・説教 ルカの福音書11章1-4節「日毎の糧を~主の祈り5」
2024.2.4
鴨下直樹
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ドストエフスキーの書いた短編小説で、しかも子ども向けに書かれた「キリストのヨルカに召されし少年」という児童文学とも呼べる作品があります。この作品はとても珍しいもので、「私は小説家だから、どうやらひとつの『物語』を思いついたようだ」という書き出しから始まります。小説家が小説を書くのはあたりまえのことですから、わざわざこう言うのはなんでだろうと思ったのですが、読んで、なるほどと思いました。
この物語の少年は、どこかから移り住んできた少年のようで、病気の母親を看病しながら地下の暗い部屋で、飢えと寒さで身動きがとれないでいるのです。お腹があまりにも空いて母親のところに行くと、母はもう冷たくなって死んでいました。
その後、地下から外に出ると、街中にはクリスマスの賑やかで眩い世界が広がっていて、広場の真ん中には大きなヨルカ、クリスマスツリーが飾られています。そんな中で、お腹の空いた少年が食べ物と暖かさを求めて歩いていると、ある家のパーティーの様子が目に飛び込んできます。そのあまりにも楽しそうな世界に心惹かれ、自分も入れてもらえるのではと思い、家の扉を開けるのですが、追い出されてしまいます。その時、銅貨を一枚握らされるのですが、手がかじかんで、その銅貨を掴むこともできませんでした。
その後、大勢の人だかりのできていた所で人形劇を眺めていると、いきなり後ろから、わんぱく小僧に蹴飛ばされ、一目散に逃げ出します。そうして、路地裏の陰に隠れ込んでしまうのです。少年はそこで、急にぽかぽかと暖かさを感じるようになってきて、お母さんの子守唄が聞こえてきます。そして「ヨルカのお祝いに行こう、坊や」というお母さんの声を聞きます。その時、自分は眠たいのだと気づくとともに、自分の周りに他にもたくさんの子どもたちがいることに気づいていきます。自分の周りにいる子どもたちは皆、苦労していた子どもたちばかりなのです。こうして、その暖かな世界に招かれた親子たちは天の主なる神様のみもとで巡り会っていく。けれども、その街の傍で、その少年は冷たい死を迎えていく、そんな物語です。
この物語の最後にドストエフスキーは、どうして自分は作家の日記としてもふさわしくない物語を書いたのだろうと言いながら、これが本当のことかどうかは言えないけれども、私は小説家だから、こういう話を創作するのが商売だと言って物語を結んでいるのです。
この小説のあとがきを読むと、どうもこの時ドストエフスキーは少年犯罪者の感化院を訪れていて、その時の訪問記も、この小説が載せられた雑誌の同じ号に書いているようです。ということは、犯罪に手を伸ばしてしまう少年たちの現状を知って、こういう子どもたちが自分たちの周りにはたくさんいるんだと、知らせたかったのだろうということが分かってきます。そして、それと同時に、もし子どもたちがこの物語を読んだなら、その先には神のあたたかい御手の中に迎えられるのだということを、ドストエフスキーなりに伝えたかったのではないかと気づかされるのです。ドストエフスキー自身が、そこまで熱心なクリスチャンであったかどうかまでは私には分かりませんが、少なくともこの物語を書いた時にはそんな思いになっていたことは間違いないのです。
私たちは、主の祈りを生活の歩みの中で祈ります。「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。」と祈ります。
私たちが普段、この祈りを祈る時に意識している「私たち」というのは、自分の家族のことだと思います。そこで祈られている「私たち」は狭い範囲をさしているはずです。あるいは、教会で主の祈りを祈る時には、この「私たち」は「教会の人たち」という意味で祈るのかもしれません。あるいは、時々はもっと外に目を向けて、被災地の人たちや、戦地の人たちのことを心に留めたり、あるいは、食べるものが無くて困っている人に思いを馳せたりしながら祈るのかもしれません。けれども、基本的にはやはり、自分の家族のことを一番に考えながら祈るのだと思うのです。
