2020 年 10 月 11 日

・説教 創世記32章1-32節「神との格闘」

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2020.10.11

鴨下 直樹

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午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

 ヤコブはいよいよ、故郷に戻ろうとしています。20年の寄留生活の中で、ヤコブはさまざまな経験をし、二人の妻を迎え、11人の子どもたちが与えられ、二つの宿営を持つほどまでに豊かになりました。ヤコブは20年の歩みを通して、神の祝福を経験し、大手をふって、顔を上げて故郷に帰ることができる日を迎えることができました。

 ヤコブという名前の意味は「押しのける者」という意味であったと、最初に私たちはその名前の意味を心に刻みました。まさに、ここまでのヤコブの歩みは、その名前にふさわしい歩みでした。人を押しのけて、自分が一番になりたい。そういう歩みをしてきたのです。そして、神ご自身もまた、そのようなヤコブを支えてこられたのです。

 そして、いよいよカナンの地に戻ることで、一つの避けて通ることのできない大きな壁がまだヤコブの前には立ちはだかっていることが明らかになります。それは、ヤコブがラバンのところを訪ねる前に起こした争いの相手、兄エサウと再会しなければならないということです。ヤコブは兄エサウの祝福を奪い取り、兄が自分のいのちを狙っていることを知って、父たちの住んでいた神の約束の地であるカナンから逃げ去ったのです。

 自分が押しのけた兄と再会するためには、兄と和解をしなければなりません。そして、自分がしてしまったことは到底赦されることではない、ということをヤコブは理解していました。

 32章はまさに、このヤコブの人生の最大の試練である、兄との和解という大きな壁をどうやって成し遂げるかという、重大局面を迎えているのです。聖書にはこの32章の冒頭にこういう出来事が記されています。1節と2節です。

さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。

 この出来事にどんな意味があるのか、昔から聖書学者たちを悩ませてきた記事がここに唐突に出てきます。神の使いたちの「神の陣営」を見たというのです。新改訳聖書には欄外に注が書かれています。そこを読みますと、「陣営」という言葉の注には「マハネ」と書かれていて、「マハナイム」という言葉には「マハネの双数」と書かれています。双数というのは、両脇にある数という意味です。つまり、「二つの陣営」という言葉が、「マハナイム」という意味だという説明です。

 ヤコブはいよいよ、最大の試練に向かう前に、突然、神の二つの陣営を見たと言うのです。これは、この後、ヤコブが兄に会うために自分の宿営を二つに分けたこと書かれていますが、このことと何か関係があるはずです。こういう聖書の説明は、聞いていても面白くないかもしれませんが、この箇所を読み解くヒントになっているはずです。

 問題は、ヤコブがこの神の陣営を見て、どう思ったのかという事が書かれていないことです。怖いと思ったのか、励まされたのか。それさえよく分かりません。そうすると、ヤコブの身になって想像してみるより外ありません。

 私はこう思うのですが、エサウの陣営が突然目の前に二つ現れるのと、神の陣営が突然二つ現れるのとどちらが恐ろしいのでしょうか。この後の話を読んでいきますと、ヤコブはじつに、ぐずぐずやっています。ちっとも、エサウの前に出ようとしないのです。

 まず6節にこう書かれているのですが、最初にヤコブはエサウの所に使者を送ります。エサウがどんな態度なのか様子をさぐるためです。その遣わした使者が戻って来るのですが、その時に使者がこう言ったのです。

「兄上エサウ様のもとに行って参りました。あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」

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