2019 年 12 月 15 日

・説教 創世記13章1-18節「神からの約束」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 15:00

2019.12.15

鴨下 直樹

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 アブラハムの生涯から、み言葉を聞き続けております。今日で三回目になります。この前の12章は、言ってみればアブラハムの弱さが描き出されていました。ところが、今日の箇所では、前回のアブラハムの姿は影を潜めます。自分が生きながらえるために、妻を妹と言ってエジプトのファラオに差し出した執着ともいえる姿はもうないのです。

 エジプトから戻ったアブラムはここでさらに多くの富を得たことが記されています。そのことだけでも、私たちは心のどこかにひっかかる思いがあります。妻を取り戻したときに、アブラムがザアカイのようにエジプトの王から与えられた財産を放棄するような姿であれば、多少は失敗を挽回できる気がするのですが、そうでもないのです。しかも、この時に得た富、財産で、今度は親戚である甥のロトと争いが生じてしまったということが書かれているのです。

 もちろん、ここを読むと、アブラムはまずベテルでまた礼拝をささげたということが書かれていまして、アブラムの信仰者らしい姿を見ることができます。けれども、この13章は明らかに、この時のアブラムとロトとのトラブルに焦点を合わせています。

 一難去ってまた一難。そんな人の生きざまがここにはとてもリアルに描き出されています。ようやく神の約束の地であるカナンに戻ってきたのですが、そこは静かで落ち着いた老後の生活が待っているというようなことではないのです。

 礼拝をしていたら、神さまを中心にした生活をしていたら、なんでもことがうまくいく。私たちはついそんなことを想像してしまうのですが、実際にはそんなことはありません。神様を礼拝する生活をしていても、トラブルは起こります。私たちは罪の世界の中に身を置いて生きているのです。相手がクリスチャンではないから、トラブルが起こるというわけでもありません。
 私たちの歩みも、このアブラムの歩みも、深く重なり合う部分があるような気がします。そういう意味で、アブラハムの生涯というのは、多くの信仰者たちの心を惹きつけて来たのかもしれません。

 私たちの人生にも何度ともなく、トラブルが生じます。多くの場合は、自分の力でなんとかしているのだと思いますが、時には自分の力ではどうにもできないようなトラブルを抱えてしまう場合もあります。

 ここでアブラムに起こったトラブルは、アブラムが持っている財産をめぐるトラブルでした。6節には「所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである」と書かれています。

 持っているものが少なすぎて、貧しすぎて奪い合いになるというのではないのです。持っているものがありすぎてもまたトラブルになるとここには書かれています。お金持ちになったことがないから、そんなことはよく分からないという方も、私を含めて多いと思いますが、実際にそういうことが起こるわけです。この場合、「天幕を所有していた」と5節にありますから、アブラムとロトたちの生活が遊牧民のような生活であったことが分かります。羊や牛を飼う生活です。家畜に餌をやるためには、次々に緑を求めて移動し続けていかなくてはならないのです。当然、水の問題も出てきます。そんな中で、アブラムの牧者たちとロトの牧者たちとが争いをはじめてしまったのです。きっとはじめのうちは話し合いで解決してきたのでしょうけれども、状況は改善されません。そうすると、やはり別々に生活をするということを選び取らなくてはなりません。 (続きを読む…)

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