「私に今日の糧を与えてください。」「私の必要を満たしてください。」「今、私は、こんなことに困っています。どうか神様助けてください。」そういう祈りが、私たちの祈りの大部分を占めているのかもしれません。私たちの祈りは、自分自身の願い求め、自分自身の訴えがどうしたって多くなりがちです。
ドストエフスキーのこの短い小説は、今も食べることのできない少年がいる、この事実に目を留めて欲しいということを、小説家として世に訴えているのだと思うのです。自分のこと、自分の家のことから少し、この「私たち」を大きくすることを求めているのです。
「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。」
この祈りの言葉には、ひょっとすると少し違和感を覚えるかもしれません。そのまま読むと、この祈りの内容はあまりにも個人的で、世俗的な願い求めの祈りだからです。この祈りは、ここまでの祈りとは、少しかけ離れた祈りの印象を与える内容と言わなければなりません。「日ごとの糧? そんなことは自分でなんとかしろ」と切り捨てることができるように感じる祈りなのかもしれません。もっと大切なことがあるはずだと。
けれども、そう思うと同時に、この祈りは、神ご自身が私たちの生活の、どんな小さな細部にまでも心を配っていてくださることの表れでもあるとも言えるのです。
「日ごとのパン」を求める。これはささやかな願い求めです。少なくとも身分不相応な大きな祈りではありません。けれども、私たちが生きていくための土台がそこにあることを、私たちに思い起こさせてくれます。
そこから私たちが気づかされるのは、私たちの主は、私たちの命が支えられることを願っておられるお方だということです。
主の祈りは、今日のこの3節から「私たちの」という言葉が加わります。これは、「私たち」の祈りなのです。
「私たちの祈り」ということは、この祈りを真実に祈るためには、私たちに、普段は目に止まっていない人たちのことをも心に留めて祈ることを求められているのです。
古代の教会教父と呼ばれた人物の中にアウグスティヌスという神学者がいます。アウグスティヌスが活躍したのは4世紀、アフリカ、今で言うアルジェリアの人物で、「教父」というのは、教会の父と呼ばれた人ということです。そのアウグスティヌスの言葉の中にこういう言葉があります。
このアウグスティヌスの言葉は、この時代の教会には色々な身分の人が礼拝に来ていたことを思い起こさせてくれます。現代の日本のように、皆が同じような中流家庭という時代ではありませんでした。奴隷制度もあった時代です。教会の中だけでも、さまざまな身分の人がいたわけです。そして、そこには当然奴隷もいました。
「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。」という祈りは、ただの綺麗事では済まなかったはずです。実際に、奴隷の主人と奴隷とが同じ教会の礼拝に集っていたと考えれば、そこでは当然お互いが神の前に家族であることを受け留める必要がありました。つまり、ここでいう「私たち」というのは、当初から、個人の願いや、自分の家族や親戚というような小さな枠には収まらない、さまざまな人々を想定した祈りであったと考えられます。
主はこの祈りを通して、私たちがお互いのために祈り合う存在であることを気づかせようとしておられるのです。
もともと、この祈りは「御国が来ますように」という祈りに続いて祈られている祈りです。そこで、念頭に置かれているのは「神の国」です。「神が支配される世界」です。そこでは、自分たちだけのことを祈る世界というのは、念頭にはないのです。
神様の思いは、神さまの支配なさる国というのは、自分のことだけではなくて、弱い人や虐げられている人たちとも一緒に生きる世界を描いています。
妻が仕事をしている机の上に、いつも一冊の小さな本が置いてあります。その本は『マザー・テレサ 日々のことば』という本です。ここには、インドの貧しい子どもたちのために、生涯を捧げたマザー・テレサの言葉がたくさん記されています。
この中に、たくさんの日ごとの糧を求める祈りのヒントになりそうな言葉が記されています。中に、こんな言葉があります。
マザー・テレサが日本に来た時に、こんなことを言いました。
マザー・テレサは、世界で最も貧しい国はアフリカと日本と言ったとも言われています。日本に来日して、たくさんの人々の顔を見たそうです。その時、町なかで誰も笑っていない国とマザー・テレサには映ったようです。この国の人々は愛を知らない、微笑みかける優しさを知らない、そんなふうに映ったのです。だから、まず自分の周りの貧しい人、心の貧しい人に目を留めてほしいと訴えたのでした。
