・説教 ルカの福音書2章8-20節「恐れるな!」
2022.12.25 クリスマス礼拝
鴨下直樹
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今日、私たちは25日のクリスマスの朝に、こうして教会に集い、み言葉を耳にしています。今朝私たちに与えられている聖書は、「恐れることはありません」と語りかけています。
これは、御使いが夜番をしている羊飼いに語りかけた言葉です。今朝は、この「恐れるな」という言葉を考えるところから始めてみたいと思います。
羊飼いというのは、この地域では最も弱い立場の貧しい者たちでした。夜、暗闇の中で羊を襲う獣や盗賊と戦うのが仕事です。命がけの仕事なのに、身分が低いのです。
今回カタールで行われたワールドカップは、暑い夏をずらして冬の開催となりました。12月でも、カタールは温かいのです。そんな中で、スタジアムの建設に当たった人たちは、貧しい出稼ぎの人たちでした。ドイツの友人から聞いたのですが、すでに10月の時点で、3000人以上の死者がこの過酷な労働のために出ているということでした。そのニュースを知ったヨーロッパの人々は、今回のワールドカップに抗議するために、テレビを見ないという運動をして、そういう人がかなりの数になったのだそうです。人のいのちを使い捨てのようにするやり方に、多くの人々が異を唱えたのです。
このクリスマスに出て来る羊飼いは、このような貧しい人々を代表する存在として神様はお選びになりました。現代も、羊飼いという職業ではなかったとしても、さまざまな羊飼いのような立場の人たちがいることを私たちは考えさせられます。カタールで働いた労働者たち、また戦争のために暖もとれないウクライナの人たち。また今回大雪で、もう一週間近く停電のままでの生活を強いられている北陸の方々があります。あるいは、一人暮らしで孤独を覚えておられる方、病の中で苦しんでおられる方、さまざまな人たちがいます。羊飼いは、そのような弱さを覚えておられる方の代表と言えるのです。
羊飼いたちは、その夜も夜番をしていました。眠気と戦いながら、周囲に気を配り、羊たちの面倒をみるのです。過酷な仕事です。今のような電気の柵が張り巡らされていて、羊が逃げ出したり、野獣が入って来たりすることがないような環境ではないのです。
そんな羊飼いたちのところに、突然天が開け、まばゆいばかりの光が降り注ぎます。この時のことを9節はこう記しています。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使の登場と共に主の栄光が周りを照らしたのです。それを見た羊飼いたちは、非常に「恐れた」と書かれています。
羊飼いたちが日常的に抱えている恐れは、狂暴な野獣が現れることでしょう。自分のいのちの危険を感じる時に恐れを覚えるのです。そうであれば、この恐れは私たちにもよく分かるのです。私たちは、子どもの頃から暗闇の恐怖を感じるものです。
特に、怖い映画か何かを見ますと、いつも夜中に一人で行けるトイレさえ、怖いと感じることがあるものです。得体の知れないものがどこかから出て来るのではないか、そんな不安があります。けれども、ここで、羊飼いたちが感じた恐れは、その手のたぐいのものではありませんでした。もっと、本質的な恐れです。
目の前に現れたのは、暗闇を打ち破るほどのまばゆいばかりの光です。そして、そこにはどんな姿であったのかそれ以上のことは書かれていませんが、御使いがいたのです。人の姿をした存在だったと考えられています。
そこで、羊飼いが感じた恐れは、いのちを脅かされる恐怖ではありませんでした。聖いものの前に出る時に覚える畏れです。自分の卑しさを知らされたのです。羊飼いたちの心の中に、自分を卑下したくなるような、そんな思いが染みついていたのかもしれません。けれども、この自分は貧しい者でしかない、自分は聖なるお方の前に出るのにふさわしくないと感じる、そのような畏れは、決して主なる神が嫌われる思いではなかったはずです。
御使いは羊飼いたちに告げました。まず10節です。
「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」
「恐れることはありません。これは民全体への喜びの知らせです」とまず、御使いは告げました。民全体の代表として、あなたがたを選んだというメッセージが、ここで当たり前のように告げられています。これは、民全体への知らせ、しかも大きな喜びの知らせを、全国民を代表するあなた方に知らせますということです。
この世の王や、大臣や、商人たちでもなく、雇い主や、一族の長でもないあなたがたに、この知らせをまず知って欲しいと思っているのだという、神のメッセージがここにはあります。それは、まさに、この世界にいる、今どんな暗闇の中にいる人のことも神は見ておられるというメッセージです。
神は、暗闇の中に潜むようにしてうずくまっているものを、見ておられるお方です。来年のローズンゲンを先日、みなさんにお届けました。来年のみ言葉は、「あなたはエル・ロイ!」と呼んだ主の御名が年間聖句になっています。
この「エル・ロイ」というのは、「見ておられる神」「顧みられる神」という意味です。
