・説教 「神と共に歩む人生」 創世記5章1-32節
鴨下直樹
今日の聖書は、創世記第五章に入りました。ここには系図が記されています。アダムの系図です。お聞きになってお気づきのように、この系図は一般的なものとずいぶん異なります。何が大きく異なるかと言いますと、誰もが非常に長生きであるということです。もっとも長く生きた者は、969歳まで生きているというのですから、ちょっと想像しづらいものがあります。
昨日、教会でいつも持っております「ぶどうの木」という俳句の会がありました。いつもこの会に出席させていただいて、非常に多くの刺激をうけています。
昨日の句会で特選を取った俳句にこういうものがありました。
白地着て男盛りを思ひをり
「ぶどうの木」の句会を教会員の宮崎さん、古川昭子さんなどが指導してくださっていますが、ほかに名古屋の中京教会の江崎さん、和子さんご夫妻も同人を務めてくださっておりまして、この江崎さん、江崎先生と言ったほうがいいかもしれませんけれども、この方の句です。江崎先生は七十でしょうかもう八十になるのでしょうか。この方が、熱い夏が来ると、いつものように白地を着る。けれども、昔の体とは何か変わってきてしまったなぁと、昔を思い出している句なのでしょう。けれども、ここにはどこかしらユーモアがあります。「男盛りを思いをり」というところに、この句の味があるのだろうと思うのです。
以前、私は江崎先生にお尋ねしたことがあります。「江崎先生の句は、いつも何かユーモアがありますね」と尋ねますと、「私ほどの年になると、いつも死を見据えているのだ」という返事が返ってきました。死と向かい合いながら、このようにそれをどこかで、楽しみながら年を迎えている言葉に出会いますと、私などはハッとさせられます。
先ほど、創世記に先立ちまして、詩篇の39篇を読みました。4節-7節にこうありました。新共同訳でお読みします。
「教えてください、主よ、わたしの行く末を。わたしの生涯はどれほどのものか。いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
ご覧ください、与えられたこの生涯は僅か手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでもすべて空しいもの。ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし、だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
神の御前に出るときに、人の人生などほんとうに短いものです。このように人生のはかなさを歌ったものは、聖書の中にいくつでも見つけることができます。
モーセが記したとされる、詩篇90篇に知られるような
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかもその誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」(10節、新改訳)
を挙げたほうがあるいはふさわしかったかもしれません。このところからも分かるように、聖書は、あらゆるところで、人生の短さを語っています。嘆いています。そうして、神の前に生きるということが、自分の一生にとってどのような意味を持つのかを、それぞれが言い表しているのです。
けれども、この創世記5章だけは例外とでも言うかのように、長寿の人々の名が10代にわたって書き連ねられているのです。その書き方は実に単調です。「○○は何年生きて、○○を生んだ。○○は○○を生んで後、何年行き、息子、娘たちを産んだ。○○の一生は何年であった。こうして○○は死んだ。」
このような単調な繰り返しは、私たちが読めば無味乾燥の感がありますけれども、あるドイツを代表する旧約学者は、 「これを聞いた古代世界の人々には人生の豊かさと、多彩な彩りを感じさせたであろう」(ヴェスターマン) と言っています。それは、こうした当たり前の事柄の上に私たちの生活、ドラマは築き上げられていくのだと、この学者は説明しているのです。
この系図で大事なことは、単調と思えるような毎日であったとしても、この世で彼らは生きたということです。この言葉にあるように、私たちの日ごとの生活も単調なことの繰り返しかもしれません。
「○○は朝起きて、会社に行った。○○はその日の仕事をし、家に帰りそして休んだ。」
そういう毎日の繰り返しです。そのような毎日の繰り返しですけれども、そこで生きている。生きているなら、そこで生き生きと生きるということが大切でしょう。単調な毎日であっても、そこにはそれぞれに実に豊かな人生体験というものが、与えられるのです。そして、その一つ一つ毎日の生活に起こる事柄が、私たちの人生をつくり上げているのです。それが、生きるということです。
