・説教 ピリピ人への手紙1章1-6節 「愛と喜びの手紙」
2013.6.1
鴨下 直樹
先週の月曜日に岐阜県基督教連合会の総会が行なわれました。岐阜県のプロテスタント教会、カトリック教会の殆どすべての教会がこの連合会に名を連ねております。ここで何をしているのかと言いますと、岐阜県には岐阜刑務所と笠松刑務所という二つの刑務所があります。そこで、定期的に受刑者の方に福音を語る機会を与えられている教誨師と言う方々がいます。それで、岐阜県基督教連合会では二名の教誨師を送り出しているのです。私はこの総会に昨年初めて参加させて頂いたのですが、初めての参加であったのにも関わらず、会計と書記という役割を担わされてしまいました。それで、今は深く関わることになったのですが、特に今年の総会は、来年から新しい教誨師になる方を選ぶための話し合いがもたれました。今年一年かけて次の教誨師を選ぶ必要があるのです。出席してくださった教職者の方々も、すぐに自分がするとはなかなか言えません。教会の理解も必要ですし、そうとうの覚悟も必要になります。けれども、これまで岐阜県の教会が互いに協力し合いながら、今日まで三十年以上にわたって、刑務所で福音を届ける働きを続けてこれたことは大変素晴らしいことだと思っています。
スイスの説教者であったカール・バルトは、かつて、刑務所で福音を語ることを自分の使命としました。この刑務所で行なわれた礼拝の説教がやがて本にまとめられまして『捕らわれた者たちに解放を』というタイトルがつけられました。このタイトルを聞けば、受刑者に向けられた者に解放の福音を語ろうとしたということが直ぐに分かります。もちろん、バルトがここで言っている解放というのは、刑務所から解放されるということではなくて、罪から解放されるということです。たとえ刑務所にいたとしても、その罪から解放されて生きることができると語ろうとしたのです。しかしそれは、受刑者に限ったことではないのです。全ての人が何かに支配されてしまっている。何かに捕らわれてしまっているということができるのです。
私の最も心を寄せている説教者で竹森満佐一先生という非常に優れた説教者がおります。この竹森先生も、「ありとあらゆる説教は、捕らわれた者たちに対する解放を告げるものだ」と言います。そもそも、教会の説教というものは、すべての捕らわれている人々に解放を告げることだと言うのです。自分は刑務所に入っていないから捕らわれてはいないなどとは言えないのです。すべての人が、実にさまざまなものに捕らわれている。自分の欲望であったり、さまざまなしがらみに捕らえられてしまっているということもあるでしょう。誰にも打ち明けることができないけれども、そこから自由になりたい解放されたいと思いながら生きるということがあります。あるいは、自分ではそこから解放されたいと願っていないかもしれなくても、本当はそこから解き放たれない限り、真の救いはないのだということに気づく。その出来事が起こるのが説教だと言うことができるのです。
今日から、私たちはこのピリピ人への手紙を共に聞いていきます。パウロの記した手紙ですけれども、これは、パウロが投獄されている獄中で書かれたものです。それで、獄中書簡などと呼ばれます。パウロがこのピリピの町を伝道した時のことは、使徒の働きの第十六章に詳しく書かれています。今日はここから丁寧に話をする時間はありませんが、このピリピで伝道した時にもパウロは牢に投獄されました。パウロは各地で伝道する際に何度も投獄されているのです。このピリピ人への手紙も牢の中でした。長い間、この手紙はローマで投獄された時に書かれたと考えられていましたけれども、最近ではエペソでパウロが投獄され、その時に書かれたものの一つがこのピリピ人への手紙ではないかと考えられています。私も、エペソでの投獄の時に書かれたと考えています。
もう三年ほど前でしょうか。この教会の祈祷会でパウロの生涯の学びをした時に、そのことについては詳しく学びました。と言っても、もう覚えておられない方も多いと思いますし、学び会で聞いておられない方も沢山おられますから、少しづつ、このピリピの説教の中で触れていきたいと思います。
さて、そのように何度も牢につながれたことのあるパウロは、このピリピの教会の人々に手紙を書くにあたってこのように書き始めました。
キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事へ。
一節です。
ここに「キリスト・イエスのしもべであるパウロ」とあります。冒頭の言葉です。手紙のはじめに差出人のことを書くのは今も昔も変わりません。けれども、パウロは自分自身のことを、「キリスト・イエスのしもべ」と書きました。この「しもべ」と言う言葉は聖書の中に何度も出てくることばですけれども、「奴隷」という意味の言葉です。
パウロは自分が今、牢につながれ、まさに捕らわれ人、奴隷のような立場にいながら、自分のことをキリスト・イエスのしもべと書いたのです。
少し想像していただきたいのですが、その国の支配者に捕らえられて、今牢の中に入れられ、まさに捕らわれ人となっている人の手紙を、誰が喜んで読むと言うのでしょうか。先日の岐阜県基督教連合会で、教誨師をしてくださっている先生の報告がありました。受刑者の中で、そのような説教を聞いて、信仰を持つようになる方は少なくないのです。けれども、難しいのはそういう人たちがもう一度、社会に出て生活するということはとても困難なのだそうです。一度、そういうレッテルを張られてしまうと、人はどうしてもそういう目で見てしまうのです。
そもそも、パウロはピリピの街で伝道をしていた時に、すでに捕らえられたのです。ところが、パウロはローマ人であったために、正式な手続きを経て牢に入れられるべきでしたが、裁判も手続きもとらないままに鞭打たれ、牢に入れられたのでした。そのために、長官はおおごとになる前にこっそりとパウロを釈放して街から追い出すことに決めたということが使徒の働きに記されています。そして、今また、おそらくエペソの街で捕らえられているのです。
このようなパウロの言葉をピリピの人々は喜んで耳を傾けました。いや、そればかりではなくて、この手紙をピリピの人々以外の多くの人々もまた読みたいと願ったのです。そして、この手紙は書き写されて、さまざまな教会の人々に読まれるようになり、今、時代と場所も超えて、この時に、岐阜の芥見でも読まれようとしているのです。それは、何故かと言うと、誰もが様々なものに支配され、不自由さの中で解放される必要があることを知っているからです。
この手紙で、実に不思議なことが起こっているのです。パウロは捕らえられながら、自由な人であるピリピの人々に、どうしたら自由に生きることができるか、どうしたら喜んで生きることができるかを語り、自由に生きているピリピの人々は、捕らわれているパウロからどうしたら喜んで生きることができるのかを、ここで教えられているのです。
このピリピ人への手紙はこの朝の説教題にもしましたけれども、「喜びの手紙」と言われています。けれども、この手紙の中にでてくるパウロの境遇というのは、決して喜んでいられるようなところに置かれているわけではありませんでした。ひょっとすると、間もなく殺されてしまうのではないかという、死の恐怖の中にいたのです。けれども、パウロは、そのような厳しい獄中生活の中で、人々を励ますことができました。
それはなぜかというと、パウロは「私がキリストの奴隷となっているからだ」、と言うことができたのです。私は牢に支配されているわけではない。パウロは、そこから自由になって外で伝道することができるようになることを求めていましたけれども、その自由を奪われる投獄生活にあっても、喜びを見失わないでいることができたのです。それは、他の何でもない、キリストがパウロを支配していたからだったのです。それほどに、パウロにとってキリストは、厳しい現実の中にあっても自由を覚えさせることができるお方であったということです。
パウロはこのピリピの教会に手紙を送るにあたって、まず三節から十一節で感謝と祈りの言葉を語っています。本当は、この朝十一節まで選ぶべきでしたが時間も足りませんから、まず六節までの感謝の言葉の部分を選びました。三節で、「感謝している」と、語り、四節では「いつも喜びをもって祈り」と続きます。パウロはこの教会の人々の何を感謝したのかというと、五節に内容が書かれていますけれども、
あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。
とあります。
