教会の人たちの中に、何が起こったか。これは想像するしかないのですが、これだけたくさんの名前があれば、一人くらい知っている人の名前があったでしょう。すると、その人のところに行って、「パウロ先生とお知り合いなのですか?」と会話が生まれたと思います。ああ、この人もあの人も、パウロ先生と濃密な交わりがあったのかということが明らかになったのだと思うのです。
この挨拶の部分というのは、今まで黒一色の言葉が、急にカラーになるような、そんな役割を果たしたのではないでしょうか。
こんなにも、たくさんの人の名前が挙げられているのです。
たとえば、最初に名前が挙げられているケンクレアの教会の女性執事のフィベという人があります。この1節の「奉仕者」という言葉ですが、元の言葉では「ディアコノス」という言葉で、執事という意味で使われるようになった言葉です。このあと、しばらく女性たちの名前が続きます。ずいぶん、大勢の女性の奉仕者が当時から活躍していたことが分かります。3節にプリスカという名前が出てきます。この人はローマの人で、夫のアキラはユダヤ人でした。当時、ユダヤ人がローマで争いばかり起こしていたので、皇帝クラウディウスがすべてのユダヤ人を追放するという出来事が起こります。そのために、アキラとプリスカの夫婦は、エペソにやって来ていまして、その時にパウロと出会っています。
祈祷会の時に、Oさんは自分で調べてきた本にはプリスカは貴族出身で、自分の家柄を捨てて、ユダヤ人の夫のアキラと一緒に行動した人物だったという話をしてくださいました。実際に、この時代にプリスカというローマの高貴な氏族の共同墓地があったことが分かっています。このプリスカという名前の一族がこの聖書のプリスカと同一人物かは分かりませんが、少なくとも勝手に名乗れる名前ではありませんから、ローマ貴族の出身であることは間違いないわけです。
こういうことを細かく調べて、そこから分かることに何らかのメッセージを読み取ろうという試みが、これまでにも行われてきました。そこから見えて来るドラマがここにはいくつもあるといえます。いずれにしても、このあと出てきますマリアやアンドロニコやユニアというのも女性の名前です。フィベやプリスカだけでなくて、こういう立派な女性の奉仕者たちが活躍したのがローマの教会であったのだということも、このリストからよく分かります。
あるいは、もう一人注目すべき人物は13節です。
主にあって選ばれたルフォスによろしく、また彼と私の母によろしく
とあります。
このルフォスという人物はマルコの福音書にしるされています、主イエスの十字架をかつかされたクレネ人のシモンという名前があります。マルコの福音書の15章21節にこう書かれています。
兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。
と書かれています。ここからも分かるように、この時の十字架を背負わされたシモンはやがてキリスト者になったようです。そしてある時、このシモンの子どものルフォスとパウロはこの家族のもとで家族のように暮らしたことがあったのでしょうか。家族ぐるみの交わりがあったようです。ですから、このルフォスの母のことを、パウロも私の母と呼んでいるのです。ここにも、私たちの想像力を掻き立てるドラマが実際に起こっていたことを私たちに伝えているのです。
こういうところからも、パウロはここに上げている一人ひとりと濃密な交わりがあったことがよく分かります。少しでも知っている人の名前を無理やり上げて、何とか自分とローマの教会の関係性を強調しようとしたのではないのだということが分かるのです。
「よろしく」という挨拶の言葉があります。
私たちもあまり使わないかもしれませんが、年賀状とかを書くときには、奥様にもよろしくお伝えくださいと書き添えることがあるでしょうか。そういう手紙に添えた挨拶の場合であったとしても、手紙を受け取った方からしてみれば、私のことも覚えていてくれたという嬉しい思いになるのだと思うのです。
この「よろしく」という言葉について、関係深い方の言葉を見つけましたので紹介したいと思います。教会のSさんのお父さんで村上伸(ひろし)先生の言葉です。伸先生は「ローマ書の釈義から説教へ」という本の、ちょうどこの箇所を担当して書いておられるのですが、そこにこんな言葉が紹介されています。少し長いのですが、読ませていただきます。
ところで、「挨拶」とか、「よろしく」というのはいったいどういうことなのであろうか。
われわれの実際の経験にてらして考えてみると、ここにはいくつかの段階があるようである。たとえば、外国の教会を代表するお客さんが来て、しかも「議長」とか「常議員」とかいう資格でいわば「表敬訪問」のようなことをする場合、こちらもしかるべき機関で受けとめて「レセプション」なるものを催すことが多い。こちらから行く場合も同じことである。
こうした場合、お互いに教会を代表して「挨拶」をするだろう。だが、こう言っては失礼であるが敢えて言うならば、これらの「挨拶」は、おおむね美辞麗句と外交的微笑に包まれた形式的慣用句に過ぎず、さしたる内容もないのが通例であり、その挨拶の直前までは相手のことをおよそ考えたこともなく、それが過ぎ去ると再び忘れてしまって二度と思い出しもしない。
(省略)
しかし、両者の間に共通の体験があり、互いに相手の問題を少しは知っているという場合には、挨拶はおのずから内容を獲得する。活動家の「連帯の挨拶」が、時として濃密な実質を持つのも、そういう時である。前線で兵士たちが交わし合うちょっとした合図やゼスチャーなども、同様であろう。
パウロがここでいちいち名をあげて書き連ねている挨拶は、言うまでもなく、単なる外交的儀礼でもなければ、形式的慣用句でもない。しかし、牧会者としてのやさしい配慮にもとづいた「よろしく」であると言うだけでも、まだ少し足りないだろう。もちろん、牧会者は折にふれて会員や求道者のだれかれに挨拶を送ったり、託したりする。その時、彼の心の中にあるのは、さまざまなことを含んだ複雑な思いだが、それを一言で言えば、執り成しの祈りということになろう。それがパウロの胸にあつく燃えていたことは、疑う余地がない。
だが、やはりそれだけではないのではないか。
パウロのこれらの挨拶を独自なものにしているのは、キリストのために共に労苦した者たちの間にかよう連帯感であって、これこそが、フィベのための推薦の言葉も含めて、われわれの箇所を一貫しているものだと思われる。
(日本基督教団出版局)P.332-333/村上伸
パウロにとっての「よろしく」という挨拶は、「執り成しの祈り」であり、「キリストのため共に苦労した者たちの間にかよう連帯感」なのだと伸先生は言うのです。
一緒に働いた者、同じ労苦を共にしている者どうしの濃密な結びつきと祈り。それが、このパウロからの「よろしく」には込められているのだと言うのです。この手紙は、パウロの教えの手紙です。この手紙の背景には、実際に労苦を共にした仲間たちがいるということが、手紙の最後の挨拶で明らかになるのです。だがら、この手紙はここで色鮮やかになるのです。カラーになるのです。それは、ただの美辞麗句ではないのです。「実際に私たちはそのように生きて来たし、今もそのように生かされている。私たちは、そのことを知っている、この手紙の受け取り手の仲間たちはみんな知っている。どうか、ローマの人たちよ。彼らから聞いて欲しい、彼女たちから教えを受けて欲しい。この福音は、私たちを生かす福音であり、お互いを励まし合う福音なのだ」ということなのです。
そして、このパウロのローマ人への手紙は、私たちへの手紙ともなったのです。私たちもこの福音を受け取った仲間なのであり、パウロと共に、福音の証に生かされているのです。私たちも、互いに「よろしく」と挨拶の言葉を交わしながら、この福音に生きる者として、互いのために祈り、私たち自身もこの福音に生きる者となりたいのです。
お祈りをいたします。