2019 年 9 月 1 日

・説教 テサロニケ人への手紙第一 2章1-12節「愛に生きる福音」

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2019.09.01

鴨下 直樹

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 パウロはテサロニケの教会の人たちに手紙を書き送っています。この第二章でパウロは、今まで自分がどのような思いや状況の中で、テサロニケで伝道してきたのかを想い起してもらおうと言葉をつづっています。そして、ここから分かるのは、パウロがテサロニケに来る前のピリピの教会でどれだけ大変な思いをしたのかということがよく分かる言葉です。このピリピでパウロと一緒に伝道していたシラスは投獄されてしまいます。その後、地震が起こって牢の扉が開いてしまうのですが、パウロと一緒にいた囚人たちも逃げなかったのです。その時のことがきっかけで、この時の看守の家族が信仰に入ったということが使徒の働きの16章に記されています。

 そういう中でパウロたちはテサロニケの町へ向かったのです。このことを語ることによって、パウロがどれほどの思いを込めてテサロニケで伝道したのかが伝わることを願ったのです。けれども、それは、テサロニケの人々を喜ばせるためではなく、「神に喜んでいただこうとして、語っているのです」と4節で語っています。この手紙を聞いている人たちからすると、自分たちのためではないと言われているわけですから、聞いた時には耳を疑いたくなる人も出たかもしれません。けれども、パウロはあくまでも神に誠実でありたいと思って伝道しているのだということをここで、躓かれてしまうことも恐れないで語っているのです。
 8節にはこうも書かれています。

あなたがたがをいとおしく思い、神の福音だけでなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。

 私は二週間の間、教会を留守にしておりました。今日は久しぶりにみなさんと顔を合わせることができてとてもうれしく思っています。私は11日の礼拝の後、12日の月曜から15日の木曜まで中津川にあります長老教会のキャンプ場で、中学生や高校生と4日間ともに過ごしながら、そこでみ言葉を語る機会が与えられました。長い間学生伝道をしてきましたが、もうここ何年も学生たちのキャンプで説教をする機会がありませんでしたから、とてもわくわくしながら出かけました。 (続きを読む…)

2019 年 8 月 11 日

・説教 テサロニケ人への手紙第一 1章1-10節「神に愛されている兄弟たち」

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2019.08.11

鴨下 直樹

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 先週、私はいつもとは少し違う一週間を過ごしました。というのは、明日から木曜日まで長老教会の主催する学生キャンプの講師を頼まれまして、そのための説教の準備のためにほとんどの時間を費やしました。おそらく、一週間の間で5つの説教を作るというのははじめての経験だったと思いますが、なんとか5つの説教を書き上げることができました。

 と言っても、礼拝の説教とは少し違っていて、このキャンプにはテーマがあります。そのテーマに基づいて説教をつくるわけで、いわゆるテーマ説教とか、主題説教と言います。

 長老教会の先生と何度か連絡をしあいながら、どんなことを狙っているのかお聞きしながら、説教の準備をするわけで、私がこれまでしてきた説教をところどころ取り入れながらの準備でしたので、礼拝説教の準備よりは少し時間が短くてすんだというところがあります。このキャンプのテーマは「Stage of the Lord」というテーマでした。「私たちの人生は主が備えてくださったもの」そんなことを願っているということでした。

 こういう英語がでてくると、分かったような分からないような気持ちになる方もあるかもしれませんが、いつもの聖書の言葉でいうと「神の国に生きる」とか「神の御支配の中で生きる」ということと同じことだと言っていいと思います。そして、このことは福音の中身ともいえるわけです。学生たちに、神の国に生きるというよりも、もう少し具体的なイメージのある言葉で伝えようということなのでしょう。神が私たちの人生のステージを備えていてくださる。そういうテーマでキャンプの中で4回のメッセージをしようと思っているわけです。

 その準備を終えて、このテサロニケ人への手紙の第一を読み始めたわけですけれども、なんだか、この4回のメッセージの続きを書いているようなそんな気持ちになっています。

 今日からパウロがテサロニケに宛てた手紙をともに耳を傾けていきたいと思っているわけですが、パウロのテサロニケでの伝道については先週少しお話しいたしました。このテサロニケという町の近くにはアテネとかコリントという有名な町があります。もっともアテネとコリントは隣のアカイア州ですが、テサロニケはマケドニア州にあります。このテサロニケは州都ですから、この地域のもっとも大きな町であったといえるわけです。パウロはこのテサロニケで一か月から半年の間だったでしょうか、その期間に伝道をしましたが、最後は半ば夜逃げのようにして、この町を離れなくてはなりませんでした。それで、このできたばかりの教会のために手紙を書きました。それが、このテサロニケ人への手紙第一です。
 1節にこう書き始めました。

パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。

 この手紙を書いた時に、シルワノとテモテが一緒でした。シルワノというのは、使徒の働きでは「シラス」と書かれている人です。どうもこのシルワノというのはラテン語の言い方のようです。この三人はテサロニケの町で伝道して、福音を語りました。そして、そこで語られた福音を聞いて、信じた人々がいたわけです。

 それで、パウロはこの手紙でこの信じた人たちのことをこう言いました。

「神に愛されている兄弟たち、私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています」

4節です。
 たくさんいるテサロニケの中でも、福音を聞いて信じた人たちがいる。その人たちは「神に愛されている人、神に選ばれた人」なのだと言ったのです。多くの人がいるなかで、たくさんの人が福音の言葉を聞いたわけです。その中から信仰に生きるようになったというのは、神様に愛されているから、神様に特別に選ばれているからだとパウロは言ったのです。 (続きを読む…)

2019 年 8 月 4 日

・説教 使徒の働き17章1-10節「パウロのテサロニケ伝道」

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2019.08.04

鴨下 直樹

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 今日から、ともにパウロがテサロニケに書いた手紙からみ言葉を聴いていこうとしています。そのために、今日は、パウロのテサロニケ伝道がどのように行われたのかが書かれている使徒の働きの17章の1節から10節までのところに目を向けてみようと思っています。もっとも、本来は9節で区切られています。けれども、この10節に大事なことが書かれていますので、読んだ印象としては中途半端ですけれども10節までを選びました。今日は、このところからみ言葉を聴いていきたいと思っています。

 パウロがテサロニケで伝道したのは第二次伝道旅行の時です。その前にはピリピで伝道しています。ところが、ピリピでの伝道の半ばで投獄されてしまい、そのあと釈放されます。そしてテサロニケにやってきたわけです。ところが、今お読みしましたように、テサロニケでもあまり長い間伝道できませんでした。ここには三回の安息日にわたって、ユダヤ人の会堂、つまりシナゴグと呼ばれるところで、伝道したと書かれています。そうするとわずか20日程度の伝道であったということになります。もっとも、この時のパウロの伝道でテサロニケに教会が生まれます。その時生まれた教会にパウロは手紙を書いているわけですから、実際に20日程度だけしかテサロニケにいなかったどうかは分かりません。会堂で伝道した期間が3週にわたってということであって、もう少し長く留まったのではないかということも考えられます。パウロがこのテサロニケの町でどれくらいの期間伝道できたのか明確なことは分かりません。

 パウロはピリピ人への手紙の中でテサロニケでの伝道のことを書いていますが、その4章の16節で、「テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。」と書いています。この箇所をそのまま素直に読むと、二度にわたってピリピの教会から支援を受けているわけですから、3週間の間に二度支援が送られてくることもあり得るとは思いますけれども、もう少し長くとどまっていたのではないかと考えられています。パウロのテサロニケの伝道期間についてはいろいろな意見がありますが、半年くらいはテサロニケにいたのではないかという考え方もあります。もちろん、はっきりしたことはこれ以上書かれていないので、分かりませんけれども、ひと月から数か月という短い期間に、パウロはテサロニケで伝道をし、そこで教会が生まれたということは間違いなさそうです。 (続きを読む…)

2019 年 7 月 21 日

・説教 マルコの福音書16章1-8節「空虚な墓」

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2019.07.21

鴨下 直樹

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 ここにとても美しい物語があります。安息日が終わりました。当時は日が沈むと一日が終わりと考えられていました。ですから、夜から新しい日と考えたのです。主イエスが亡くなって墓に葬られてから、ここに名前の記されている3人の女の弟子たちは気が気ではありませんでした。何とか早く主イエスの埋葬された遺体に油を塗って死の備えをしたいと思っていたのです。それで、油を安息日が終わったその晩のうちに準備したのでしょう。そうして夜が明けるのを待って、墓に急いだのです。けれども、一つ大きな問題がありました。それは、主イエスの墓に転がされている大きな石のふたを動かさなければならないという問題です。

