・説教 マルコの福音書14章10-26節「イスカリオテのユダ」
2019.05.12
鴨下 直樹
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今日私たちに与えられている聖書はマルコの福音書の14章10節から26節までです。いつも、説教のための聖書の箇所をできるだけ一つのテーマになるように区切るということに心を傾けているのですが、多くの人は前のナルドの香油のところから今日の11節までを一区分として分けるのが一般的です。この10節と11節のイスカリオテのユダの裏切りの出来事を、ナルドの香油の出来事の結果として、そこまでを一区分として読むわけです。そうすると、そのあと12節から26節は少しユダのことを忘れて、最後の晩餐の出来事として読むことができるわけです。
ところが、今回、私は、10節から26節を一区分として区切りました。そうすると、このユダの出来事と聖餐とが結びつくようにどうしても読まなければなりません。本来、この箇所はそういう流れの中にあることを心に覚えておく必要があるわけです。
この前には、ある女が300デナリもの香油を主イエスに惜しげもなく注いだことが書かれています。その時に、弟子たちはこのふるまいを見てもったいないと考えた。自分にくれれば有効に使えるのに、そう考えて読むわけです。そこではユダのことを念頭に置いているわけで、ユダはお金に少し汚い人物であったというイメージが刷り込まれています。もちろん、ほかの福音書でもそういう書き方がされているわけです。
しかし、あるドイツの神学者は、イスカリオテのユダは、この前のナルドの香油の出来事の時に、本当にこれを貧しい人のために用いられるべきではないかと思っていたのではないかと考えています。私たちはユダのことをどうしても、悪者というイメージを先に持ってしまっていているのですが、そうではないということに気づかせようとしているわけです。たとえば、この10節に「引き渡す」という言葉があります。これを、私たちは自動的に「裏切る」という意味で頭の中で置き換えてしまうわけですけれども、まだそこまでのことにはこの時点ではなっていないのではないかとその神学者は言います。
ユダはこの高価な香油を本当に貧しい人のために用いるべきだと考えていた。それは一つの解釈ですけれども、確かにそのように考えることはできると思います。けれども、主イエスはご自身でそれを喜んで受け入れられるわけです。ここに、失望が生じるわけです。これは、よくわかると思うのです。「高潔な人」という言い方があります。ユダは弟子たちのお金を任されるような人であったわけで、それは本当であればすぐにこの人はお金に汚い人であったというイメージにはならないわけです。そういう高潔な人物が、イエスが遊女から300万円相当の香油を注がれて喜んで受け入れている姿を見て、もうこれは見てはいられないと思ったということはありうることです。
もちろん、それは一つの解釈の可能性ですが、そうであるとこのイスカリオテのユダという人物の見方は少し違ってくるのではないかと思うのです。
そういう中で、過越の祭りの子羊を屠る日がやってきます。主イエスは、エルサレムに入城されるときに、子ろばを備えておられたように、ここでも、弟子たちと共に過越の食事をする大広間を備えていてくださいました。今でいえば、宴会場を予約していて、そこでこれから仲間たちとの楽しい食事をしながら祭りの時を過ごそうというわけです。
ですから、言ってみればこの食事は仲間たち、しかもごく親しい者たちだけの祝いの宴であったわけです。そういう食事の席で、主イエスが弟子たちに語りかけた言葉がここに記されています。
18節です。
「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります」
この言葉を聞いた時、弟子たちの楽しい宴会気分は一気に凍り付いたと思います。さきほど、「聖書のはなし」の中で、ダビンチの描いた最後の晩餐の絵が映し出されていました。厳密に言うと、ダビンチの絵のレプリカの画像です。実物はあんなに鮮明な絵にはなっていないわけですが、雰囲気はよくわかると思います。ダビンチはまさに、この一瞬を切り取って絵にしたわけです。「弟子たちは悲しくなり、次々にイエスに言い始めた。『まさか私ではないでしょう。』」と19節にあります。「主よ、信じてください、私はそんなことは決していたしません」という言葉ではなく、弟子たちは「まさか、私ではないでしょう」と口々に言ったのです。誰もが、まさか自分が疑われているのかという動揺と、そして、自分では決してないと言いきれない思いがあったのです。あの絵は、まさにこの弟子たちの動揺している姿を切り取っています。
もし、この場所に私たちが同席していたら何と口にしたでしょう。何を言う事ができたでしょう。この時弟子たちの心に広がった悲しみは主イエスの次の言葉でさらに追い打ちをかけられることになります。
イエスは言われた。「十二人の一人で、わたしと一緒に手を鉢に浸している者です。人の子は、自分について書かれているとおり、去っていきます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」
ここには、主イエスのお言葉とも思えないような、できればこの言葉を聞かなかったことにしたいと思えるような言葉が記されています。
先ほどの二枚目の絵は、ある絵本の挿絵です。この絵をみると当時の食事の雰囲気がよく分かります。ダビンチの絵のように、この時代の晩餐というのはテーブルに座っているわけではありません。おそらく、床に腰を下ろして、あるいは寝そべりながら食事をしていたわけです。そして、指を洗う鉢もみんなで一緒に使っているわけです。日本の食卓のイメージいえば、鍋か、あるいはお寿司か何かを食べながら、醤油の皿が置かれていて、みんなでその皿の醤油をつけて食べているような感じでしょうか。食事を囲みながらですから、誰でもそこに手を出せるわけで、隣の人物に確定されているわけではないのです。少なくとも、このマルコの福音書では誰かに特定できるような書き方にはなっていません。誰もが、自分のことを言われているかもしれないという思いを持ったのです。そして、追い打ちはそこで主イエスが「人の子を裏切るような者は、生まれて来なければよかった」と言われたことです。
