2009 年 7 月 5 日

・説教 「神と共に歩む人生」 創世記5章1-32節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 13:06

鴨下直樹

 今日の聖書は、創世記第五章に入りました。ここには系図が記されています。アダムの系図です。お聞きになってお気づきのように、この系図は一般的なものとずいぶん異なります。何が大きく異なるかと言いますと、誰もが非常に長生きであるということです。もっとも長く生きた者は、969歳まで生きているというのですから、ちょっと想像しづらいものがあります。 

 昨日、教会でいつも持っております「ぶどうの木」という俳句の会がありました。いつもこの会に出席させていただいて、非常に多くの刺激をうけています。

 昨日の句会で特選を取った俳句にこういうものがありました。

 白地着て男盛りを思ひをり

 「ぶどうの木」の句会を教会員の宮崎さん、古川昭子さんなどが指導してくださっていますが、ほかに名古屋の中京教会の江崎さん、和子さんご夫妻も同人を務めてくださっておりまして、この江崎さん、江崎先生と言ったほうがいいかもしれませんけれども、この方の句です。江崎先生は七十でしょうかもう八十になるのでしょうか。この方が、熱い夏が来ると、いつものように白地を着る。けれども、昔の体とは何か変わってきてしまったなぁと、昔を思い出している句なのでしょう。けれども、ここにはどこかしらユーモアがあります。「男盛りを思いをり」というところに、この句の味があるのだろうと思うのです。

 以前、私は江崎先生にお尋ねしたことがあります。「江崎先生の句は、いつも何かユーモアがありますね」と尋ねますと、「私ほどの年になると、いつも死を見据えているのだ」という返事が返ってきました。死と向かい合いながら、このようにそれをどこかで、楽しみながら年を迎えている言葉に出会いますと、私などはハッとさせられます。

 先ほど、創世記に先立ちまして、詩篇の39篇を読みました。4節-7節にこうありました。新共同訳でお読みします。

 「教えてください、主よ、わたしの行く末を。わたしの生涯はどれほどのものか。いかにわたしがはかないものか、悟るように。」

ご覧ください、与えられたこの生涯は僅か手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでもすべて空しいもの。ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし、だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。

 神の御前に出るときに、人の人生などほんとうに短いものです。このように人生のはかなさを歌ったものは、聖書の中にいくつでも見つけることができます。 (続きを読む…)

HTML convert time: 0.158 sec. Powered by WordPress ME