特別伝道礼拝「あなたの居場所」ピリピ人への手紙3章2-11節
加藤 常昭
今から二十三年前に「説教塾」というグループが生まれました。今は成長して正式にメンバーとなっている者は二百人を超えます。二十教派を超える説教者たち、牧師、伝道師たちが集まって色々なかたちで説教を学んでいます。明日から名古屋でその学びが四日間あります。ここの教会の鴨下先生も、もうかなり前からこの説教の学びの仲間でありまして、大変親しくさせていただいている若い、頼もしい説教者です。その先生から皆様のこと、この教会のことを何度も伺ってまいりました。今回ようやく導かれて、この日の朝の礼拝をその皆様と共に捧げることができます。
皆様も同じですけど、私は日曜日の朝が来ると、この日曜日はもう二度と戻ってこない、自分の生涯にとってかけがえのない時、その時をこのような礼拝で過ごすことができる。今すでに読まれた聖書の中に「復活に生きる」という言葉がありました。日曜日は主イエス・キリストがよみがえりになったお祝いの日です。その生命(いのち)を祝う時を、今朝は私は皆様と共に過ごすことが出来る。もう二度と帰ってこない。そして恐らく、この教会のこの場所に立って説教することもないかもしれません。その様な思いを込めまして、私は何年か前から、一つの教会の伝統に従いまして説教のはじめに、聖書の言葉によって、説教を聴く方たちに祝福の言葉を贈ることにしています。
今朝、私どもが神の言葉として聴きますのは、伝道者パウロがピリピの教会に書き送った手紙であります。その手紙の中にあります、これはしばしばキリスト教会で祝福の言葉として朗読されるものでありますが、それをここで皆様に贈ります。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださいます。」
アーメン。(ピリピ4:4-7)。
信じること、キリスト者になること。それはどういうことだろう。色々と説明することが出来ます。今朝、司式者によって朗読されましたピリピ人への手紙の第三章の言葉はこの手紙を書いたパウロが、ある意味では珍しいことですけれども、自分の歩みについて、とても簡潔な言葉で自分の生涯を語ってくれているところです。何故、自分がキリスト者になったか。これはとても大きな変化でした。このパウロの言葉の中に、六節に、「その熱心は教会を迫害した程」とあります。パウロ、この人が聖書の中に登場してくるのは、使徒の働きと呼ばれる、教会がどのように最初の歩みを始めたか、ということを語っている書物の最初の方です。教会の指導者の一人でありましたステパノが最初の殉教者になりました。エルサレムで、教会を快く思わない人達によって捕らえられて、石で打ち殺されたのです。血を流して死んだのです。そこでパウロ、その時には「パウロ」という名前でなくて「サウロ」という言葉で、名前で記されていますけれども、サウロはステパノが殺されることに賛成したとはっきり書いてあります。人殺しに賛成したのです。キリスト者を殺すことに賛成した。それどころでないのです。ここに記されているように、その後、教会を迫害して歩いたのです。生まれたばかりのキリスト教会をぶっ潰すというグループの先頭に立ったのです。とっ捕まえて牢に放り込む、キリスト者なんか殺されてしかるべきだと思っていた人です。
その人が、この手紙を書いている時には自分が獄中にありました。この手紙は、ですから獄中からの手紙といわれております。はっきり記されてはおりませんけれども、この手紙を読んでも、それとなく分かるのは、パウロがこの牢獄から出される時には、死刑にされる時であるかもしれないという覚悟を決めていたのです。立場がすっかり逆転したのです。
ここに未だ洗礼を受けておられない方があると思います。今日はじめてキリスト教会に足を踏み入れた方があるのかもしれない。それは分からない。今朝、私がここでしなければならない、神から与えられている一つの使命は、そういう方たちに洗礼を勧めることです。ここの教会は、正面の床に蓋がありまして、それを開けるとそこに水が注がれて水槽がつくられる。キリスト者になるということは、ここで洗礼を受ける。バプテスマを受ける。水を浴びる。水の中に潜(くぐ)る。それは、決心のいることです。その決心をしていただきたいのです。信じるということは、決心すること。決断することです。