 ところが墓に行ってみると、自分たちの問題としていた墓の石が転がしてあるのです。ほっとしたかもしれません。普通なら、これで問題解決です。目の前に差し迫った問題はこれでクリアーされたわけです。ところが、墓の中に入ってみると、真っ白な衣をまとった青年が右側に見えます。そして、彼はこう告げたのです。
6節です。

「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを探しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。」

 その知らせは衝撃的な内容でした。確かに墓のふたの石を転がすという差し迫った問題はあったのですが、それが解決したと思ったら、もっと大きな、そしてとてつもない問題がそこで突き付けられたのです。肝心の墓の中にあるべき主イエスの体がないというのです。

 この出来事を読んだ人はここで一気にいろんなことを考えはじめるわけです。なぜ、男の弟子たちの名前が出てこないのだろう。弟子たちは一体何をしていたのだろうということがまず気になります。その次に、この墓にいた青年ですが、天使ではなかったのかと、復活の出来事を知っている人であればそこが気になるかもしれません。そして、最後の8節まで読んでいくと、さらに気が付くのは、よみがえったはずの主イエスの姿がどこにも描かれていないということが気になるのです。そして、さらには、ここを最後まで読むと、8節にこうあります。

彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 マルコはこの大切な復活の場面を描くところで、誰がどのように変えられたかというような信仰の言葉を書かないのです。誰がどう信じたのか、どう受け止めたのかということは、最後の一文章だけを書くのにとどめています。そして、その文章というのは、「恐ろしかったからである」という言葉が書かれているだけなのです。もう少し、気の利いた言葉でまとめてくれてもよさそうなものですが、マルコは起こった出来事だけを淡々と記録しているのです。

 ですから、この福音書を読む人は、その後どうなったのか気になって仕方がありません。おそらくそういうこともあって、後になって、このマルコの福音書には、実に多くの人々がこの後の出来事を書き加えました。それが、9節以降です。けれども、聖書にはそのところはみなカッコ書きになっています。これは、明らかに後の時代に書き足されたことがわかっているので、このようになっているわけです。ですから、この9節以降についてはここで取り扱いません。8節のこの言葉で本来のマルコの福音書は終わっているのです。

 このマルコの福音書の書き方は他の福音書の書き方とはまったく異なっています。復活の主イエスと出会った時にどうであったのか、弟子たちが何を思ったのか、どう行動したのかということは、まるっきり書かれていません。ここには、その日の朝の出来事はこうでしたということが淡々と記録されているだけなのです。そして、だからこそ、このマルコの記録には真実味があるわけです。
 復活というのは、こういうことなのだということを、ここを読むと改めて考えさせられます。当たり前の出来事ではないのです。信じられない出来事です。そして、マルコはここで、3人の女の弟子たちが、逃げて、気が動転していて、誰にも何も言わなかったのだ。その理由は、彼女たちが恐ろしかったからだと書いたのです。それで、終わりです。

 しかも、原文には最後にガルという言葉で終わっています。「なぜなら」という言葉です。「なぜなら」と書きながら、そのまま終わってしまっているのです。 (続きを読む…)

2019 年 7 月 14 日

・説教 マルコの福音書15章33-47節「光を与えたまえ」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 13:46

2019.07.14

鴨下 直樹

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「さて、十二時になったとき、闇が全地をおおい、午後三時まで続いた。」

 今日の聖書はこのところからはじまっています。十二時というのは、お昼の十二時です。太陽が一番高く上るとき、つまり一日の中でもっとも明るい時間、もっとも光に包まれている時間です。その時に、この世界は闇に包まれたのだと聖書は語っています。

 主イエスが十字架にかけられている時、それこそまさにここでこそ神の光が注がれたら、誰もが奇跡が起こったと信じることのできるような時に、神はこの世界の希望に応えるのではなくて、闇に支配されてしまった。そして、その闇が三時まで続いたと記しています。

 光が欲しい、救いが欲しい、神の助けが今あれば、神を信じるのに、と人が思う時があります。しかし、いつもそうですが、神の救いの光は、私たちの望むように簡単に与えられたりしないのです。そこにあるのは、神の沈黙と絶望です。

