2013 年 3 月 31 日

サンドペインティングによるイースター・ストーリー(復活主日礼拝)

Filed under: イベント — susumu @ 19:29

芥見キリスト教会のイースター礼拝で、ドイツから来日したコニー・クレメンツ氏らによる「サンドペインティング」(サンドアート)の奉仕が行われました。

ガラス板の上に薄くまいた砂に手で描き、それを光で投影する手法です。

ピアノとフルートの生演奏が流れる中、エジプトで奴隷として強制労働させられていたイスラエルの民がエジプトを脱出する夜、神の怒りを免れるしるしとして使われた子羊の血、人々の罪のあがないとして、神殿で繰り返し神に捧げられてきた傷のない子羊。 そしてそれらの子羊に代わるため世につかわされた御子の誕生、十字架、復活のシーンが、聖書の言葉とともに次々に描き出されました。

今日の礼拝に集った私たちは、旧約聖書の世界から現在に至るまで、聖書を通して流れるストーリーのつながりに引き込まれ、深い余韻に包まれました。

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今月の礼拝予定(2013年4月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 09:00

4月7日 復活節第2主日

主日主題: 新生
聖書: Iペテロ2:2
説教:「みことばの乳を慕い求め」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:各部定例会

4月14日 復活節第3主日

主日主題: 主の慈しみ
聖書: 詩篇33篇
説教:「主の慈しみに満ちる世界」 鴨下直樹牧師

午後:役員会

4月21日 復活節第4主日

主日主題: 全地よ喜べ
聖書: 未定
説教: アラナス師、るつ子師

午後:アラナス師夫妻との交わり昼食会、礼拝準備会

4月28日 復活節第5主日

主日主題: 主に向かって歌え
聖書: 詩篇98篇
説教: 「主に向かって歌え」 鴨下直樹牧師

午後:女性会、教団役員研修会(於:可児教会)

2013 年 3 月 24 日

・説教 詩篇22篇 「わが神わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 18:29

2012.3.24

鴨下 直樹

今日から教会の暦で受難週を迎えます。主イエスが十字架に架けられた週。エルサレムに主がお入りになられて、十字架につけられ殺されてしまわれる週を迎えました。そして、私たちはともに、この主イエスが十字架の上で叫ばれたことば「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」というあのマタイの福音書第二十七章四十六節のもとになった詩篇第二十二篇のみことばに耳を傾けています。

以前も礼拝で紹介しましたが、岩手県の気仙地方で医者をしておられる山浦玄嗣(はるつぐ)さんが、気仙地方の言葉で聖書を翻訳しました。ケセン語訳聖書と言われるものです。今はすべてが津波に流されてしまいまして、津波から残って出て来た水をかぶってしまった本も全て完売して手にいれることが出来なくなっています。けれども、文春新書で『イエスの言葉』という小さな本が出ました。これはこの山浦さんのケセン語のエッセンスをご自身の言葉で解説していますから、とても面白く、このケセン語訳の聖書の雰囲気を少し味わうことができるようになっています。

この本の最後にちょうど今日の聖書の言葉が紹介されています。山浦さんが訳したケセン語ではこうなります。 (続きを読む…)

2013 年 3 月 17 日

・説教 ヨハネの福音書11章32ー44節 「嘆きと賛美」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 18:24

本日はヘルガータイス師が東北で行なわれている活動報告と礼拝説教をして下さいました。

2013 年 3 月 10 日

・説教 詩篇31篇 「我が霊を御手にゆだねます」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:14

2013.3.10

鴨下 直樹

この詩篇は実に豊かな内容も持つ詩篇です。特に有名な箇所は、説教題にもしました五節の「私のたましいを御手にゆだねます。」という言葉です。これは、主イエスが十字架の上で最後に語られた言葉として知られる言葉です。ダビデの祈りとされるこの言葉を、主イエスの生涯の最後にお語りになられたということからしても、この言葉の持つ意味の重要さがおわかりいただけるのではないかと思います。死の直前に口にする主イエスの言葉が、この詩篇だったのです。今朝はこの実に豊かな内容を持つ詩篇から主のみことばを聴きたいと思います。

明日で、東北で起こった大震災から二年がたちます。連日、テレビでもそのような報道がなされています。教会の暦がレント、受難節を迎えていることもあって、私たちはどうしても、この季節に様々な問いを持ちます。その大きな問いの一つは「神よどうして」という問いなのではないかと思うのです。 (続きを読む…)

2013 年 3 月 8 日

小学生のためのクラブ「サタデー☆ジョイ」が始まります。

Filed under: お知らせ,イベント — susumu @ 12:32

サタデージョイでは、世界のベストセラー『聖書』を、色んな楽しいことをしながら、 まなんでいくよ!
目、はな、口、耳、手、足、全部使ってね! (あと、あたまもちょこっとね!)
聖書は神さまからの手紙。生きていくための、愛と、希望と、勇気がつまっているよ! Lets Go!

