2023 年 12 月 3 日

・説教 ルカの福音書10章17-24節「恵み、このすばらしきもの」

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2023.12.3

鴨下直樹

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 今日の聖書箇所を読んで私たちの心に印象として残るのは、弟子たちの喜びの姿です。72人の弟子たちが伝道に派遣されて、戻って参りました。そしてお互いの顔を見合わせて喜んだのです。何を喜んでいたのかというと、17節に書かれているように、「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」ということでした。

 きっと派遣される前の弟子たちは緊張していたと思うのです。伝道がうまくいくのかどうか。前の9章に記されていた弟子たちの姿というのは「こんなにもダメな弟子たち」という説教タイトルにしなければならなかったほどのダメっぷりでした。

 主イエスが山の上でモーセとエリヤと共に光り輝いていた時も、地上では残りの弟子たちは悪霊を追い出すことができず、右往左往するしかなかったのです。そんな弟子たちでしたから、今度もうまくいかないのではないかと心配だったに違いありません。不安を抱えていたに違いありません。

 ところが、今度は「自分にもできた!」という経験をすることができたのです。弟子たちがどれほど嬉しかったかは、私たちにも容易に想像できます。

 私たちは、毎日あらゆるメディアを通して、知恵のある人や、経験の豊富な人が成功するという情報を耳にしています。そして、うまくできない人というのは努力を怠った人だという評価をされることを知っています。そのような共通理解があるために、実に多くの人々が苦しんでいることも知っています。誰だって喜びたいと思っているはずです。誰だって、できないよりは出来た方が幸せだし、そういう成功者の仲間入りをしたいと望んでいます。

 しかし、そうできないという現実が私たちを苦しめます。できる部分もあるはずなのですが、出来ない部分で人は苦しみを担うのです。自分はダメだという落胆、心が満たされないという不満、そうして、もう何もしたくないという絶望感が生じて、そんな思いが更に私たちを苦しめるのです。

 主イエスの弟子たちは決して知恵があったわけではなかったでしょう。経験が豊かだったわけでも、自信があったわけでもない、私たちと何も変わらない人たちです。弟子になってから日も浅く、分からないことだらけ、不安だらけ、そんな中で伝道に遣わされて行ったのです。そうした中で、主イエスの言葉に聞き従った時に何が起こるのかを、弟子たちは経験したのです。

 自分たちの語る言葉、福音が目の前で現実的な救いの出来事となっていくのを目の当たりにしたのです。語った言葉が、光となり、人々の希望となっていったのです。それが、「悪霊どもでさえ私たちに服従します。」という言葉の中に込められています。

 弟子たちは嬉しかったに違いありません。喜びを感じたし、生き甲斐を覚えたと思うのです。すると、主イエスはここで、その弟子たちにまず18節から20節の言葉を語りかけました。19節にこうあります。

「確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」

 この主イエスの言葉は、どれほど弟子たちを力づけたことでしょう。主イエスの言葉は、弟子たちの中に今すでに与えられているものが何なのかを、ここで明らかにしているのです。あなたがたは、自分のことを自信のない小さな存在としか思っていないのかもしれない。けれども、わたしはあなたがたにサタンにも打ち勝つことのできる権威を与えている。そのために、サタンはあなたがたに何もできないのだと言われたのです。

 そんな話を聞くと、ゲームか何かの世界の話かと耳を疑いたくなるようです。ゲームでいうなら「無敵状態」になっていると言われたのです。でも、だからと言って、マリオゲームのように私たちがピカピカと輝き出すわけではありません。この「無敵状態」は、何の実感も感じられないほどに、当たり前のように私たちに与えられているのです。

 そして、主イエスはこの次にもっと凄いことを言われました。20節です。

「しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 無敵になることよりも、もっと凄いのは、あなたの名前が天の御国に書き記されていることだと主イエスは言われます。私たちが洗礼を受けると教会にある教会員名簿というものに名前が書き加えられます。それは、天国の会員になりましたよという意味です。もう、天の御国、神の国の国民となっている、このことが何よりも凄いことなのだと主イエスは言われるのです。

 マスターカードやアメリカン・エキスプレスのカードを持っているよりも、もっと大きな意味があるのです。芥見教会のメンバーでも、お隣の関教会や那加教会のメンバーでも同じことですが、主イエスの弟子たちはすでに、この天の御国の国民として名前が記録されているのです。それは、神があなたがたのことを見守っていてくださるということでもあります。洗礼を受けた人がピカピカ光り出しているわけではありません。けれども、天におられる神様から見ると、ご自分の神の国の国民は、きっと輝いて見えているに違いないのです。