この教会の方たちの中に入りながら、未だ洗礼を受けていないで、ためらっている方があるかも知れません。当然だろうと思います。決心しなくてはいけないのですから、みんなの前で水の中に入らなきゃいけないのですから。どうしてそんなことをしなきゃいけないいのか。パウロはここで、たいへんはっきりした事を言っています。自分がどうしてキリスト者になったのか。
七節に出ているのですが、私にとって得であったこのようなものは、みな損と思うようになった。八節では「一切のことを損と思っている。塵芥(ちりあくた)と思っています」とあります。「ちりあくた」というのは、別の日本語の翻訳だと「ふん土」と訳されています。「糞」という言葉が出てくるのです。少し下品な訳をすると、今までの生活なんかクソみたいなものだと思ったと言っているのです。何故決心するのか。その方が得だからです。そういう言葉を聞くと、もしかするとびっくりする方もあるかも知れません。一般に宗教と言われるものがある。日本にも色々な宗教があります。その宗教が人に信心をすすめる時に、「ご利益(りやく)」という言葉を使います。そういう中でキリスト教会はご利益を説かないものだと考えられる事があるし、キリスト者の中でもそう思っている人があります。
我々は、ご利益なんてすすめない。だけどここでははっきりご利益と説いている。「ご利益」とは利益(りえき)です。何故キリスト者になるのか。とってもすばらしい利益があるのです。利益のないようなことを人にはすすめない。当然だと思います。ただ、明らかにここでパウロはこれまでの生き方を捨ててキリスト者になった。伝道者になった。大儲けした、日産の社長にも負けない。そんな事を言っているのではないのです。
私は、長く鎌倉の、鎌倉雪ノ下教会という教会の牧師をしました。そこの教会の長老をしておられて、後に鎌倉雪ノ下教会では主事という務めがあります。伝道主事という務め、教会主事という務め、いろいろな主事という名前の務めがありますけれども、伝道主事という務めをなさった方があります。鎌倉の近くに横須賀の海軍基地があって、アメリカの基地があって、そのアメリカの基地で働いていたことのある方です。戦争中、日本の陸軍の兵士として働きました。分隊長になった。一番小さな部隊の隊長をしたのです。
鎌倉雪ノ下教会は、新しい教会堂を建てました。小さな庭があります。その庭の植木の手入れを頼むというので、かつての自分の分隊の部下であった人を埼玉県から呼び寄せました。一日、その方は、その植木屋さんと一緒に教会堂の庭の手入れをしました。夕方行きましたら、ちょうどその手入れが終わって、植木屋さんが帰ったところでした。私とこういう話をしました。植木屋さんは今でも、もう戦争が終わって何十年も経っているのに、その長老のことを「分隊長」と呼ぶそうです。「分隊長殿!」と。当時は、まだ主事さんではなくて長老をしておられた。仕事をしながらこう聞かれたそうです。「分隊長殿は、この教会の長老だそうで。長老さんっていくら儲かるんですか?」と。それは、色々な宗教団体の中で長老と呼ばないまでも、何か偉いといわれる人仕事をしている人は相当の、そういう意味でのご利益があるからでしょう。その分隊長殿は、「いやとんでもない。キリスト教会には牧師というのがいて牧師は働いていくらかのもの教会からいただく。たいしたことではないけれども、牧師はでも収入はある。長老は収入なんかないが、他の教会員よりもたくさん献金しないといけない。そうしないと、他の信徒に献金してくれと頼むわけにいかない。そして仕事の合間にこうやって教会に来ては、ただ働きをしなきゃいかん。」その部下は、びっくりした顔をして、帰るときに「これがお礼だ」と言って渡そうとした。すると、「とんでもない。分隊長殿からお金なんかいただけない。私も奉仕をさせていただく。」と言って帰ったそうです。それではその長老さんは、キリスト者であり、長老である事で損ばっかりしているのか。とんでもない。パウロと同じように、私は、これまでの生活を捨てた。損だと思って捨てたんだ。とても大きな利益を得ている。どんな利益か。この利益は数えきれないものです。
先程、このピリピ人への手紙の中からの祝福の言葉を読みました。最初に、「喜びなさい、喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」とありました。おもしろい言葉です。このピリピ人への手紙は「喜びの手紙」という別称があります。喜びについて何度も語っています。「喜びなさい」という言葉はおもしろい言葉です。一種の命令です。誰だって「喜べ」というのは命令されて喜ぶものではありません。「おい、喜べ!これが俺の命令だ!」と、ピストルを突き付けて「喜べ」とやるようでは、これは困るのです。喜びというのは命令されなくても、パーッと内側から溢れてくるものです。もちろんその事をパウロは知っているのです。いつでも喜ぶ理由がたくさんあるのだから、いつも喜んでいよう。獄中にある喜びが、喜びに溢れている。「喜ぼう」というのです。この喜びが既に大きな利益です。人生喜びながら生きていかれるくらいこんな幸せなことはないでしょう。