  • 2013年3月16日から新スタート!!
  • 毎週土曜日 朝10時~11時半
  • 場所: 芥見キリスト教会 (岐阜市芥見南山1-8-8)

サタデー☆ジョイ

2013 年 3 月 3 日

・説教 詩篇25篇 「主よ私の魂はあなたを仰いでいます」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:33

2013.3.3

鴨下 直樹

先日の祈り会でこんな質問がでました。詩篇の祈りというのはかなり正直に祈っていて、こんなことまで祈っていいのかというような祈り、例えば、自分は正しいのだとか、敵を滅ぼしてくださいというような祈りは、祈りとしてどうなのでしょうかと、尋ねられました。これは、詩篇を読む人であれば誰もが一度は心に浮かんでくる問いなのではないかと思います。詩篇の中にある祈りというのはどうも教科書のお手本のようにできるような祈りばかりではないのです。かなり率直に祈っています。こんな祈りをしたら神様はお怒りになられるのではないかと思えるものも少なくないのです。
これは詩篇に限った事ではありませんけれども、聖書は人間の心の片隅に浮かぶような思いも、あるいは、本当は隠しておいたほうがよい罪もそのまま記されています。この聖書にはありのままの人間の姿が描き出されています。ですから、祈りにおいても、いや、祈りにおいてこそ、人間の心の内面がよく表されるということが言えると思います。

この詩篇の二十五篇には表題に「ダビデによる」とありますから、ダビデの手によるものと考えられています。このダビデの祈りとして、冒頭に「私が恥を見ないようにしてください」という祈りが、二節と二十節に出てきます。ダビデだけではありません。人は誰でもそうですが、恥をかかされるということが好きではありません。人前で非難されるとか、辱められたという経験を一度すると、なかなか赦すこともできなくなってしまいます。ですから、人前に出る時にはできるかぎりきちっとした服装をして、身なりを整えて出かけます。この恥というのは、周りの人々の中で面目を保つという意味があります。しかし、この詩篇はこのように始まります。

主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。

一節と二節です。主を見上げて主に信頼している人が望んでいるのは、自分が恥をかかないことだというわけです。最初の質問に立ちかえるなら、この祈りもまたずいぶん身勝手な祈りということになるかもしれません。
神様を信頼していると言いながら、すぐに自分の面目を保って下さいと祈っているのです。神を信頼しているのか、自分のことをまず第一に考えているのかというような祈り始めです。けれども、この祈りにはそう祈るだけの理由があるようです。 (続きを読む…)

2013 年 2 月 25 日

【予告:3月31日(日)】サンドペインティングによるイースター・ストーリー ~神の子羊イエス~

Filed under: お知らせ,イベント — susumu @ 12:55

ガラス板の上に薄くまいた砂に手で描き、それを光で投影する
「サンドペインティング」(サンドアート)で、聖書のストーリーを鮮やかに描きます。

ドイツから来日する、コニー・クレメンツ氏によるサンドペインティングと、
フルート&ピアノによる音楽の、幻想的なコラボレーション。

日時: 2013年3月31日(日)午前10:30~12:00
復活(イースター)主日礼拝において
場所: 芥見キリスト教会 (岐阜市芥見南山1-8-8)

 

コニー・クレメンツ氏のサンドペインティング(YouTubeより)

 

イースター礼拝のご案内

サンドペインティングによるイースター礼拝のご案内

今月の礼拝予定(2013年3月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 12:07

3月3日 受難節第3主日

主日主題: 裁き
聖書: 詩篇25篇
説教:「主よ私の魂はあなたを仰いでいます」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:各部定例会、聖歌隊練習

3月10日 受難節第4主日

主日主題: 神の霊
聖書: 詩篇31篇
説教:「私の霊を御手にゆだねます。」 鴨下直樹牧師

午後:役員会(13:30~)

3月17日 受難節第5主日

主日主題: 平和
聖書: 未定
説教: ヘルガ・タイス師

午後:礼拝準備会

3月24日 受難節第6主日

主日主題: 犠牲
聖書: 詩篇22篇
説教: 「わが神我が神どうして私をお見捨てになったのですか」 鴨下直樹牧師

午後:女性会、教団3月総会

3月29日 受難日礼拝 19:30~

聖書:
説教: 鴨下直樹牧師

3月31日 復活主日(イースター)礼拝

主日主題: 神の子羊
聖書: 詩篇32篇
説教: 「幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪を覆われた人は」 鴨下直樹牧師
フルート、ピアノによる音楽とサンドペインティング(砂絵)による
イースター・ストーリー
 上演: コニー・クレメンツ ほか

午後:持寄り食事によるイースター祝会

2013 年 2 月 24 日

・説教 詩篇51篇 「清き心をつくり給え」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 10:30

2013.2.24

鴨下 直樹

 ときどきこんな想像をしてみることがあります。神様は天で人々の祈りの言葉をどのように聞いておられるのだろうかと。私たちの祈りのほとんどは、神への願い求めだろうと想像します。あるいは嘆きの訴えも多いことでしょう。神はいつも天で人々の祈りに耳を傾けながら、その祈りのほとんどは、「こうしてほしいのだ!」という激しい訴えを聞いておられるのではないかと思うのです。

 けれども少し視点を変えて考えてみたいと思うのですが、もし私たちがそういう言葉ばかりを聞き続けていたらどうなるのでしょうか。家族が「こうしてほしい!」と訴え、職場で同じ訴えが繰り返され、教会でも同じ言葉が繰り返される。「ああしてほしいのだ、こうして欲しかったのだ!」と、もし私たちがそのような言葉を聞き続けているならば、当然のことですが、気がめいってしまうに違いないのです。

 神は天で人々の祈りを聴きながら、それそこ毎日膨大な人々の祈りの姿をとった訴えの言葉を聞きながら、このお方はそれをどうなさるのだろうか。そんなことをふと、考えるのです。

 

 キェルケゴールというデンマークの思想家の書いた「神への思い」という小さな祈りの本があります。この本にはキェルケゴールの祈りが納められているのです。私が神学生の時に、祈りについてあれこれと思い悩んでいた時にこの本と出合いまして、私は衝撃をうけました。キェルケゴールという人は神学の学びをした人でしたけれども、牧師にはならずに、著作活動をした人です。常に、神を意識し続けてきた思想家です。心の繊細な人のようですけれども、この本の祈りの中でびっくりするような祈りばかりが書かれていました。例えばこんな祈りがあります。

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