 私たちが神を必要とするときに、時折そのような思いを抱いてしまうことがあるのだと思うのです。なぜ、神は私の祈りに耳を傾けてくださらないのか。神は死んでしまったのではないのか。そう考えることがどれほど楽だろうかと考える人は多いのです。実際に、教会に足を運びながら、この神の沈黙に耐えられずに、離れていく人は少なくないと感じます。

 そして、驚くことに、そのような神の沈黙を経験し、闇を味わいながらこの聖書に出てくる人物はこう叫んだというのです。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

 34節にそのように記されています。この礼拝に先立って、祈祷会でこの箇所を学んだ時に、何人かの方が、「この主イエスの叫びの言葉が理解できない」と言われました。もっとほかの言葉があるのではないのかと言うのです。あるいは、神に見捨てられると言っても、すぐその後でよみがえるわけだから、すでに分かっていることを大げさすぎるのではないかというのです。

 こういう問いかけはとても大切です。そういうところから、この言葉の持つ意味がより明らかになるからです。私もそう聞きながら、改めて、この主イエスの言葉の持つ意味を考えさせられています。そこで改めて考えさせられるのは、主イエスにとって、神から引き離される、闇に支配されるということがどれほど恐ろしいことなのかということを、私たちはあまり理解できていないのではないかということを改めて考えさせられているわけです。 (続きを読む…)

2019 年 7 月 7 日

・説教 マルコの福音書15章21-32節「三本の十字架」

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2019.07.07

鴨下 直樹

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 今日、私たちに与えられている聖書のみ言葉は、主イエスが十字架にかけられるところです。マルコの福音書は、この出来事をできるかぎり淡々と、事柄だけを列記するような仕方で書き記しました。一節ずつ、それぞれ異なる情報を淡々と読む私たちに伝えています。人が、一人十字架につけて殺される。しかも、キリストとしてこの世界に来られたお方の死を描くのに、ドラマ性をほとんど無視して書いていくわけです。そして、だからこそ、この時の出来事が、いっそう真実味を帯びて読む私たちに迫ってくるわけです。

 ローマの著述家のキケロは十字架刑について「最も残酷にして、最も恐るべき刑罰」と言っています。そして、「決してそれをローマ市民の身体に近づけてはならない。決してローマ市民の思い、眼、耳に近づけてはならない」とさえ言っています。見ること、耳にすること、考えるだけでも恐ろしいというほどに、十字架の刑罰は人を躓かせるに十分な残忍な方法であったことがよくわかる記述です。十字架刑というのは、それほど残酷で、最も恐るべき刑罰なのだと言うのです。

 そして、ここにはたまたま通りかかったために、その十字架を主イエスに代わって背負わされることになったクレネ人のシモンのことが記されています。ところが、興味深いのは、このシモンは「アレクサンドロとルフォスの父で」と紹介されています。この二人の名前は、初代の教会の人たちには知られていた名前であったようです。この時に十字架を背負わされたシモンは、その時はひどく腹を立てたでしょう。不当なことをされたと感じ、不名誉なことを命じられたわけですが、結果、やがて主イエスを信じるようになったのでしょう。つまり、その子どもたちは教会の中でよく知られる人物になっていたというのです。

 シモンはまるで自分がその十字架に磔にされるような気持ちをそこで味わいました。もちろん、シモンは十字架にかけられることはありませんでしたが、十字架に磔にされるという意味は、おそらく他の誰よりも明確に感じたに違いないのです。

 もしかすると、当時の読者はこの書き方で自然に、シモンの気持ちになってこの十字架の出来事を読んだのかもしれません。それほど主イエスに興味があったわけではない。むしろ、なかば無理やりに十字架を背負わされて、自分はいったいどんなことをした人の十字架を背負わされることになったのか、そんな少しばかりの興味を抱きながら、これから起こるであろう十字架の出来事を、どこか他人事のような思いで眺めようとしたのかもしれません。

 この時、主イエスをかけた十字架の上には「ユダヤ人の王」という罪状書きが書き記されました。そして、二人の強盗と一緒に十字架にかけられたと書いてあるのです。

 「ユダヤ人の王」。クレネ人のシモンにはさほど意味を持たない言葉です。けれども、ユダヤ人にとってはどうだったか。きっと自分たちが馬鹿にされているような、そんな思いになったかもしれない。そんな想像が頭をよぎったかもしれません。そして、シモンの背負った十字架には「ユダヤ人の王」と掲げられた男が磔にされ、その右と左には「強盗」が磔にされた。起こった出来事としてはそれだけのことです。それが、どれほどの意味があるというのでしょう。