さっきエレミヤ書を読みました。エレミヤ書をどうして読んだんだろう。エレミヤ書についての解説をここですることは出来ませんけれども、私はこのエレミヤ書の言葉が好きなのです。何よりも好きなのは(31章)二十六節です。「ここで私は目覚めて見渡した。私の眠りはここちよかった。」目をさまして、「あー気持ちよかった」と言えることくらい嬉しいことはないでしょう。「また今日生きなきゃなんない。本当は目覚めない方がよかった」などというのではね。たぶんこの人は夢を見ている。夢の中で神の言葉を聞いている。二十四節に「そこに住み」、「そこに住む」とあって、「わたしが疲れたたましいを潤し全てのしぼんだたましいを満たすからだ」。神が住処をつくってくださって、その住処にいると神様が与えてくださる潤いによって、心を潤う。この人は、眠っていてもそうなのです。目覚めて心地よかったのです。
ヨーロッパに、日本でもそうですけれども、子守唄が沢山あります。英語でも、ドイツ語でも、フランス語でもあります。例えば、ドイツの子守唄でとっても有名な一つに「ブラームスの子守唄」というものがあります。ブラームスという作曲家が作ったものです。これはおもしろいもので、ドイツから来た歌手がコンサートをしてくれる時に、すばらしい歌を歌ってくれるとアンコールをします。まぁ、女性の歌手がほとんどでしょうけれども、アンコールを歌って、幾つも歌っていく中でブラームスの子守唄を歌ってくれることがあります。とってもきれいな歌です。これは日本の方は、あんまり知らないかもしれませんけれども、もうアンコールを歌わないという、「さよなら」という、あるいは「家へ帰っておやすみなさい」と、言っているのです。
この「おやすみなさい」というブラームスのドイツ語の歌詞を読んでみますと、小さな子供を抱いて眠らせながら、「もし、神の御心で、お前が明日の朝、目覚めるならば」という言葉があります。おもしろい言葉です。目覚めないことがあると考えているのです。目覚めない時というのは、子供が眠りの中で死んでしまうということです。それは、子供だけではありません。時々、言われるのは、眠りというのは我々が一番死に対して防ぎようがない状態になる事なのです。目覚めている時には、ちょっとショックがあったり何かしますと、パッと気が付いて、すぐに救急車が来たりします。しかし、寝ている間にそれが起こったら分からないのです。私の父も眠っている間に脳溢血で死にました。「死」というものを、眠りを考える時に意識するのです。
このエレミヤ書の言葉は、いつもそういう死の危険にさらされている中で「ああ、今朝もまた命を与えられた」と考えている。もしかすると、その眠っている間に死が訪れても、この人は快く死の眠りに就くだろうと思います。それほど安らかな喜びが与えられるのです。
教会は、私どもが一生懸命に伝える救いの言葉を福音と呼んでいます。これは中国の人たちが作ったとても素敵な言葉です。もう教会の用語だけではない、多くの人たちが使うようになった言葉です。鎌倉で伝道するようになりましたもう何十年も前、よく覚えていますけれども、とるようになった新聞の束の中に、ぱさっとチラシが入っている。ある時、パッと見たら「福音」という言葉が大きく書いてあった。どっかのライバルの教会か、伝道集会の知らせかと思ってよく見たら、「奥様方への福音」と書いてある。近くの八百屋さんが、「何月何日に、大売出し」と書いてある。あっ、こんな風に福音という言葉も使われていると思いました。奥さん、家庭の主婦にとって嬉しい知らせということでしょう。我々はしかし、ただ野菜の大売出しどころではないのです。魂を深く喜ばせる喜びの知らせを常に知らせているのです。
その喜びの知らせの内容を、パウロはここでこういうふうに言いました。今の損得を語った言葉の八節の終わりから。
「それは、私にはキリストを得、また、キリストの中にあるものと認められ」