 そう言われた後で、主イエスはお祈りをしはじめます。21節をお読みします。

ちょうどそのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。」

 主イエスの祈りです。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。」

 私たちがこれまで何度耳にしたか分からない祈りの言葉です。主イエスの心が聖霊に満たされて祈り始めています。とても美しい印象的な祈りの姿であったに違いありません。72人の弟子たちの心に深く刻まれた祈りだったはずです。そして、これまで多くのクリスチャンたちが、この祈りをそのまま自らの祈りとして祈る言葉となっていきました。

 主イエスがどうして、この祈りをするように心動かされたのか。それは、18節にあるようにサタンが稲妻のように天から落ちるのを見たからです。

 この時の「天から落ちる」という言葉と「見ました」という言葉は、どちらも未完了過去形で書かれています。未完了過去というのは、すでに過去に起こった事なのですが、まだ完了していないということです。つまり、この時に悪魔が天で居場所を失って追い出されて、神の勝利が確定したということです。けれども、まだ終わりの時までは時間があるのです。

 サッカーで例えると、そんなサッカーで例えられると余計に分からないという方もあるかもしれませんが、あと残り数分あるけれども、もう逆転不可能な時間になったような状態と思ってもらえると良いかもしれません。もう絶対逆転不可能な状態、勝利は決したのです。

 ただ、少しだけお話ししておくと、悪魔は天から追い出されたのですが、それでどこに行ったのかというと、地上に落ちて来るわけで、逆転の目はないのですが、地上で残りの時間、暴れ回ることができる状態であるということも、知っておいていただけると良いと思います。そして、そのサタンに残された時間というのは、主イエスがもう一度来られる、再臨の時までの間ということになります。

 先週から12月に入りました。今週からアドヴェントを迎えます。アドヴェントというのは、主の再臨を待ち望む季節を表します。私たちはこの季節に、主がこの世に来てくださった、あの最初のクリスマスの出来事を心に留め、もう一度主がおいでになる日を待ち望む信仰を心に刻むのです。

 私たちがこのアドヴェントの期間に、心に留めるのは、サタンはもう敗北が確定しているということです。しかし、まだ自由に暴れ回る時間が残されています。このサタンが自由に暴れ回ることができるのは、主イエスがお生まれになられた時のように、もう一度この世においでになるまでの間だけのことだということです。この期間限定であるということも心に刻んでいただきたいのです。

 ですから、私たちはサッカーで勝利が決まって、残り時間、試合終了の笛が鳴るのを待ち望んでいるように、もう一度主イエスが来られる日を待ち望んでいるのです。

 この残された間というのは、永遠に感じるほど長い時間に感じるものです。そして、実際に主イエスが来られてから今年で2023年になるわけで、私たち、この世界の人々は長い間、主イエスが来られるのを今か今かと心待ちにしているのです。

 それは、最初のクリスマスに主イエスが来られるまでの時と同じです。その時も、人々は救い主、キリストがおいでになることを心待ちにしていました。

 23節で主イエスは弟子たちに「あなたがたが見ているものを見る目は幸いです。」と語られました。また24節でも「多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たいと願ったのに、見られず、あなたがたが聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けませんでした。」と語っておられます。

 主イエスはこの時、長い間、旧約聖書の人々が見たい、聞きたいと願ってきたことを、主イエスを通して見ることができるようになった、聞くことができるようになった、と言っておられるのです。

 そして今、私たちは、この主イエスのことを、聖書を通して、見たり、聞いたりして追体験をすることができるようにされているのです。

 だから、私たちは今、すでに主イエスの勝利を確信しつつ、このまだ完成していない主の救いのみわざの完成を心待ちにすることができるのです。

 主イエスはここで弟子たちに、今すでに何が与えられているのか、今すでに得ているものが何かを明確に示してくださいました。それは、悪に負けることのない勝利の人生であり、天に名前が書き記されている救いの確かさです。このことを主は私たちに示してくださいました。そして、そればかりか、私たちは今、主イエスを通して、福音を見たり、聞いたり出来ているのだと示してくださったのです。

 洗礼を受けておられる方は、すでに天に名前が書き記されています。そして、その人は悪にすでに勝利しているのです。もう入場チケットをいただいたようなものです。ただ、同時に、私たちは残りの時間、この地にあって暴れ回るサタンに立ち向かっていく必要があるのです。けれども、もう勝利は確定していますから、安心したらよいのです。そして、その安心を得るためにも、私たちは今、神の国の福音を見たり、聞いたりすることができるようにされているのです。このように、私たちはすでに素晴らしい神の豊かな恵みをいただいているのです。神の恵みは、これほどまでに私たちにとって素晴らしいものなのです。

 そして、私たちは残された試合が早く終了するように、主の再臨を待ち望み続けるのです。

 今週からアドヴェントを迎えます。私たちは、この主がもう一度来てくださるという約束を思い起こし、主を見上げつつ、すでに与えられている救いを心に刻みましょう。そして、平安と喜びに包まれて、このアドヴェントを過ごしてまいりましょう。

 お祈りをいたしましょう。

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