 この礼拝堂の前の聖餐卓の上にいつも小さな三本の十字架のブロンズの置物が置かれています。これは、古知野教会の長老で鉄のクラフト作品を作っておられる加藤さんの作品です。その教会の牧師をしていた時に、加藤長老の家で毎月家庭集会が行われていました。いつも玄関の下駄箱の上に飾られていたこの三本の十字架の作品が、私はとても気に入っていて、行くたびに褒めていたのです。そうしたら、ある時にこの作品をくださったのです。 (続きを読む…)

2019 年 6 月 16 日

・説教 マルコの福音書15章1-20節「人の裁きと神の裁き」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 20:02

2019.06.16

鴨下 直樹

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 この箇所の中に、私たちが見たいと思うものは何一つありません。主イエスがピラトによる裁判を受け、バラバが解放され、そして、その後主イエスのむち打ちと、主イエスに向けられる兵士たちの嘲笑の姿が示されています。人を愛し、人が神の御心に従って生きるようになることを望まれた主イエスに待ち受けていたのが、この受難のお姿であったのです。

 ここを読むときに唯々、気持ちが重くなり、大きな悲しみと何とも言えない重たい気分が私たちの心を襲うのです。しかし、聖書はこの私たちが見たいと望まないものを私たちにしっかりと見て、受け止めるように要求するのです。そして、その先にしか希望が生まれてくることはないのだということを、私たちに悟らせようとしているのです。

 祭司長たちの裁きの後、夜明けとともに

祭司長たちは、長老たちや律法学者たちと最高法院全体で協議を行ってから、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。

とこの1節は記しています。ピラトが裁判を行うというのに、いったいどんな協議が必要だったというのでしょう。祭司長たち、長老たち、律法学者たちはなぜそこまで執拗に主イエスを貶めたいのでしょう。「ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである」と10節では、伝えています。

 ここで明らかになっている人の罪の姿はねたみだというのです。多くの人にとって、人の自慢話を聞かされることは苦痛です。人によっては人の幸せそうな姿を見ることで、心を痛める人がいます。かえって、人のうまくいっていない話や、苦労話の方が心をひきつけ、共感を生みやすいのです。私たちの心には優しさもありますから、苦労していた人がそこから抜け出すことができた話は心を打つし、それを喜ぶこともできます。それはそうですが、目の前で自分の幸せをことさらにひけらかすことに対しては、寛容ではいられないという部分があるのもまた、事実です。

 祭司長、長老、律法学者といった人たちは、まさにそのような思いで主イエスを見ていたのでしょう。自分には神がついている。自分が語ることが神の心なのだ。確信に満ちた顔で高らかに神の御心を語るイエスの姿に、彼らは我慢の限界を迎えていたのです。果たして誰が、自分が自信を持って語っている事柄について、自分の考えに自信を持っているということに対して、それは違う、本当はこうなのだと人前でその誤りを指摘されることを喜んで受け入れることができるでしょうか。

 主イエスの(ただ)しさが、主イエスの愛が、主イエスの聖さが、自らの痛みとならない人は残念ながらいないのです。ここに、この祭司長たちの姿の中に、私たちは自分自身の姿を見出してしまうのです。 (続きを読む…)

2019 年 6 月 9 日

・説教 マルコの福音書14章43-72節「鶏が鳴く前に」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 22:38

ペンテコステ主日

2019.06.09

鴨下 直樹

 先週の月曜日から水曜日まで静岡の掛川でJEAの総会が行われました。JEAというのは、日本福音同盟の略語です。日本の福音派の教会の代表たちが集まりまして、毎年総会を行っているわけです。私は、今は教団の代表ではないのですが、2023年に行われる東海地区の伝道会議に備えるために、教団では昨年から2名総会に出席することにしていて、私はオブザーバーとして参加をさせていただきました。今年の総会では、昨年全教団に次世代育成の課題をアンケートにして聞いていまして、そのまとめの発表と討論が行われました。

