2010 年 6 月 27 日

特別伝道礼拝「私たちをひとつに結ぶキリスト賛歌」ピリピ人への手紙 2章1-11節

Filed under: 特別説教 — admin @ 14:00

加藤 常昭

キリスト者になるということは讃美歌を覚えるということです。「歌う存在」という言葉があります。存在そのものが歌を歌い始めるのです。生きていることは、歌うことだと言うことすらできるようになる。

私の信仰は多くの方たちの感化によって養われてまいりましたけれども、何といっても最初に私に信仰の感化を与えたのは母です。母は徳川御三家のひとつに仕えておりました。奥女中の女中頭というのです。しばらく前にNHKの大河ドラマに「篤姫」というのが登場いたしまして、そこに徳川家の昔、といってもそんなに遠くはない、明治維新のころの姿が描き出されました。やたら重たそうな着物を着た女中たちが登場しました。その時代からそんなに時も立っていない徳川家に仕えた母も、あんな恰好をしていたのかしら、とちょっと心配になったぐらいですが、まあもちろんそんなことはなかったと思いますけれども、徳川家の御三家のひとつに仕えていたのです。女中頭というのですから、ただの女中ではなくて「頭」だというので、少しは偉いのかと思っていたら、「なに、女中頭なんてたくさんいたから」と言って笑っておりました。けれども、主人の家の家族に近いところで働いていたようです。

母はそのおかげで信仰に導かれたのです。東京飯田橋駅の近くに富士見町教会というのがありますが、この富士見町教会を建設いたしましたのは旧日本基督教会の植村正久という牧師でした。この人は旗本の息子なのです。そのせいだっただろうと言われておりますけれども、徳川家に特別な関心を持っておりました。ただ徳川家だけではなかったようですけれども、貴族伝道、あるいは華族伝道と言って、そういう家に伝道師を派遣して一生懸命一種の家庭集会をやったのです。徳川御三家の殿様が洗礼を受ける、ということまではいかなかったようですけれども、かなりの感化を与えたようでして、私の子どものころには、その徳川家で、クリスマスの大きなツリーを囲んだ家族の写真を見たこともあります。

殿様は洗礼を受けなくても、仕えている人たちに感化が及びまして、随分多くの人たちがキリスト者になって、母もその一人でありました。とにかく讃美歌が好きでした。台所でも歌を歌っている。特に私ども子どもの心に残っておりますのは、子どもをお風呂に入れまして、一緒に入ってくれることもありますけれど、多くの場合は子どもたちだけをお風呂に入れておいて、母は焚口に座りまして、昔の風呂ですから薪をくべるのです。薪を入れて湯の加減を聞きながら讃美歌を歌っているのです。私はお風呂の湯の中につかりながら、母が細い声で讃美歌を歌っていたのをよく思い出します。母は昔の女性のことですから、習ったことといえば「謡」だとか「清本」だとか「長唄」だとか、そんな、こっちから言うと、「そんな」と言いたくなるようなものばかりを習っているものですから、讃美歌に妙なこぶしがつくのです。ちょっと真似が出来ないようなこぶしをつけて歌うのです。けれども、今から考えるとやはり母の歌う歌というのが、子どもたちの心に沁み入ったと思います。
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特別伝道礼拝「あなたの居場所」ピリピ人への手紙3章2-11節

Filed under: 特別説教,礼拝説教 — admin @ 10:30

加藤 常昭

今から二十三年前に「説教塾」というグループが生まれました。今は成長して正式にメンバーとなっている者は二百人を超えます。二十教派を超える説教者たち、牧師、伝道師たちが集まって色々なかたちで説教を学んでいます。明日から名古屋でその学びが四日間あります。ここの教会の鴨下先生も、もうかなり前からこの説教の学びの仲間でありまして、大変親しくさせていただいている若い、頼もしい説教者です。その先生から皆様のこと、この教会のことを何度も伺ってまいりました。今回ようやく導かれて、この日の朝の礼拝をその皆様と共に捧げることができます。
皆様も同じですけど、私は日曜日の朝が来ると、この日曜日はもう二度と戻ってこない、自分の生涯にとってかけがえのない時、その時をこのような礼拝で過ごすことができる。今すでに読まれた聖書の中に「復活に生きる」という言葉がありました。日曜日は主イエス・キリストがよみがえりになったお祝いの日です。その生命(いのち)を祝う時を、今朝は私は皆様と共に過ごすことが出来る。もう二度と帰ってこない。そして恐らく、この教会のこの場所に立って説教することもないかもしれません。その様な思いを込めまして、私は何年か前から、一つの教会の伝統に従いまして説教のはじめに、聖書の言葉によって、説教を聴く方たちに祝福の言葉を贈ることにしています。

今朝、私どもが神の言葉として聴きますのは、伝道者パウロがピリピの教会に書き送った手紙であります。その手紙の中にあります、これはしばしばキリスト教会で祝福の言葉として朗読されるものでありますが、それをここで皆様に贈ります。

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださいます。」

アーメン。(ピリピ4:4-7)。

信じること、キリスト者になること。それはどういうことだろう。色々と説明することが出来ます。今朝、司式者によって朗読されましたピリピ人への手紙の第三章の言葉はこの手紙を書いたパウロが、ある意味では珍しいことですけれども、自分の歩みについて、とても簡潔な言葉で自分の生涯を語ってくれているところです。何故、自分がキリスト者になったか。これはとても大きな変化でした。このパウロの言葉の中に、六節に、「その熱心は教会を迫害した程」とあります。パウロ、この人が聖書の中に登場してくるのは、使徒の働きと呼ばれる、教会がどのように最初の歩みを始めたか、ということを語っている書物の最初の方です。教会の指導者の一人でありましたステパノが最初の殉教者になりました。エルサレムで、教会を快く思わない人達によって捕らえられて、石で打ち殺されたのです。血を流して死んだのです。そこでパウロ、その時には「パウロ」という名前でなくて「サウロ」という言葉で、名前で記されていますけれども、サウロはステパノが殺されることに賛成したとはっきり書いてあります。人殺しに賛成したのです。キリスト者を殺すことに賛成した。それどころでないのです。ここに記されているように、その後、教会を迫害して歩いたのです。生まれたばかりのキリスト教会をぶっ潰すというグループの先頭に立ったのです。とっ捕まえて牢に放り込む、キリスト者なんか殺されてしかるべきだと思っていた人です。

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