・説教 ヨハネの福音書6章52-59節 「このパンを食べる者は永遠に生きる」
2014.9.21
鴨下 直樹
先日、祈祷会の時にある方から、ひとつの質問が出されました。「神様が働いておられる教会で、神様に期待することは間違ったことなのか」というのが、その質問の趣旨でした。よくよく話を聞いていると、神様に期待をするというのは、教会の中で誰かに期待をするという意味のようでした。
今、ずっとヨハネの福音書を読み続けております。今日の箇所は、ガリラヤ湖の向こう岸に主イエスが到着されて、それを追いかけて来た群集、ユダヤ人たちとの主イエスとの対話といいましょうか、議論と言ったほうがいいでしょうか、その最後のところです。ここで、群集と描かれてきたユダヤ人たちと主イエスはどこで対話をしていたのかと言いますと、最後の59節で、「これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。」と書かれていて、この議論が安息日に、当時シナゴーグと呼ばれたユダヤ人たちの会堂でなされた議論だったということが分かります。今で言えば教会です。このシナゴーグで人々は、主イエスと対話をいたします。ずっと話していることですけれども、主イエスに期待をしたのです。そして、今日のところで、この対話が終わります。その結果は、来週になるのですが、先に少し話しますと、主イエスの答えはこの会堂に来ていたユダヤ人たちには、納得のいかないもの、気に入らないものでした。
私たちは、実にさまざまな期待を持って教会に集います。神様であればそれは可能なこと、自分としては無理難題を押し付けている気はないのですけれども、その期待通りにならないということがあります。そういうことは、私たちをひどく落胆させます。
特に、その祈祷会で何を期待するのかということで話題にあがったのは、 (続きを読む…)