 この「次世代」という言葉の定義がどうもそれぞれの教団で異なるということが、まず確認されました。私たちの教団では五か年計画に「次世代への献身」と掲げています。そこでは60代は50代に、50代は40代にという具合に自分たちの世代の一つ下の世代に奉仕などの責任を引き継いでいきながら、次の世代を育てていこうという取り組みを教団全体でしているわけです。他の教団は子どもや学生、青年への信仰継承、信仰育成といった取り組みのことを意味しているようでした。実は、このアンケートのまとめが2週間前に東京で行われまして、私はそこで3人の発題者の一人として、同盟福音での取り組みについて発言してきました。私たちの教団では、この次世代の育成ということと、そのための環境を作るということで、宣教ネットワーク制を導入して近隣の2~3の教会との協力関係を築いて、伝道できる体力づくりをしようということに取り組んでいます。それで、たとえば、芥見教会で今ちょうどホタルがたくさん飛ぶようになりましたので、今日の夕方に可児教会と合同でバーベキューをしながら、一緒にホタル観賞をしようということを計画しているわけです。

 また、昨年行いましたアンダー50フェローシップキャンプを通して、次世代の方々の交わりの土台をつくると同時に、ドイツのアライアンスミッションの代表であるシェヒ先生を講師にお招きして、宣教のビジョンということを学びました。そこで、シェヒ先生が語られたのは、自分たちで出来ない働きを見ながら、うちではできないというようなことを考えてがっかりするのではなくて、自分たちに与えられている賜物をちゃんと認識して、それらを用いやすい環境をつくっていくことが大切だと語られたわけです。その時に、芥見から参加したKさんの「外食しておいしい物を食べさせるというよりも、冷蔵庫にある残り物でいかにおいしい料理を出せるかということ」という名言まで生まれたわけです。2週間前の時にはそんな取り組みをしていることを話してきました。

 先週の伝道会議で改めてアンケートの内容に注目したのですが、たとえば全体の8割の教会が教会学校などの働きを通して、次世代の信仰育成のための取り組みをしていると答えていました。けれども、ほとんどの教会はそれだけでは信仰の継承ということができないと感じているわけです。以前のように子ども集会を計画すればすぐに子どもたちが集まってくるというような環境ではなくなってきているわけです。総会の夜に行われた分科会でも、それぞれの牧師たちが、自分たちの教会でどんな取り組みをしているのかを分かち合っていたのですけれども、私はその姿を見ながら、ふっと疑問が浮かんできました。どんなにいろいろなアイデアがあって、それを分かち合って共有しても、問題は改善しないという結果が出ているわけです。そうであるとするともっと根本的な問題があるのではないかということに、改めて考えさせられたわけです。それこそ、冷蔵庫に入っているものを無視して、一生懸命外食のレストランの素晴らしさを聞いているようなことになっているのではないかという気がするわけです。

 私たちのディスカッションのグループの中に、東京のミッション系の大学の学長がおりまして、この方が、次世代の働きのカギは「居場所をつくること」という話をしてくださいました。たとえば、今多くの教会で子ども食堂の働きがされています。または、学生たちと一緒にゲームをするとか、いろんな働きがその集まりの中で幾つかの教会によって紹介されていました。芥見でもそういうことをしているわけですが、そういう居場所をつくるだけでは、まだ肝心な信仰ということへの招きにはなりにくいということを味わっているわけです。

 水曜の祈祷会の時に、そんな話をしていましたら、マレーネ先生がそこでこんなことを言われました。「居場所を作るということだけでは足りなくて、主があなたを必要としておられるという居場所を作らないといけないのではないか」と言うのです。私はこの意見に、本当にはっとさせられました。こういう意見は残念ながら総会の中では出てこなかったのですが、ここに本質的な答えがあるのではないかという気がしています。

 前置きがかなり長くなっているのですが、そこで今日の聖書の箇所を考えてみたいわけです。場面は、主イエスの祭司たちによる裁きと、ペテロの否認の出来事がここに書かれています。この直前のところで、弟子たちはみな逃げ去ってしまっています。木曜の祈祷会の時にある方が、弟子たちにも同情を示しまして、弟子だって剣をもって戦おうとしたわけで、それができなかったので、もうできる手立てがなく、立ち向かうことができないという状況の中では、逃げるしかなかったのではないかと言われました。選択肢がない中で、苦肉の選択であったのではないかというわけです。もちろん逃げ去ってしまった事実は変わらないわけですけれども、同情の余地はあるのではないかということです。そういう中で、ペテロだけはまた戻って来まして、裁判の行方を見守ろうとしているわけで、これだって考えてみれば勇敢な行為であったということもできるかもしれません。もっともそんな言い訳が十字架にかけられる主の前で申し開きできないという事実には何ら変わりはないわけですが。

