2013 年 6 月 2 日

・説教 ピリピ人への手紙1章1-6節 「愛と喜びの手紙」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 13:41

2013.6.1

鴨下 直樹

先週の月曜日に岐阜県基督教連合会の総会が行なわれました。岐阜県のプロテスタント教会、カトリック教会の殆どすべての教会がこの連合会に名を連ねております。ここで何をしているのかと言いますと、岐阜県には岐阜刑務所と笠松刑務所という二つの刑務所があります。そこで、定期的に受刑者の方に福音を語る機会を与えられている教誨師と言う方々がいます。それで、岐阜県基督教連合会では二名の教誨師を送り出しているのです。私はこの総会に昨年初めて参加させて頂いたのですが、初めての参加であったのにも関わらず、会計と書記という役割を担わされてしまいました。それで、今は深く関わることになったのですが、特に今年の総会は、来年から新しい教誨師になる方を選ぶための話し合いがもたれました。今年一年かけて次の教誨師を選ぶ必要があるのです。出席してくださった教職者の方々も、すぐに自分がするとはなかなか言えません。教会の理解も必要ですし、そうとうの覚悟も必要になります。けれども、これまで岐阜県の教会が互いに協力し合いながら、今日まで三十年以上にわたって、刑務所で福音を届ける働きを続けてこれたことは大変素晴らしいことだと思っています。
スイスの説教者であったカール・バルトは、かつて、刑務所で福音を語ることを自分の使命としました。この刑務所で行なわれた礼拝の説教がやがて本にまとめられまして『捕らわれた者たちに解放を』というタイトルがつけられました。このタイトルを聞けば、受刑者に向けられた者に解放の福音を語ろうとしたということが直ぐに分かります。もちろん、バルトがここで言っている解放というのは、刑務所から解放されるということではなくて、罪から解放されるということです。たとえ刑務所にいたとしても、その罪から解放されて生きることができると語ろうとしたのです。しかしそれは、受刑者に限ったことではないのです。全ての人が何かに支配されてしまっている。何かに捕らわれてしまっているということができるのです。 (続きを読む…)

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