とあります。長く教会生活をしておられる方はもしかすると持っておられる、あるいはお読みになった事がおられるかも知れませんけれども、これまでにも色々な日本語の聖書の翻訳が出ました。太平洋戦争が終わってから間もなく、口語訳という聖書の新しい翻訳が出ました。それまでは、文語文だったのです。いささか難しい文語文だったのを日常用語である口語の文章に初めて訳されて、みんな大喜びしたものです。もう一年くらいの間にほとんどの教会で口語訳を読むようになりました。私の若い時のことです。その口語訳においては、今の九節の言葉が、「キリストの中に自分を見出す」と訳されております。これは私にとって忘れがたい、決定的な意味を持つようになりました。
少し自分のことをお話させていただきたいと思います。私は今年八十一歳になりました。この四月で。一九二九年に生まれ、一九四一年、まだ小学生であった時に太平洋戦争が始まりました。教会に行っていました。一時期、しかし小学校で日曜学校に行っている者は「非国民」と言われました。「非国民」という字は、もう今は若い人にはどんな漢字を書くのか分からないかも知れません。国民にあらずというのです。日本人じゃないと言われていたのです。授業中、担任に「今でも耶蘇の日曜学校に行っている者は立て」と言われました。私と、もう一人あわの君という今でも親しい友人と二人が立ちました。先生に「非国民である。今度の日曜日に行くな」と言われました。日曜日の朝になると、友達が教会堂に行く道に待ち構えていて、私たちをなじりました。私は怖くなって二年近く日曜学校に行くのを止しました。けれども小学生の終わり頃、教会の先生たちの訪問を受けまして、また日曜学校に通うようになって、太平洋戦争が始まった翌年、一九四七年十二月二十日のクリスマスの日に、洗礼を受けました。非国民と言われようが何だろうが、私にとって教会がとても大事なものとなりました。
当時、朝鮮は日本の植民地でありました。朝鮮の若者たちで、日本に来て勉強している人達で何人かが、私が居りました教会に来ておりました。当時は、朝鮮の人は朝鮮の名前を変えさせられて、日本人の名前を名乗らなければなりませんでした。例えば、キムさんというのがいると金田とか金本とかいうふうに名前を変えさせられた。私の居りました教会にも、金田君というのが居ましたけれども、しかし教会ではちゃんとキム君と呼びました。「キム」、「チェイ」、朝鮮の人達は朝鮮の人たちの名前があるのだと言って、朝鮮の名前で呼ぶ勇気と自由がありました。これは厳しい事でしたけれども。私は洗礼を受けた時にこう思ったのです。このピリピ人への手紙の同じ第三章の二十節に、「私たちの国籍は天にあります」という言葉があります。私はまだ十三歳でしたけれども、洗礼を受けた時に、「ああ、僕は半分日本人でなくなった」と。何故かというと、日本国籍だけでなくて天の国籍を得た。神さまのところに私の名前はちゃんと戸籍に入ったのだ。その意味では、お前は日本人ではないと言われることに恐れをいだかなくなったのです。正直言って、本当は怖かったけれど、同時に、しかし恐れと戦う自由を得たし、朝鮮の友人をキム君と呼ぶ自由を得ておりました。それまで多くの日本人は天皇こそ我々のお産み親である、父の父の父である。我々は天皇を中心とする家族のような国に生きているのだというところで、天皇のために死ぬことをも甘んじて受けるという教育を受けていました。ここが、おまえの場所だ。この日本という国が、おまえの居場所、死に場所、生き場所だ、そういう教育を受けていました。戦争が終わった時に、それはみんなでたらめだったと教えられました。天皇は神なんかではない。日本の学校が教えていたことは嘘ばっかりだった。今からでは想像もつかないような大きなひっくり返るような出来事でした。
さて、その中で、私はキリスト教会が勝った、などとも思わなかった。やはり日本人ですから、日本の国が負けたという事は本当に悲しんだし、そして日本人の仲間が故郷を失ってしまっているような状況の中で、どうしていいのか分からなくなって、「虚脱」という言葉が、「虚しい」という言葉が、しきりに語られるようになったところで、自分は一体どうしたらいいかということを改めて問うようになりました。戦後、最初の第一高等学校の入学生になりました。自分でこういう事をいうのはおかしいのですけれども、当時の一高と言われるのは、これは天下の秀才が集まる所と言われていました。そこへ入っちゃった。兄弟はからかいました。戦後のどさくさまぎれと言うけれども、お前はよくどさくさまぎれで一高なんかに入っちゃた。入った方も困ったのです。これからどうしたらいいのか。本当に苦しかった。それまで戦争が終わってから私は自分が何になったらいいのか。本当に考えました。ある時は作家になろうと思いました。芥川賞を獲ろうと思って小説を書いたこともあります。今から誰も信じてくれないですけれども、新劇に入ろうと思いました。新劇の芝居を見続けました。チェーホフの「桜の園」に恍惚としました。けれども、どうもそれも自分の柄ではない。特におまえは舞台度胸がなさすぎると新劇の専門家に一発やられて、もう本当に自信を失くしました。うろうろうろうろしているうちに、一高に入っちゃった。忘れもしません。
