・説教 ピリピ人への手紙1章12-18節 「敵意の中の信仰」
2013.6.16
鴨下 直樹
パウロは捕らえられて、今牢に繋がれています。それは、それ以上福音を宣べ伝えさせないため、パウロがこのまま働き続けることは良くないことだという判断をしたということでしょう。それは、誰もが思うことです。牢に捕らえられてしまうということは、「もう一貫の終わりだ、これで、パウロも終った」と考えるようになるということでしょう。そういう中で、牢にいるパウロから手紙が届きます。そして、読み終えてから、パウロが無事に牢から出られるようになるように祈ろう、ということが起こったかもしれません。しかし、パウロはこう記しました。
さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
そんなことがあるとでもいうのでしょうか。考え難い事です。異邦人伝道を精力的に行なっていたパウロが捕らえられるということは、福音が停滞してしまうことを意味すると、私たちは誰もが考えるのではないでしょうか。それ以上、どうして福音が前進することがあるでしょうか。しかし、パウロは福音を宣べ伝え、そのために捕らえられてしまってもなお、福音が前進すると言うのです。それは、一体どういうことなのでしょうか。 (続きを読む…)
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