説教:マタイの福音書13章44-52節 「天国の専門家として」
2011.7.24
鴨下直樹
先週の日曜日、私はマレーネ先生と一緒に青年キャンプの奉仕に行ってまいりました。青年キャンプのテーマは「旅」です。聖書の中には旅を連想させる言葉がいくつもあります。
今、水曜日と木曜日の祈祷会で創世記をずっと学んでおりまして、現在はヤコブのところをもう少しで終わろうとしています。この祈祷会でアブラハムの生涯から順に学びはじめまして、ヤコブのところまで来たのです。私が、聖書の中から「旅」と聞いて直ぐに思い起こすのは、このアブラハムの生涯です。先日も、祈祷会の時に、少しアブラハムの生涯を振り返ってみたのですけれども、アブラハムの旅というのは、大変なものであったと言っていいと思います。まず、神から約束の地に行きなさいと言われて、約束の地、カナンの地に到着するのですけれども、そこには食べ物がなかったのです。到着したという報告もないままに、聖書は「さて、この地にはききんがあったので」と創世記第十二章十節に書かれています。
みなさんでも、そうでしょうけれども、どこかに旅行に出かけて、ついたホテルに食事がなかったなどということになったら、そんな旅行契約を立てた旅行会社に文句を言いたくなるでしょう。神様が旅を計画してくださるのだから、安心して身を預けたらいいということが記されているかと思うと、そんなことは全くないのです。
主イエスもまた、アブラハムと同様、旅の生涯をおくった人と言っていいと思います。ところが、主イエスもまた、天からこの地にお生まれになった時から、泊る宿さえなかったのだと、このマタイの福音書は記しています。神が私たちに与えてくださるこの人生の旅路というものは、どうも、それほど居心地のよいものではなさそうです。 (続きを読む…)