主は、この世界で注目されるような目だつ人だけに目を留めておられるのではありません。羊飼いに語られた「恐れるな!」というメッセージは、今日に生きるすべての人に向けられた言葉なのです。私たちは、私たちの人生を見つめてくださる神様がいてくださるのだから、自信をもって生きよ! と語りかけておられるのです。
御使いは告げます。11節です。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
赤ちゃんと体を包む布と飼葉桶、これがクリスマスのしるしです。もし、このクリスマスのしるしが王宮に、玉座に、衛兵付き、そうであれば、そこを訪ねることをゆるされるのは、限られた人たちだけだったことでしょう。しかし、赤ちゃんのおくるみに、飼葉桶、このしるしはすべての人に救いが開かれているという天からのメッセージでした。この時生まれた神の御子キリストは、特別な選ばれた人たちのための救い主ではなくて、誰でも、どんな人であっても、その人を神はご覧になっておられ、招き、受け入れておられることのしるしなのです。
だから、クリスマスは世界中で祝われるのです。小さな子どもから、大人まで一緒に集まって喜びを分かち合うことができるのです。
すると、天使たちが現れて、闇の世界の住人である羊飼いたちに最高のおもてなしをします。天使たちによる大合唱の賛美を聞かせたのです。
いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。
どんな賛美だったのか、どれほどの歌声だったのか、どれほど素晴らしいものだったのかとても興味があります。大合唱団による賛美もきっとかなわないのです。神様からのこの世界に向けた贈り物です。
もし、天国に映像記録室というのがあって、その時の映像が保存されているなら、天の御国に行ったら是非見せて欲しいと思っています。羊飼いたちも見ることがゆるされたわけですから、私たちにもゆるされているはずだと思うのです。
「天に神の栄光があるように、地にも平和が御心にかなう人たちにあるように」。これは、まさに神の国の福音です。天にある神のご支配が、この地にももたらされますようにと、神様ご自身が願っていてくださるのです。
天の御国は、神ご自身が完全に支配しておられるところですから、そのところには完全な愛と、完全な平和があり、神がいかに素晴らしいお方かということを、誰もが褒めたたえる世界です。罪の入り込む余地のない世界です。そんな、まさに完全な世界が、この地にももたらされますように、その知らせを受け取る人たちの生活の中に、この神の国にあるような平和な世界が訪れますようにと歌うのです。
天の御国で歌われている希望の歌が、暗闇の世界の中にいる羊飼いたちに向けて歌われたのです。
もし、この光景を見ることができたなら、私たちは誰もが感動して涙を流すと思うのです。素晴らしい歌の内容です。天では、天使たちが高らかに、この賛美の歌を歌っているのです。
これを聞いた羊飼いたちはどれほど感動したことでしょう。どれほどにすばらしい歌だったことでしょう。羊飼いたちはそのわずかな時間の中でしたが、確かな喜びの中に包み込まれたはずです。
ただ、このまばゆいばかりの天の輝きと歌声は永遠には続きませんでした。終わりの時が来たのです。再び、もとの暗闇の世界に戻った時、羊飼いたちは何を思ったことでしょう。現実に引き戻された感じがしたでしょうか。あれは夢だったと思ったでしょうか。いいえ、そうはならなかったに違いないのです。
なぜなら、羊飼いたちは御使いから、「恐れるな!」とのみ声を聞いたからです。この時から、羊飼いたちはものを見る目が変わったに違いないのです。なぜなら、天において秘められていた神のメッセージを直接聞いたからです。神は、わたしたちのことを顧みてくださっていて、恐れるなと語りかけておられる。そして、この神はこの世界を、まるで天の御国が完全なように、この世界を神の栄光と平和に満たされた世界にしたいと考えておられるのだということが分かったのです。
羊飼いたちは希望に溢れて、ベツレヘムまで行ったはずです。そして、そこで御使いが告げた通りの、布にくるまった赤ちゃんと飼葉桶を発見したのです。それは、まさに宝物を発見したようなそんな喜びを覚えたことでしょう。神のみ言葉は事実だと確信することができたからです。
最後の20節にこうあります。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ここに書かれているのは、羊飼いが御使いの話を確信して神をあがめたということと、賛美をしながら帰ったという二つの内容です。羊飼いたちが賛美したのは、恐らく自分たちが聞いた天使たちの賛美だったのではないでしょうか。
いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。
天使たちがこの世界に告げた賛美は、羊飼いたちの賛美となったのです。自分たちの希望の歌となったのです。
これが、クリスマスです。これが、クリスマスに起こった出来事でした。
神は、今も私たちに語りかけておられます。「恐れるな!」と。そして言われるのです。
いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が
みこころにかなう人々にあるように。
私たちも、この福音の言葉を受け止めながら、高らかに主への賛美を歌いましょう。
お祈りをいたします。