2014 年 9 月 14 日

・説教 ヨハネの福音書6章41-51節 「天から下って来た生けるパン」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:37

2014.9.14

鴨下 直樹

さて、この朝も、パンの話が続きます。ガリラヤ湖の対岸に行ってからというもの、それまで、群集と呼ばれていた主イエスを追いかけて来た人々との長い対話が続いています。そして、お気づきになった方があるかどうか分かりませんが、それまで「群集」と書かれていた、主イエスを追いかけてきてパンを求めて来た人々は、ここで「ユダヤ人」と突然書き方が変わっています。「ユダヤ人」と書くことによって、ここでの長い主イエスとの対話が、だんだんと敵対関係になっていく様子が描かれています。

そのきっかけとなった言葉は今日の最初の41節の「わたしは天から下って来たパンである。」という主イエスの言葉から始まります。ここから、群集たち、ユダヤ人との会話の雲行きが怪しくなってくるのです。それまでは、言ってみれば主イエスのファンクラブでもあったかのように、人々は、なぜ我々を置いて行ってしまったのだとは言うものの、主イエスに対する期待に満ちておりました。興奮していたのです。けれども、この長い会話の中で、主イエスはご自分が「いのちのパン」だとおっしゃいました。そして、わたしを信じるということが、本当のいのちを得ること、生活を救うことになるのだと語られたのです。そして、主イエスの話は、今日のところで、さらに展開して、「わたしは天から下って来たパンです」と言われます。

ずっと話を聞いてきている私たちからすれば、どこから雲行きがあやしくなったのかさっぱり分かりません。主イエスは最初からずっと同じことを言っておられるように感じるからです。けれども、よくよく注意して聞いてみると、 (続きを読む…)

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