そして、この系図に書かれている、もう一つのことは「死んでいった」ということです。生きるということと、死ぬということは、切り離すことはできません。ここには、ちゃんと人は死んでいく存在であることが書かれています。私たちは、生きている間、そのことを忘れようとするかもしれません。あるいは、そのことから目を背けたいと思うかもしれませんけれども、そのことから逃れることはできません。ちゃんと死と向かい合って生きることが、やはり大事なのです。
先ほど詩篇39篇をお読みしました。この詩篇の作者はダビデとされていますけれども、このダビデは自分の生涯は神の永遠から見ればとるに足りない、まさに「僅か」、ここではそれを「手の幅ほど」と表現しています。神の永遠の長さからすれば、自分の人生の長さなど「手の幅ほど」としか呼べないような短い人生でしょうと、自分のいのちの短さを嘆いています。けれども、そこでダビデは人生を所詮その程度のものですなどと言ったりはしませんでした。
この詩篇は続いてこう書かれています。8節、新共同訳でお読みします。
主よ、それなら 何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。
ダビデが私は神に望みをかけると言うのです。ここに、自分の死と向かい合った者の生き方が示されています。私は神に望みを置いているので、死と向かい合うことができると言うのです。そのように生きるなら、死をいたずらに恐れて顔を背ける必要はなくなるのです。
先ほどの江崎先生の俳句の中にも、私はそのような死と向かい合いながら生きている一人のキリスト者の姿が歌われていると思うのです。俳句には直接言われていなくても、自分の衰えを見つめながら、ユーモアを交えて語るゆとりがそこから出ているのではないかと私は思うのです。しっかりと死と向かい合いながらも、神に望みをおいているからこそ、この方はこうのようは句をつくることができるのでしょう。
ここにある系図には、非常に長い人生を生きた人々の名が記されていると先ほど私は言いました。それはちょっと考えてみれば、ありえないほどの長寿です。私が子供の頃のことですけれども、この数字はやはりおかしいと思いまして、牧師であった父に質問をしました。「このアダムは930年生きたとか、メトシェラは969年いきたとか、こういう数字はおかしいのではないか?」。父は、「この時代は、ひょっとすると今のように公害もなかったし、紫外線も強くなかったし、食べ物も空気も新鮮であったので、それだけ長生きできたのかもしれないぞ」と答えたのです。もちろん、父も何かでそう読んだのかもしれませんし、あるいは、そのように教えられたのかもしれません。誰も見た人はおりませんから、はっきりしたことは分かりません。けれども、私がこの創世記の説教の最初のところでお話したように、この創世記は歴史的な事実がここにすべて書かれているわけではありません。そうではなくて、イスラエルの民が自分たちの歴史をそのように教えられ、語り継いでそう信じてきたということが何よりも大切なことです。ですから、このような年齢は事実である必要はないのです。
また、ある学者たちは、ここに出てくる数字に何か特別な意味を表そうとしたのではないか?とこの数字の意味を解いてみせようとしました。永い間それも成功しておりませんでしたけれども、最近では、これはユダヤ人にとって大切な数字、3、5、7という数を何倍したものというふうに覚えやすくしたのではないかと説明する人がおります。たとえば、アブラハムは175歳まで生きました。これは7×5²、イサクの百八十歳は5×6²、ヤコブの百四十七歳は3×7²、ヨセフの百歳というのは1×(5²+6²+7²)、という具合に、みんなこれに当てはまるというのです。もちろんそうであったかもしれませんし、そうでなかったかもしれません。
いずれにしてもここで明らかなことは、このアダムからノアまでの十代に及ぶ系図の中で、誰一人として千年には及ばなかったということははっきりしていることです。これは、千年という年は永遠と考えられていましたから、だれも永遠には生きることはできないということが、ここではっきりと語られているのです。
しかも、ここにカインの末裔に名前があった「レメク」という名前が出てきています。28節からこうあります。
レメクは百八十二年生きて、ひとりの男の子を生んだ。彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう」。(28-29節 新改訳)