第一高等学校に入った翌年で、翌年のまだ寒い二月の日に私は学校に行くのを止したのです。毎日祈ることだけでした。どうしても将来を決めなきゃいけない、神様に決めていただかないといけない、と祈りを始めたのです。私の母はキリスト者です。私が何をしてるかということは問わない。学校に行かないのは何故かということも問わない。ただ、家に居ますから、お昼ごはんはちゃんと出してくれます。三度の食事は用意してくれる。で、あとは私は自分の部屋に入っています。聖書を読み、神の声を聞こうとし、祈りをしました。三日目に、三日目の午後、部屋を出ますと、冬の日差しがさしている広縁がありまして、ちょっと広い廊下があって、そこで母はミシンを踏んでました。私が食事の時でもないのに姿を現したのでこう言いました。「何やってたの今まで、まだ、ごはんじゃないよ」。「そりゃわかってるよ」。「何やってたの」。「祈ってた」。「何を祈っていたの」。「神様に将来を決めていただきたい」。「決まったか」。「決まった」。
母はズバリこう言いました。「牧師になるのね」と。私はびっくりしたのです。この子は芝居をやりたがったり、小説を書きたがったり、うろうろうろうろしている。それなのに、この子は牧師になるなんてことを母はどうして考えたんだろうか。「どうしてそんなことをいうのか」。と言いましたら、母は初めてこういうことを言いました。「お前は生まれて半年たった時にひどい病気になった。肺炎になった。死にそうになった」。当時、満州のハルピンの事です。お医者さんが来て、この子はもうだめだと言った。父も母もそんなこと言わないで入院させてくれ。医者が付き添ってハルピンにありました満鉄の病院に入れてくれたのです。行った時にまだ病室は用意されてなかったそうです。用意されていたのは、霊柩車だったそうです。死んでいる赤ん坊が連れてこられるということを考えていたようです。けれどもまだ生きているというので、病室に入れられて当時は、酸素吸入などということを小さな子供にすることは出来ませんでしたから、窓を目張りをしてしまってその中に酸素ボンベを開いて酸素室を急いで作って、他にやることはなかったようで、注射を繰り返すだけであったそうです。で、実はその時に母は祈っていたそうです。神様に祈りをしまして、「神様助けて下さい。もしこの子が死なないで済んだら、息を吹き返す事が出来たら」、それこそもう新しい生命が与えられるようになったらと思ったんでしょう。「私たちの子供とは思いません」と。「あなたに差し上げる」と言ったそうです。で、母はその祈りをしておりましたから、ずっと私をさっさと神様に捧げていた。ところが、私にその祈りの話をしなかったんです。だから、私はその母の祈りの話を聞いたとき感動しなかった。怒ったのです。「そんな話、何故今まで黙ってた。僕の一生を神様との間に取り決めておいて、黙ってるってのはおかしいじゃないか」。そして母はこう言いました。「お前は小さい時から、生意気で反抗的で、こんな話をお前にしてごらん。絶対牧師にはならなかっただろう。母のいう通りになんかなるもんかという子なのに」。で、母はこう言いました。「だいたいねぇ、これはお前には関係ない話だよ」。「関係ないもなんにもない。最も深い関係があるじゃないか」。「いや違う。お前には関係ない。これは私と神様とだけの話だ。もし、神様が私の祈りを聞いてて下さってるというならば、神様の方で、お前に声をかけて下さるので私がお前に言い聞かせて神様のみ心に従えというようなものではないのだ」と言うのです。で「お前に関係ない」と言ったのです。私とお前との関係の事ではないと言ったのです。なるほどと思いました。
ところで問題は、どこで私が神様の声を聞いたかということになります。神様の声は、何処からか聞こえてくる訳ではではありません。神様の言葉は聖書から立ち上がってくるのです。黙っていてずっと聖書を読み続けていた。三日目の朝にピリピ書に入った。ピリピ書を読み始めた朝から、この九節の言葉が響きました。「キリストの中に自分を見出し」お前の居場所はここだ。私がいるところはここだ。キリストの中だ。キリストの中に私が居る。キリストの中に自分を見つけた。
