2012 年 6 月 10 日

・説教 マタイの福音書24章15-31節 「警告・終わりの時に」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 17:03

2012.6.10

鴨下 直樹

今日の聖書の中に面白い言葉があります。カッコ書きにくくられておりますけれども、そこには「読者はよく読み取るように。」と書かれています。どうしてわざわざこんな言葉があるのでしょうか。どうせ書くのであれば、もっと大事なところにあってもよさそうなものです。これはカッコには入れられていますけれども、最初から書かれていたらしいのです。ですから、新共同訳聖書などはカッコではなく縦の線が引かれていまして、その中に「読者は悟れ。」となっています。
何を悟るのでしょうか。何を読み取ったらよいのでしょうか。もちろん、その直前に書かれているところのことです。十五節にはこう記されています。

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

と記されています。その間に、「読者はよく読み取るように。」と書かれているのです。

この預言者ダニエルによって語られた「荒らす憎むべき者」については少し説明がいると思います。これはダニエル書九章二十七節と、十二章十一節に出てきます。これは預言者ダニエルが、やがて「荒らす憎むべき者」と呼ばれる者がエルサレムの神殿を汚すような出来事が起こるという預言の言葉でした。そして、このダニエルの預言のように、紀元前一六七年十二月、シリアの王、アンティオコス・エピファネスが、エルサレムの神殿にギリシャの神ゼウスを祭り、この時代汚れたものとして食べることが禁じられていた豚を祭壇に供えるなどということをわざとしたのです。そればかりか、祭司の部屋と神殿内の小さな部屋を娼婦の部屋にするというようなことをやって、エルサレムの神殿を踏みにじったのです。それで、主イエスはこの時のような出来事がやがて再び起こるということを語られ、注意を促したのです。そして、事実主イエスの語られた通りのことが、今度はローマ人の手によってやがて行なわれることになったのでした。

私たちはそこでもっと注意深く聖書を読む必要があるのですけれども、このマタイの福音書が書かれた時というのは、主イエスが歩んでおられたときから少なくとも六、七十年はたっております。ですから、主イエスがこの話をされた当時にはエルサレムに立派なヘロデの神殿がたっておりましたけれども、マタイの福音書が書かれた時代にはエルサレムは陥落してしまっているのです。
その出来事が起こったのが紀元七十年です。ローマに支配されていたユダヤ人たちはこの時、ローマに対して反旗を翻しました。この時の事はヨセフスという歴史家が詳細に記しています。この時ローマがとった戦略は、日本で言う兵糧攻めでした。エルサレムの城壁を完全に包囲したために、壮絶な出来事が次々と起こります。
マタイの福音書を読むと、主イエスがこの時のために大変丁寧な注意事項を与えていたことがわかります。例えば、十九節に「だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。」とありますが、かつてエルサレムが陥落した時のようなことがもう一度起こるなら、それはどういう人にとって大変なことになるのかを非常に細かく記されています。
主イエスが語られてから約三十数年経ってエルサレムをローマが包囲した時に、人々が飢餓に苦しんだ様子が記されています。中でも歴史家のヨセフスが記したものによりますと、当時、マリヤという裕福な女性がエルサレムに逃れて来たためにローマの包囲にあい、財産も食べ物も奪われてしまうという経験が記されています。マリヤは食べるものも無くなった時に、自分の子どもに食べさせることができないと嘆きながら、ついに、我が子を焼いて食べたという記録まであるほどです。多くのエルサレム中の人々がこの戦いで飢えて死んだのです。そういう壮絶な戦いを実際に彼らは経験したのです。

マタイがこの福音書を記した時というのは、主イエスが語られたエルサレムの陥落の出来事が起こった後です。けれども、それにも関わらずマタイはここで、「読者はよく読み取るように。」と注意を促したのです。何故でしょうか。それは、過去の出来事として主がお語りになられたのではないということです。預言者ダニエルによって語られたことは、かつてシリアの王によって行なわれ、やがてローマ人の手によって行なわれました。けれども、そのようなことはこれからも起こる。だから、このことを読者は忘れてはならないのだ、とこの福音書は語っているのです。
私たちは、実際にその後何度も何度も教会が迫害をされてきたことを知っています。まさに、こう言うことができます。主イエスがこのように語られた時から、この世界は終りの時を迎えているということです。