こういう言葉を聞くと、耳を疑いたくなります。主イエスは人を救うために来られたのであって、呪われるために来られたのではないことを、私たちは知っています。そうだとすると、この言葉はどういう意味なのでしょうか。
人の子を裏切るというのは、どういうことなのでしょう。人の子というのは、簡単に言えば、主イエスのことを指す言葉です。もう何度か説明したと思いますが、旧約聖書にしるされている神の救いをもたらすために約束された人を指す称号です。それは本来の人の姿そのものというニュアンスがある言葉です。その人の子と言われるお方は救いの主として来られると書かれているわけで、「救いの主」と言い換えることもできるかもしれません。この神の備えてくださった救い主を拒絶する。神の救いを拒むものは生まれて来ない方がよいというわけです。つまり、神の救いを必要としないのであれば、それは滅びに生きることを自ら選び取っているわけです。この言葉はそういう意味です。神の救いを必要としないのであれば、つまり、主イエスを必要としないのであれば、生きている意味がないということなのです。
生まれて来なければよかった人というのは、誰のことなのでしょう。まず、ユダを数えることはできるでしょう。けれども、それは同時にほかの主イエスの弟子たちにも同様に問われることです。というのは、ペテロをはじめとして、主イエスの弟子たちはみな、主イエスの逮捕と裁判を経て十字架の刑に至るときには、皆どこかへ姿をくらませてしまっているのです。弟子たちはみな、主イエスを裏切った。そう言う事もできるわけです。
そして、大事なことは主イエスがそう言われた後で、何をなさったのかということです。続く22節からのところで、「生まれて来なければよかった」と言われた人たちを、主イエスは聖餐に招いておられるわけです。
私たちは聖餐に与るときに、主イエスの御業を想起することと、感謝をささげることを大切にしています。想起する。想い起こす時に、何を想い起こすのかといった時に、ひょっとすると、みなそれぞれ違うことを想い起すことがあるかもしれません。自分が主イエスを信じた時のこと。十字架と復活の意味がよく分かった時の事。洗礼を受けるという決断をした時のこと、それぞれ異なっていると思います。
弟子たちは、この最初の聖餐式の時のことを思い出すと、複雑な気持ちになるのではないでしょうか。それは決して楽しい思い出とはなりませんでした。疑われ、生まれて来ない方がよかったと言われ、そういう悲しみの気持ちの中で、主イエスはパンを与え、葡萄酒を与えられたというのです。きっと、この最初の聖餐式は悲しい経験であったに違いないのです。そして、主イエスの本当のお心を受け取ることができるまでにはまだしばらくの時間を必要としたのです。
この話を祈祷会でした時に、ある方が、「弟子たちにとって、この時の出来事はきっとよすがとなったのでしょうね」と言われました。
「よすがとなる」。綺麗な言葉です。私はあまり使ったことのない表現です。「拠り所となった」という意味の言葉です。その時は見えないのですが、あとでその意味が分かったときに、それはかけがえのない出来事となったはずなのです。
祈祷会の時にも話していたのですが、先日車である音楽を聴いていました。最近の方の歌で、「娘より」というUruという人の曲です。目の前を手をつないで歩いている親子をみて、自分の子どものころのことを思い出しているのです。親の顔を見るたびに親のことを責めていた。優しくされるのも嫌、だけど何も言い返さないでいつも必ず私のために居場所をつくってくれていた。そんなことを思い出している歌です。その中にこんな歌詞があります。綺麗な服を着て欲しいと思っていた。でも周りの人と比べられないように、悲しい思いをさせないように、自分のことを後回しにしてくれていたんだ。そう気づいたと歌うんです。今は離れて暮らしているけれど、一緒にすごした日々があるから、愛されたという記憶があるから私は大丈夫。そんな内容の歌です。聞きながら、自分の娘がそんなことを言ってくれたら、母親としては最高だなと思うのです。
今日は、母の日です。母親のことを想い起すことが何かきっとみなさんもおありになると思います。これは本当に普通の歌謡曲なんですが、こんな思いをみなさんもどこかに持っておられるのかもしれません。
その時には、自分のことに必死すぎて、見るべきものが見えていないのです。けれども、時間がたって、ふと、何かの拍子にああ、あの時のことはこういうことだったのだと見えてくることがあるのです。
この主イエスにとっては最後の晩餐、弟子たちにとっては最初の聖餐の出来事は、よって立つべきところ、よすがとなったのです。ああ、主イエスを裏切ってしまうような私、ちっとも主イエスの心の中にある悲しみになんか目を向けることができないで、「まさか、わたしではないでしょうね」としか言えなかった自分。けれども、そんなどうしようもない者にも、居場所を作り、食卓を整えてくださっていたのは、主イエスではなかったか。そんなことが、後で、聖餐を祝うたびに分かるようになったはずなのです。
イスカリオテのユダも、ほかの弟子たちも、私たちもみな変わらない、本当に生まれて来ない方がよかったと主イエスに言われても仕方がない者です。けれども、そのようなどうしよもない者のために、主はご自分を犠牲にして、愛を示してくださるのです。
その後で、弟子たちは「賛美の歌を歌ってから、皆でオリーブ山に出かけた」とあります。歌うような気分ではないような時でも、主イエスはそこに賛美を生み出してくださるのです。歌えるようにしてくださる。私たちに、よって立つべきところを与えてくださるお方なのです。
私たちは、確かに主イエスから愛を受けたのです。そうやっていただいた愛を、心からの感謝の思いと共に、この主に賛美を捧げる者でありたいと思うのです。
お祈りをいたします。