パウロは獄中にあって、感謝し、いつも喜びをもって祈ったとあります。この言葉の中に、パウロがどれほどキリストの奴隷として、しもべとして生きることで喜びに生きることになったかが証されています。これは、私たちにとって当たり前のことではありません。自分の生活が困難になる。病に倒れる、難しい問題のために身動きが取れなくなる。人が自分を支配するようになる。そういう時に、何かに感謝をし、いつも喜びを持って祈る心が失われていきます。調子がいい時は喜んでいられるものです。しかし、困難な時に喜んでいられるというのは、当り前のことではないでしょう。パウロがここでそう祈ったのは、ひとえにこのピリピの人々が救われた時から今日に至るまで、パウロと同じ苦しみを共にしているからです。パウロはひたすらに「福音を広めること」に心を砕いて来ました。福音を広めるために伝道をし、迫害され、捕らえられ、牢獄にまで入れられたのです。しかし、ピリピと人々も自分と同じ思いでいるのだということが分かるならばそれは喜びになる、と言っているのです。
パウロの感謝の祈りはこう続きます。
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
パウロがピリピの街に来て最初に救われた人、それはルデヤという紫布の商人でした。私がドイツにおりました時に大きな女性の宣教大会に出席したことがあります。その時の説教者はドイツでは珍しく女性でした。その方がこんなことを言ったのです。「ヨーロッパで最初に救われたのは女性であった。私たちはこの事実を忘れてはならない」と。私はそれまでそういうことを聞いたことがなかったものですから、今何を話したのかということがしばらく良く分かりませんでした。ちょうど、私がおりました時に、女性の教職者を認めるか、認めないかということをドイツの自由福音教会のテーマとして話し合われていた時でした。ですから、そういう中で、パウロが海を渡ってマケドニアに到着して、最初にヨーロッパ大陸での伝道の拠点になったのがこのピリピだったということなのです。そして、そこで最初に救われたのは女性であった。
もちろん、そこには私たちが考える以上に意味があったのだと思います。パウロの伝道旅行はついに海を越えてヨーロッパ大陸に渡り、そこでは女性の商人がいたのです。しかも、その人が神を敬う人であったということは、神が初めから備えておられたということでしょう。こうして、伝道がはじまったのです。
パウロはこう語ります。ピリピで誰かが主イエスを信じるようになったのは、神が、あなたがたのうちで良い働きをはじめられたのだと。これは、神の働きであったとしか言うことができない。それは、このパウロの時代でさえ、驚くようなことであったに違いないのです。そして、このようにして人を救われたお方は、その救いを完成させてくださるというのです。
私たちが信仰の決断をする時に、最初に教会に来るきっかけの出来事がきっとあったことでしょう。そして、ご自分で聖書を学び、教会に通い、説教を聞いて、少しづつ理解が豊かになっていきます。そして、ある時、主イエスを信じようと決断します。その一つ一つのことは、あなたがたの中に、神がよい働きをはじめてくださったのだということなのです。自分の働きだったのではなくて、神が始めてくださったことなのです。だから、それは、きっと完成させてくださる。パウロはそう言います。そう考えると、私は嬉しくて仕方がないのだ。本当に感謝すべきことだし、それはいつも喜びを持って祈ることができることだと言うのです。
もし、私たちがこのパウロの確信に立つことができるとしたら、私たちは喜びの人生を送ることができます。それは、現実の困難や、苦しみを味わいながらも、その心の奥底では不安が支配するのではなくて、喜びが支配しているということです。パウロはこの手紙を通して、このような喜びに生きることはどうしたらできるのかということを書こうとしているのです。それは、ピリピの人々のみならず、私たちも、いや、世界の人々が喜んで生きることのできるための、愛の手紙です。
そのように、神に支配される生き方、キリストの奴隷として生きることが、厳しい現実の中にあって確かな喜びとなることを、私たちはパウロと共に経験させていただきたいのです。
お祈りをいたします。