この祈りが求めている「日ごとの糧」というのは、もちろん「日ごとのパン」を求める祈りです。食べ物を求める祈りです。けれども、食べる物だけ有っても、飢えは満たされません。貧しさは解消されません。マザー・テレサはそのことをよく知っていました。
この『マザー・テレサ 日々のことば』の本の中には、こんな言葉も書かれていました。
日ごとの糧を祈り求める前に、何が日ごとの糧なのか、そのことを知る必要があると言ったのです。そして、それは神との祈りの生活だとマザー・テレサは考えたようです。自分が日ごとの糧を与えられているように、神から大切にされているということに目を向けられるように、「自分の生活を祈りにしましょう」そうすることで「祈りが私の力である」という良い知らせを、世界に広めることができると言ったのです。
私たちが毎日生きるために必要な、いのちの糧は、食べる物もそうですが。神との交わり、神が私のことを大切にしてくださっている。このことを私たち自身が毎日受け取っていることが、私たちが本当に喜んで生きられる源となるのです。
日本の心理学者の河合隼雄という人は、「愛するとは、何があっても関係を切らないということ」と言いました。私は、この言葉は愛についての大切な面を言い表しているなと思います。神の愛は、私たちに何があっても関係を切らないことによって、示されているからです。
私たち自身も、このことはよく分かると思います。人間関係の中でもそうです。この人が苦手だなと感じたら、その人との関係を切ってしまえば楽になると考える。そうすると電話もメールも何の連絡も取らなくなっていきます。それは、愛することを止めてしまったことと同義です。けれども、反対に何があっても関係を切らないことというのは簡単なことではありません。先週の月曜日も、私たち夫婦で何人かの皆さんの家を訪問してきました。しばらくお会いできていなかったりすると、突然顔を出すのは嫌がられるかなと思ったりもします。でも、ほとんどの場合は皆さん、にこやかな笑顔で迎え入れてくださいます。そんな時に、訪問して良かったなと思うのです。
関係を切ってしまうことは案外簡単なことです。連絡をしなければいいだけのことです。でも、それでは残念ながら愛は失われていくことになってしまうのです。
私たちが生きていくためには、パンだけではなく愛と平和が必要です。それは、家族の間だけで必要なのではなくて「私たち」の間で、どうしても必要なのです。
「日ごとの糧」というこの3節の言葉はとても不思議な言葉で、聖書の中にはここにしか出てこない言葉です。マタイとこのルカの主の祈りにしか使われていない言葉なのです。なので、昔からこの言葉をどう訳すか、さまざまな議論がなされてきました。そのため、この言葉には注が付いていて、「必要な糧」とか「明日のための糧」と書かれています。昔から、文語訳聖書の頃から、「日用の」とか「日ごとの」と訳されていますので、その翻訳を継続して使っているのですが、「必要な糧」というのが、最も現実的な翻訳だと考えられるようになってきました。そして、この祈りが「必要な糧」のことだとすると、パンだけのことではなくなってくるのです。
私たちが生きていくためには、マザー・テレサが言うように「平和と愛」という言葉がそこには入ってくるようになります。あるいは、「いのちの糧」として、「主ご自身」を頂く必要があるとか、いのちのパンを頂く必要があると考えられるようにもなってきました。
今日は、第一週で、このあと聖餐式を行います。私たちはここでも、「パン」を頂きます。私たちは主イエスのいのちを頂いていると思いながら、このパンを頂きます。そして、まさにこの、いのちのパンは「私たち」に与えられています。その場合の私たちは「教会」ということになります。私たちには主イエスが与えられ、主の愛と平和を私たちは頂いているのです。
この主のいのちを共に頂いているなら、私たちには神が共にいてくださるのだということが分かるようになります。主イエスが共にいてくださるところには、愛と平和がそこにはあるのです。このお方からくる愛と平和が、互いに与えられるよう心から覚えてお祈りいたしましょう。
お祈りをいたします。