終わりの時というのは、まさにこの世界が滅びる最後の時のことです。本来はそういう意味でしょう。しかし、今まさに世界は滅びるのではないかと思えるような絶望的な状況というのは、この時から今日に至るまでずっと続いているのです。何故か。それは、この世界が神の支配のもとに生きることを願わないからです。
かつて、シリアの王、アンティオコス・エピファネスは神を礼拝するところを汚しました。そして、ローマもまた、このエルサレムの神殿を粉々に破壊しました。神に礼拝することができないように妨げたのです。

かつて、神の戒めに誠実に生きようとしたあのパリサイ人たちは、神殿を商売の場としてこれを汚しました。主イエスがエルサレムにお入りになられて真っ先になされたのが、この神殿を汚すということをやめさせる事でした。何故でしょうか。本当の心からの礼拝を汚すことを、主イエスは何にも勝って残念に思われたからです。それほど、主イエスは神の前で礼拝をささげるということを大事になさったのです。

よく教会のF長老が、自分の子どもの頃の礼拝の経験について話されます。聞かれたことのある方も多いと思いますが、子どもの頃F少年は礼拝堂でじっとしていられなかったので、ロープで括りつけられて礼拝堂から動かないようにされたということでした。私たちはこういう話を聞くと、何もそこまでと思います。もちろん、そこまでする必要はないと言うことはできる思います。けれどもこのようにしたのは、何よりも礼拝が大事なのだということを教えようとした事がよく分かります。
礼拝を教えるために、厳しくすればいいというのではないでしょう。しかし、そのような真剣さは何に根差すのかというと、主イエスがここで礼拝のために戦っておられるところからきていることを私たちは忘れてはならないと思います。

よく、安息日厳守、聖日厳守などという言葉を、私たちの同盟福音教会の初期の頃によく使いました。最近ではあまり言わなくなりました。先週、羽島教会の夕礼拝の説教に呼ばれて行きました。この教会に何年か前、もう十年以上前だと思いますけれども、その時に尋ねた時週報に「聖日厳守」と書かれていました。私はその時見てびっくりしたのですけれども、今ではもうそのように書いてはありませんでした。それこそ、禁酒禁煙とか、十一献金とか聖書通読とか、そういう教会の四字熟語とも言うべき言葉が幾つも並んでいましたが、こういうのは律法主義的だから止めようと言われるようになりました。もちろん、一方ではそうなのです。信仰というのは、強制されてするものではありません。そうして強制することは考えなければなりません。けれども、同時に、教会の大事なこともまた忘れられてしまうようになったのではないかとさえ思うのです。
数年前のことですけれども、インフルエンザが流行した時に、ある教会が礼拝を中止にしたというニュースが入りました。教会で感染したら問題になるというのがその理由でした。教会のこれまでの歴史を考えれば、こういう決断は考えられないことです。しかし、世の中の声がそれだけ大きな力を持っているということの一つの例なのだと思います。そのように、この世の中にはさまざまな出来事があります。そのために、日曜日に色々な用事があるので礼拝に出られないということが起こります。こういうことについても厳しく言わなくなりましたし、私も厳しく言うほうではありません。
けれども、この世の中のさまざまな理由が礼拝よりも重んじられるのだとすれば、それは「荒らす憎むべき者が聖なるところに立つのを見たならば」と、マタイが注意を投げかけていることがこのことに当たらないのか、ということを私たちもまた考えずにはいられないのではないかと思うのです。

私たちは、今、終わりの時に生きているということを忘れてはなりません。そして、この三十節以下にこう記されています。後半からお読みします。

人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

ここに記されているように、主イエスが再び来られる時、私たちは主を心から迎えることができるのでしょうか。それとも、アダムとエバがあのエデンの園でしたように、主から身を隠さなければならないのでしょうか。

