・説教 マルコの福音書8章1-21節「何を見ているのか」
2018.07.01
鴨下 直樹
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今日の聖書の個所は少し長いところです。三つの出来事が記されています。最初に七つのパンで4000人のお腹を満たした出来事が書かれています。その次に、パリサイ派の人々がしるしを求めて主イエスのところにやって来ますが、主イエスはこれを拒まれます。そして、最後にパリサイ派のパン種とヘロデのパン種に気をつけなさいと言われますが、弟子たちはパンを持っていないことを注意されたと勘違いして、主イエスに叱られる場面が記されています。
少しずつ順に見ていきたいと思いますが、1節から10節は、主イエスのところに来ていた群衆は4000人ほど集まっていたようですから、もう大騒ぎであったに違いありません。しかも、食べ物も手に入れられないような荒野にいたことが分かります。そんな荒野で3日間もいて、食べる物もなくなっているのです。主イエスのところに集まっている人たちと言うのは、一体何を期待していたのでしょう。
色々と想像することはできると思います。主イエスのお話があまりにも素晴らしくて、離れがたかったという人もいたでしょう。あるいは、主イエスに病気を治してほしいと思って集まってきた人たちもいたと思います。そして、6章にも同じようなことが書かれていましたが、その時は5つのパンと二匹の魚で5000人の人たちの食べ物を与えた奇跡が書かれていますから、今度もきっと何か食べ物が出て来るに違いないと考えた人たちがいてもおかしくはありません。
いずれにしても、ここに集まっていた群集は、主イエスのところにいると何かメリットがあると考えていたようです。興味深い話なのか、病気が癒されることか、お腹が満たされるか、そういうものを求めて主イエスのそばから離れなかったようです。そして、これまでこのマルコの福音書を読んできて分かるように、主イエスはそういう自分勝手な言い分で近づいて来る人たちの願いを聞かれるということに対して、あまり積極的ではありませんでした。
しかし、今日のところは少し違っています。主イエスはここで、お腹をすかした多くの群衆の人たちがこのまま帰って行くと途中で空腹のために動けなくなってしまうのを心配されて、手元にあった7つのパンを取って感謝の祈りをささげ、それを裂いてから、みなに配り始めました。そうすると、そのパンはどういうわけか、4000人の人々にいきわたり、みな食べて満腹します。これが、4000人の給食と言われる奇跡となりました。
このところの、6節にはこう書かれています。
それから七つのパンを取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き