若い人が何故自分の将来を決めかねるかというと、役者になろうが、作家になろうが、それが自分らしいことではない、自分を生かすことにはならない、自分のやることは別にあると思う時に、うろうろうろうろするのです。そのことで、もう子供の時から人間は戦うといってもいいのです。しかも、いよいよその戦いを厳しくさせるのは、まわりの者がここはお前の居場所じゃないとあちこちから言うからです。学校の先生も、お前らしくないという様なことを言って、やりたいことを押さえつけます。友だちがいじめるっていうのも、「お前の居場所はここじゃない出て行け」というのがいじめです。ここに居ようかなと思っているとそこから追い出される。ここで、と思ってやっと居場所かと思うと、どうも落ち着かない。うろうろうろうろする。私は今の子供たちもそうだと思います。
ついでの話ですけれども、今は教会に子供たち来ないでしょう。来てもほんとにわずかだと思います。その時に我々の教会は、親が教会に感心を持たないとか、子供たちが教会に関心を持ってくれないから仕方がないなどと言います。けれども、そういう子供たちが居場所が見つからないでうろうろうろうろしているでしょう。いじめたり、いじめられたりしているでしょう。いじめている子供も自分の居場所が分からないからだと言ってもいい。どうして子供たちに、「ここにあなたの居場所がある」と教会はその居場所を作ってやることができないのか。学校に行くことが出来なくなっている子供たちがたくさんいるでしょう。その子供たちが、ここに来たら、「ああここに私が息が出来る所がある」となぜ言えるようにしてあげないのか。イエス・キリストのところに来たらいい。ここで君は君を見つける。あなたはあなたを見つける。
私はイエス・キリストの中に私を見出すことが出来た。パウロもそうだったのです。そしてその主イエス・キリストの為に生きることを覚えた。ですから、こういう事が時々起こりました。私にように伝道者になる、鴨下先生のように伝道者になるというと、教会の方よく言うでしょう。それを「献身する」という。「献身する」というのは、神様のため、イエス・キリストの為に全てを捨てて働く。偉いことだと言われる。マレーネ先生も献身してドイツからここに来て偉いもんだ。そりゃあ偉いことだと言えるかもしれません。けれども間違ってはならない事があると思います。
私は東京神学大学で勉強するより、東京大学を出てから東京神学大学に入りました。「東京大学を出て東神大に行って牧師になる。もったいない」と言う人がいます。何がもったいないのか。東京神学大学に入ることになった時に、当時行っておりました教会の方に言われました。「大変ね、加藤さん。いよいよ全てを捨てるのね」と。私は、キョトンとして返事が出来なかったことがありました。「全てを捨てる?」。「とんでもない。いよいよこれから僕の本領発揮なんだ。東京大学に行ったのは仮の姿だ。」と言ってのけたことがあります。本当にやりたい事はこれからなんだ。そこに自分が居るんですから。教会で働く、神様のために働く、キリストのために働く、それが私にとって一番私らしいことなんだから。私はその意味では自分を献身者と呼んだことがありません。もしも、神様のために働く、ということを献身と呼ぶならば、皆さん教会員、全部献身者でしょう。礼拝で司式をする方も献身してるでしょう。牧師とどこに違いがあるのですか。
鎌倉の教会で牧師をしていた時にマルクス・バルトというヨーロッパのたいへん優れた聖書学者が来られました。その先生を囲んで夕食会をしました。何十人か集まって、英語の出来る方でしたから英語の出来る教会員は英語で話しました。一人の女性が英語でこう言いました。「私は単なる主婦です。」特に、ご主人が大学の先生でしたけれども、アルツハイマーになられて、そのご主人の看病のために、本来仕事を持っていたのですけれども、その仕事も捨てて、単なる主婦に徹しなければならなかった。その想いを込めて「私は単なる主婦です」と言ったのです。そのバルト先生がずっと続いていた自己紹介の事をそこでパッと止めました。「もう一回言い直しなさいよ。単なるを取りなさい。あなたが妻である事と」、と言いながらバルト先生は隣の私を指しながら、「この加藤牧師が牧師である事とどこに違いがありますか。加藤先生は牧師だから偉いんですか。神様のために特別に役立っているのですか。あなたは家庭で、夫のためだけに生きていて、牧師のように神様のために働けないと言うのですか。その考えは捨ててもらいたい。この加藤先生が牧師であるのと、あなたが、家庭の主婦で、ただ夫のために働いているのと、どこに違いがありますか。もう一回言い直してくれ」と。この人はそれで本当に立ち直りました。喜んで夫のために働くようになりました。
