・説教 「神のかたちに」 創世記1章24-28節
今朝は、この創世記1章の24-28節から、神が人間を造られたところを少し丁寧に見ていきたいと思います。神が私たち人間をお造りなったというわけですから、どうしてもこの朝は丁寧に見てみたいのです。そして、丁寧に見ていきますと、神は本当に私たち人間を、心をこめて造ってくださったことが良く分かってくるのです。聖書は、「神が人間をお造られた」と宣言しています。しかも、 (続きを読む…)
今朝は、この創世記1章の24-28節から、神が人間を造られたところを少し丁寧に見ていきたいと思います。神が私たち人間をお造りなったというわけですから、どうしてもこの朝は丁寧に見てみたいのです。そして、丁寧に見ていきますと、神は本当に私たち人間を、心をこめて造ってくださったことが良く分かってくるのです。聖書は、「神が人間をお造られた」と宣言しています。しかも、 (続きを読む…)
今日は、創世記1章14節から2章の3節を通して、神が天地を創造されたその四日目から七日目までをどのように聖書が語っているかに、耳を傾けたいと思います。
この四日目に神によって何が造られているのでしょうか。14節にこうあります。
「ついで神は、『光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。』と仰せられた。するとそのようになった。」
ここを読むと私たちはすぐに、考え込んでしまいます。 (続きを読む…)
「地は形がなく、何もなかった」。創世記1章2節にそのように書かれています。「形がなく、何もない」という言葉を聞いて、私たちは何を思い描けばいいのか、まるで分らなくなります。この間もお話ししましたけれども、私たちは「ある」ものからしか、「ない」というものを、あるいは事柄を考えることができませんから、「何も無い」という言葉に出会うと途方に暮れてしまいます。それで、この聖書の翻訳に別の可能性を提示したので、新共同訳聖書です。ここには「地は混沌であって」という訳を試みたのです。ヘブル語では「トーフー・ワボーフー」と読むことで知られている言葉です。この言葉ですと、多少イメージしやすいかもしれません。お豆腐が暴風にあって崩れてしまっているようなイメージを誰もが簡単に想像できるかもしれません。
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