 そういう中で、この後のペテロの3度にわたって、主イエスのことを知らない、この言葉が嘘なら呪われてもいいという否定の言葉が出てくるわけです。ここのところ、毎週のように、弟子の至らなさということが語られ続けているわけです。そこで、立ち止まって最初に話したような視点で考えてみるわけですが、主イエスの弟子たちというのは、まだよくわかってもいない中で、主イエスに招かれて弟子として従って行きます。そうであるとすると、先ほどのマレーネ先生の話に繋がるわけですが、失敗したとしても、主イエスのお働きのために必要とされて、そのための居場所が与えられて、訓練されているのだという姿が見えてくるわけです。

 なんとなく、教会では洗礼を受けていないと奉仕させてはいけないというような感覚があるのですが、ひょっとするとこういうところから変わっていく必要があるのではないかということを、ここから考えさせられるわけです。必要とされていないところで、人は本当の居場所を作ることはできません。これは、若い人だけのことではなくて、お互いみなそうです。主は、私たちすべての人を必要としておられて、こうして御前に招いてくださっています。失敗もする。足りないところもある。けれども、それでも、自分に与えられていることを、精いっぱいやっていくということの中に、教会の生きた姿があるということなのではないでしょうか。誰かが、料理を作って持ってきてくれるのを待っているのではなくて、みなが、お互いに自分を材料として差し出しながら用いられていくということが、私たちには求められているのです。 (続きを読む…)

2019 年 6 月 2 日

・説教 マルコの福音書14章43-52節「恐れの心と向き合って」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 09:02

2019.06.02

鴨下 直樹

 今日のところは、主イエスが逮捕されるところが書かれています。ここにはいくつかの出来事が書かれています。まず、ユダが現れて口づけするところ。ユダが口づけをした相手が逮捕する人物だとあらかじめ合図を決めていたということが書かれています。その次に、捕らえられそうになったところで、一人の弟子が祭司のしもべに切りかかって、その人の耳を切り落としたというところです。そして、主イエスが逮捕されるときに語られた言葉が記されています。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか」とあります。その結果として弟子たちが皆逃げてしまったことと、最後に、ある青年が亜麻布一枚を着て、この主イエスについて行ったけれども、捕物が始まったために裸で逃げたという事が書かれています。

 この場面は多くの絵でも描かれていますし、他の福音書でもすべてこの部分は語られているところです。私自身、もうこの主イエスの逮捕について何度語ったか分かりません。芥見の礼拝でもこの場面から何度か語っていると思います。

 昨日のことです。「ぶどうの木」という俳句の会が教会で行われております。私はそこで、短く聖書の話をするのですが、この集まりで話す私の話は、たぶん他の集会で話す話とは少し違う話をしています。多くの場合は本の紹介をしたりしながら、俳句を作るということに少しでも関係ある話をしようと思っているわけです。昨日は、そこで「スランプの時どうするか?」という話をしました。あれこれと考え込んでいるうちに俳句が作れなくなってしまうことがあるのではないかということを話しました。というのは、昨日、この説教のために準備をしながら、あれこれと考えていて、もう何も出て来なくなるということを経験していたので、その話をしたわけです。

 俳句を指導してくださっているMさんは、「写生する」という言葉をよく語っています。「写生する」というのは、私たちが子どものころ、学校の図工の時間に、外に絵の具を持って出かけて絵を描くときに、「写生する」と言うわけです。俳句も、その意味では絵を描くときと同じで、見て感動した景色を切り取ってきて、それを五七五で描写していくわけです。その時に、どこをどう切り取るかということが、その人のセンスということになるわけです。

 これは、聖書の説教をするときも、同じようなことが言えると思います。この箇所のどの部分を切り取って、ここで語られていることを物語るかということです。ただ、絵も、俳句も、説教も、そういう意味では似ているわけですが、その切り抜き方というのは、その人特有の癖みたいなものがあって、もうなんとなく決まってしまうわけです。毎回毎回同じやり方をしていると、だんだん、自分の写生に飽きてきてしまうと言いましょうか。同じ作業を繰り返しているうちに、だんだんと感動がなくなってきてしまう。感動がなくなってくると、そこから伝えたいものがなくなってしまいます。インプットしていないと、アウトプットできないと言いましょうか。食べていないと出てこないわけです。それで、そうなったらどうするかという話を昨日したわけです。私の場合は、こうなると手あたり次第インプットしていくわけで、ありとあらゆる本を読みます。特に説教を読みます。できるだけ、自分と近い人のものから読むんですが、そうすると刺激も少ないので、全然違う立場の人のものを読んだりします。そうすることで、何かしらの刺激を受けて、心が動きだすわけです。