パウロは一体それまでのどんな生活を捨てたのでしょうか。その事については、もう長い話をする時間もないのですけれども、ここで読んだところではっきりしている。パウロは別に悪い人間ではなかった。悪いところがあるとすれば、「キリスト者なんか死んでしまっていい」と言って敵意を抱いた事でしょう。殺意を抱いたことでしょう。けれどもなぜ、殺意を抱いたか。自分がとっても熱心なユダヤ教徒で、律法については誰にも負けない。正しい人間だったと言っている。神様を信じてたと言っている。神様を信じることによって神様の掟を守ることによって誰にも指一本さされない人間だった。これまで悪い事ばっかりやっていた。などと言っていないのです。
それが、今、キリスト者になった時にどこが変わったのか。パウロはこう言います。「キリストの中にあるものと認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信ずる信仰による義、すなわち信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことが出来るという望みがある」。
「義」という言葉は、「正しい」という意味、「正義」の「義」ですけれども、別の言葉で言うと「正しい関わり」ということです。何よりもここでは、神様との正しい関わりということです。そして、もう1つは、自分の仲間、一緒に生きていいる人間との関わりということです。だから、愛という言葉とぴったり重なると言ってもいいと思います。神と共に生きる。律法に一生懸命になっている人は、律法神様のおいいつけを一生懸命、正しく守って生きることによって、神と共に生きているという確信があった。それが律法という義です。けれども、イエス・キリストに出会った時に、イエス・キリストの中に自分を見出した時、ここでもう一つ気をつけないといけないのは、実は原文は、「イエス・キリストの中に自分を見出す」という言葉ではないのです。口語訳はある意味で誤訳です。誤訳のおかげで私は、恵みを得たと言ってもいいくらいです。原文はそうではなくて「キリストの中で見出される」というのです。神様に見つけられると。パウロは、まだサウロであった時、教会を迫害するために熱中していた時に、主イエス・キリストに見つかっちゃったんです。声をかけられちゃったんです。そうして、お前は私のために生きるんだと。迫害をおよしなさい。いつまで人殺しを続けるのか。よみがえりになった主イエスに捕まえられた、見つけられちゃったんです。パウロはその意味では律法に従って、これは当然のことだと思って、神様のためにキリスト教会を迫害していた時に、主イエスがルカによる福音書第十五章に語られたように、迷える一匹の羊になっていた。迷いだしていた。神のふところから失われた存在になっていたのです。神の名によって、人を殺すことは当然の事だと思うようになっていたのです。とんでもないことだったのです。そして、主イエスに、主イエスご自身に、教えられたのです。律法によって義なんか立つのかと。信仰によってしか、信仰によってしかと。そのことについては、今日の午後もう少し深く想いを深めたいと思います。
キリスト教会に初めてやってきた方、この教会堂に初めて来られた方も、入って来る前から気が付く。教会堂はどこにあるんだろうかと見回すと、この芥見キリスト教会はとても素敵な、他のまわりの家とは違った個性のある建物ですから、遠くから「あっ!あれだ」と。特に近くにあるのは田んぼだけですから、いよいよ目立つのです。けれども、もう一つ、ただ素敵な建物だな、というだけでなくて建物のてっぺんに十字架が立っている。後ろの山を背景にぐーっと十字架が際立って見える。ここに入って来ると正面の窓に十字架があり、その十字架から光が差している。「信仰による」というのは、この十字架を信じるということです。「十字架を信じる」ということは、自分が神の掟をきちんと守って神にかなう、神に負けない義をたてることではなくて、自分の為に死んで下さっている主イエス・キリストの正しさに生きるということです。パウロは、自分か正しいと思っていて、何の悪い事もしていないと思っていましたけれども、その自分の正しさの故に、教会の人たちを殺してしまう罪に気付きませんでした。人を殺すなどという最も恐ろしい罪を犯している事に気付きませんでした。