ここに「選びの民を集めます。」とあります。実は、今日の聖書の中には何度も「選ばれた者」とか、「選民」という言葉が使われています。これは、神が神の民を選んでおられるということを、主イエスはここでお語りになられました。
こういう言葉を聞くと、すぐ個人的に、あの人は選ばれている人だろうかとか、自分は選ばれていないんだろうかなどという不安がよぎります。けれども、単純に救われている人々と言い換えていいと思います。そしてその救いは、自分にかかっていたのではなくて、主の主権にあるということです。主が救われたのであれば、その救いは変わることはない、どれほど厳しい迫害の中を通されることがあったとしても、私たちの救いは確かなのだということを覚えようということです。

そして、特に今日の箇所で私たちは注意して聞きとらなければならないのは、最初に語りました十六節の言葉です。「そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。」とあります。
主イエスは、どんなに厳しい迫害が襲って来てもそこで踏みとどまっていなさい、と言われたのではなかったのです。信仰があるなら、そこで戦えと言わずに逃げなさい、と言われたということを私たちは聞く必要があります。もちろん、勘違いして頂いて困るのは、これは信仰を捨てて逃げなさいということではありません。信仰に留まるのです。けれども、戦火の中に留まるのではなくて、逃げることを主イエスはここで教えられました。実際、この主イエスの話の後で、エルサレムにローマの手が及んだ時に、キリスト者たちはエルサレムを離れて他の地域へ逃げ延びたという記録が残っております。希望を持って逃げることができるのです。どこに希望があるのかというと、神の救いは確かであるという事実があるのです。たとえ他の場所に移ったとしてもそこで待ちなさい、と言われたのです。
そして、私は再び来るから、と主イエスの再臨が語られたのです。わたしはもう一度来るという希望を語り、信仰に生きることの厳しさを語ります。先週の所にも、最後まで耐え忍ぶ者は救われますと言われました。私たちの信仰は将来に約束された信仰です。けれどもそこで忘れてはならないのは、将来に望みをおいて生きるということは、今の時には、さまざまな苦しみがあり試みがあるということです。さまざまな迷わせるものがでてくるのです。救いというのはこういうものではないのかと様々な声が聞こえてくるのです。偽預言者と呼ばれる人々が出てくる。キリスト教が教えようとしていたものはこういうものであったはずだ、と人の耳に優しい言葉が語られることもあるのです。

先週、礼拝の後でキリスト教美術講座が行なわれました。岐阜県美術館の館長をしておられる長老のFさんがお話し下さいました。私はこの教会に来て、年に二回行なわれるこの講座を本当に楽しみにしています。
今年は、名画に見るキリスト教のメッセージがテーマです。その中でミケランジェロの話をしてくださいました。当時のローマ教皇ユリウス二世をまさに批判するかのようにして、あのヴァティカンのサンピエトロ大聖堂のシスティーナ礼拝堂に描かれた最後の審判は描かれたのだということでした。宗教改革のきっかけになったほどの建築物ですから、当時の教会がどれほど信仰の道から離れていくことへの批判の意味もあったかということでした。
神の裁きが聖書に語られているのは、まさに、正しい信仰に生きることを促すためです。この終わりの時に、主を待つ望みに生きるという信仰を私たちが失わないためです。私たちは、常に主に期待することがゆるされているのです。なぜなら、神の裁きは救いの完成の時でもあるからです。
あの最後の審判という作品は、写真で見ても圧倒されるような作品です。実際に目で見たらどんなことだろうと思うほど壮大な作品です。けれども、私たちが忘れてはならないのは、神の裁きは単なる夢物語でもありませんし、絵の中の世界ということではありません。ノアの洪水が事実として起こったように、その日は来るのです。私たちはそのことを忘れて生きることはできません。

私たちがこの信仰に生きるためには、ただ神の言葉だけを頼りとしながら主を礼拝しつつ、主に従う道を歩んで行く以外にないのです。そして、このことを決して軽んじることはできません。

お祈りを致します。

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