この「レメク」という名前は「強い者」という意味であることは先週お話しました。このレメクは自分の強さを誇りとして生きてきたのでしょう。けれども、その彼は「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労している」と嘆きました。これは、自分の力や強さでは自分を本当に慰めることはできなかったという告白です。永遠のように、長い年月人々は生き、生活し続けてきました。けれども、その最後に出てきた言葉は、自分の強さで自分を慰めることなどできないのだと言わざるを得なかったのです。ここに、神を失った人間の悲しい告白があるのです。
けれども、この系図の中に一人だけ他と異なる書き方がなされている人物がおります。「エノク」です。
エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。(21-24節 新改訳)
ここに、一人、これまでの人々とはまったく異なる人生を歩んだ人が登場します。それがこのエノクです。「エノクは神とともに歩んだ」と、彼については実にその一言が書かれているだけですが、ここに、楽園を追放された人間にひとつの希望が指し示されます。つまり、神の世界を追い出された人間であったとしても、「神とともに歩む」ことができるという希望です。
この系図はアダム、そしてその子セツの系図です。「神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ」ました。そして、三節では「アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツを名づけた」と書かれています。ここには、兄弟殺しをしてしまったカインの末裔の系図ではなく、神のかたちに造られたアダムが彼のかたちどおりの子を生んだのですから、この系図は、一方では神の子どもとして書いているようですけれども、それでもやはり、エデンから追放されたアダムの系図です。罪を犯した後のことです。けれども、そのような罪を犯した人間もこうして神とともに歩むことができるというこの知らせは、この後生まれてくるノアへとつながる人々の希望となっていきます。たとえ私たちは死を目の当たりにして生きていても、神とともに生きることができる。そして、このエノクはそれゆえに「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」とあります。これは長い間、エノクは死ぬことなく、神のもとに召されたのだと理解されてきました。ヘブル人への手紙にもそのようにあります。また、旧約聖書を代表する預言者エリヤも、神に取られて、火の戦車に乗って天に召されていったことが記されています。このエノクがエリヤと同じであったかどうか、この短い言葉の中からどれほどのことが言えるのかは分かりませんが、明らかなことは、人は神とともに歩むことができるということです。こうしてここに、新しい生き方が示されることになったのです。
そして、このエノクのように神とともに歩むことができた人がレメクから、「強い者」という名前をもつ「レメク」から生まれました。その人の名前は「ノア」と言いました。ノアは、レメクの最後の言葉にあった「慰め」という意味です。人は自分の無力に気づくときに神を求めます。そして、この神に頼んで生きるならこの神は人を慰めることができるのです。
私たちは知らなければなりません。私たちの慰めは強さの中にはないということを。私たちは慰めを求めてさまざまなものを欲しがります。もっと何かがあれば自分は幸せになれると考えてしまうのです。けれども、そのような私たちを強めてくれるものを求めても、私たちはすぐに別の何かを求めます。そのことは私たちは経験的に知っているはずです。私たちの貪欲というのは際限がないのです。どれほど手に入れても、本当には満足することができないのです。
けれども、私たちはそのような方法からまったく離れて、自分の力ではない神の力を、ただ、神を求めるときに、そこからまことの慰めをいただくことができるのです。それゆえに、聖書はひたすらにこの慰めを語っているのです。神から来る慰めなしに、私たちは平安を持って生きることはできないのです。そうです。私たちはエノクのごとく、神から慰めをいただいて、神とともに歩む生き方をすることができるのです。私たちがそのようなこの世界にある力、慰めを求めるのではなく、そのようなものを捨てて、自分は何も持たない小さな者ですから、神よ、私はあなたに信頼しますと生きるなら、私たちはその時、この神からのまことの慰めを受けることができるのです。そして、エノクのように、この世界の中にあっても平安をもって神とともに生きることができるようにされるのです。
お祈りをいたします。