しかし、一つだけ言っておかなければいけない。パウロはこの言葉を「あの犬どもに」、「どうか犬に気を付けなさい」という言葉から始めました。この「犬」は、教会堂の外をうろうろしているのではないのです。中に入って来る「犬」としか呼びようのない、人間でなくなってしまっているような人たちがいる。この人達は誰かと言ったら、キリスト者になっても、むしろキリスト者になってからそっちの方に落ちたかもしれない、律法が大事だと思っている人たちのことです。教会の中にも、いつの間にか信仰による義ではなくて、行いによる義に心奪われる人たちが生まれてきているということです。本当に困った人間の性根、人間の根性、この人間の根性と言うのは、悪いことをすることによって立つだけではないのです。自分の正しさに固執する根性ってのはもっと困るのです。
私が、何十年も教会に生きて来て、一番苦しんできたことがあります。今でも解決できないでいることがあります。それは教会の中で間違いを犯した人の取り扱いです。牧師でセクハラで問題になる人があります。長老さんでも、教会の会計を預かっていて失敗をする人もあります。どうしたらいいか。主イエス・キリストは、はっきり言われました。罪を犯した人があったらその時はちゃんと赦してあげなきゃいけない。ちゃんと悔い改めに導いて赦してあげなきゃいけない。実際にそういう事がありました。ある牧師が罪を犯しました。とっても深い悔い改めをしました。私はその教会を訪ねました。長老たちに会いました。あなた方の先生は今は自分の罪を悔いている。今しばらく教会の群れから遠ざかっている。お願いだからあの先生が戻ってきたら、ちゃんと迎えて下さい。長老会は拒否しました。私たちを裏切った人の顔なんか二度と見たくない。ある教会の長老は過ちを犯しました。新聞に記事が載る程だったのです。私の家に来て、泣いて謝って、教会の処置を受けました。この方は自分の教会に戻りたかったのです。教会のところに戻りたい。どうしたらいいのか。私はその人に付き添って、その人の教会の礼拝に出ました。教会員の目の冷たかった事。私は一緒に座ってあげていた。その人は、礼拝の間中泣きつづけていました。けれどもついにその教会に戻ることは出来ませんでした。他の教会に行きました。教会が裁いたのです。パリサイ人になったのです。私は本当に辛い思いをいたしましたし、今でも辛い。キリストの中に自分を見出すということを忘れたのか。キリストがあなたの罪のために死んで赦しを与えて下さっている事を。改革者のルターは言いました。「教会は罪人の群れだ」と。罪を犯した自分の仲間の牧師に言いました。その牧師は、もう二度と教会に戻れない、と悩んでいた時に「罪人の共同体である私たちのところに早く戻って来い」と「今こそあなたはキリストの中に自分を見出す事が出来るはずだ」と。
どうぞ、この教会はいつもキリストの十字架を仰ぎ見ながら礼拝に来ているのですから、このキリストの愛の中にだけ、キリストの義の中にだけ、ご自分を見出していただきたい。教会そのものが立つ基盤があることを見出していただきないのです。そしてそのことのゆえに、いつも喜んでいただきたいのです。
新共同訳で、さきほど読みました言葉の中に、素敵な言葉があります。「あなた方の願いごとを神に知っていただきなさい。」と新改訳の第四章の六節にあります。新共同訳では「何事も神に打ち明けなさい」と訳されました。素敵な言葉です。ぜひ、神に何事も打ち明け、神に祈りを聞いていただき、神に全てを赦していただく喜び、解き放たれた想いに生き続けていただきたいのです。
祝福を祈ります。お祈りをいたします。
御子キリストの憐みの中に、私どもがそれぞれに自分の居るべき場所がそなえられていることに気付き、驚き、喜び、ふるさとに帰るようにここに集まって参りました。死ぬまでここに居ます。死を超えて主と共にあります。それが、あなたが私どもに与えてくださった恵みです。安らかな眠りをいつも与えて下さり感謝いたします。最後の眠りもまた、その安らかなものであることを、心から喜びます。主と共によみがえることが出来るからです。この教会がそのよみがえりりの望みに生き続けることが出来ますように。主イエス・キリストのみ名によって感謝し祈ります。アーメン。