 考えてみると、この箇所ほど心が動く場面はありません。愛する主イエスが十字架で殺される、その決定的な現場である主イエスの逮捕についてが語られているわけです。けれども、たとえば、ちょっとたとえが古いのですが、水戸黄門の印籠と同じで、毎回毎回、助さんと角さんが出てくるあたりで、もういいか、あとはお決まりのパターンだしという気持ちになるのと似ていて、主イエスの受難ということを語り続けているうちに、もっとも肝心な主イエスの逮捕のところで、心が動かなくなってしまうということが起こるわけです。
 
 何でこんな話から私は説教をしているのでしょうか。確かに、これは私の問題なのですが、私はこういうことは私一人の問題ではなくて、いつでも私たちに起こっていることなのではないかと考えているのです。いかがでしょうか。

 そういう思いで聖書を読むと、他の福音書の中には全く出て来ない、言ってみれば少し新鮮な記事がここにあります。それは、51節と52節です。

ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。

 こういう記事を私たちはここで読むわけです。ここを読んだ率直な感想は、「なんのこっちゃ」という思いがするのかもしれません。ここには、それほど大事だと思える言葉はほとんどありません。あっても、なくてもいいような気がする箇所です。 (続きを読む…)

2019 年 5 月 26 日

・説教 マルコの福音書14章27-42節「ゲツセマネの祈り」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 21:07

2019.05.26

鴨下 直樹

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 さて、今日の聖書は最初のところに、主イエスが弟子たちに「あなたがたはみな、つまずきます」と語られた言葉からはじまっています。この前には「わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります」という言葉があったばかりです。そして、この後には、弟子のペテロに対して「まさに、今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」という言葉さえ語りかけておられるのです。

 「裏切る」、「つまずく」そして、「知らないと言う」こういう言葉が続けざまに語られているというのは、よほどの出来事がこの後起こるという予兆です。空気を読むまでもありません。明らかに、これから何かが起ころうとしているのは間違いないのです。そういう独特な雰囲気の中、弟子たちは何を感じ取ったのでしょう。ペテロをはじめとする弟子たちはこう答えました。31節。

「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」

これは、ペテロの言葉ですけれども、「皆も同じように言った」とありますから、みな同じ気持ちであったわけです。

 ペテロをはじめとする弟子たちには、固い覚悟の姿が見られます。「たとえ、一緒に死ななければならないとしても」という言葉がそのことを物語っています。一緒に死ぬことになるのかもしれない。これからそういうことが起こるのかもしれない。でも、私たちの心は主と一緒です。そういう覚悟が弟子たちにはあるのです。

 もし、映画か何かであればここのところは感動的な音楽が流れて、見ている人たちがみな感動する場面です。赤穂浪士の討ち入り前のような場面、あるいは城を包囲されている中で、殿と一緒に討ち死する覚悟でございますというような場面です。そのように描いてもよい、弟子たちの固い心の結束と、主イエスに対する忠誠がここにはあるのです。

 そして、場面は次の舞台へと切り替わります。場所はゲツセマネです。このゲツセマネにやって来て、主イエスが祈る場面です。そこで、主イエスは弟子たちにこう言われたのです。32節から34節です。

「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」

 おそらく、この時の三人の弟子たちは初めて、主イエスの弱り果てている姿を目の当たりにします。悩み、もだえ、ここに一緒にいてほしいと主イエスの方から弟子たちに願われたのです。こんなに苦しそうな主イエスのお姿を、弟子たちはこれまで見たことがありませんでした。それは、私たちも同様です。この祈りがゲツセマネの祈りと言われる主イエスの祈りのお姿です。

 かつて、宗教改革者ルターは、この主イエスのお姿を見て、「このお方ほど、死を恐れた人はいなかった」と言いました。

 このゲツセマネの祈りのところを読みますと、驚くほどに気弱な主イエスの姿が示されているのです。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」と三人の弟子に語りかけている主イエスのお姿があります。
 
 死を恐れる。これが、主イエスのお姿なのです。

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