2023 年 1 月 22 日

・説教 ヨハネの福音書4章3-15節「いのちの水?」

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2023.1.22

鴨下愛

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 今読んでもらった聖書の箇所から「いのちの水?」という題でお話しします。

 「いのちの水」について、嬉しいお知らせです、いのちの水、今は なんとインターネットで買えるんですって! ほら!(日本某所の実在の水汲み場とオンラインショップの画像を見せる)

 この水は 命の水ですから普通のミネラルウォーターとは違います! すごい水なんです! 普通のペットボトルの水より5倍のお値段は 当然です。

 ただちゃんと注意書きがあります。(小さい字で書いてあります。)
⑴飲んでいれば、病気が治る……事もありますが、もちろん個人差があります。
⑵体調の悪い時はこの水だけで、なく、肉や野菜も十分にとってください。
⑶身体が生まれ変わるように元気になるためには 、飲み続ける必要があります! 
ただし、数に限りがございますから、お早めにお申し込みください。

 どうします? 買う? お友達が教えてくれて、良いらしいけど……今回はやめておくわ~。ほかのお値打ちなお水も試してみてからにしようかな~。 なんて声が聞こえてきそうです。水がどこでも飲める、買える日本ならでは……ですね。

 「いのちの水はいらんかね?」とイエス様が言われても ピンと来ないかもしれませんね。日本名水百選のひとつくらいにしか思えないのだとしたら、とても残念です。

 確かにお水は生きていくのに必要です。お水を飲まないとどうなりますか? 喉が渇きますね。喉が渇くって嫌な感じですね。

 喉からひりひりして、体中が干からびていくようで、美味しいハンバーガーを差し出されたって、「けっこうです! 水、水、水をちょうだい」と、もう水のことしか考えられなくなります。

 それだけじゃなくて、水を飲まず渇いたままでいると、私たちの体は「脱水症」になって本当に死んでしまいます。あつい夏と同じくらい、冬にもたくさんの人が「脱水症」で亡くなっているって知ってますか。

 冬は空気は乾いているし、あまり喉が渇いている感じがしないので、うっかり水を飲まずにいて、「脱水症」になってしまうんですね。

 それと同じように私たちの心も、カラカラに渇いてしまうことがあると聖書は教えています。心の渇きは冬の間の脱水症と同じで、渇いていることに気がつかないのが困った問題です。

 でも、イエス様はそんな私たちに、「あなたは渇いていますよ」と教えるために、そっと近づいて来てくださいました。それが今日のお話です。 (続きを読む…)

2023 年 1 月 15 日

・説教 ルカの福音書2章22-40節「主よ、今こそ」

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2023.1.15

鴨下直樹

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 今日、私たちは、この与えられたみ言葉の中に、とても美しい一人の年老いた信仰者の姿を見ることが出来ます。キリスト者であれば誰もが、こんな老人になりたいと思える人です。名前をシメオンと言います。新約聖書の外典によれば、シメオンはこの時112歳であったと記されています。

 実際に112歳だったかまでは分かりませんが、かなりの年齢であったようです。シメオンは自分の人生の終わりの時に至るまで望みに生きた人でした。

 25節で、このシメオンのことをこう記しています。

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。

 シメオンはイスラエルが慰められることを望み続けていたことがここに記されています。この「イスラエルが慰められること」というのはどういうことでしょうか? 預言者イザヤは何度もこの「イスラエルの慰め」について語りました。イザヤが語る「慰め」というのは、バビロン捕囚が終わりを迎えることです。国を追われたイスラエルの人々が、本来いるべき地に戻ってくることができるようになることです。

 このシメオンが生きた時代には、すでにバビロン捕囚は終わっていました。けれども、シメオンはまだこの慰めが与えられていないと感じていたのです。シメオンはその時代にあってどんな宗教家たちにも増して、望みに生きることを知っていた人でした。この時代を代表する宗教家を、新約聖書では3種類の人々で描いています。まず、パリサイ派や律法学者と呼ばれる人たちがいました。この人たちは信仰を職業化させていった人たちです。外面的に良く見えるような生き方に心を砕いた人たちです。こうなると信仰は無味乾燥なものとなってしまいます。

 その次にサドカイ派と呼ばれる人たちがいました。これは信仰を世俗化させていった宗教となりました。信仰を人々が受け入れやすくしました。そう聞くと良さそうに聞こえますが、自分たちに都合のいいように変えたということです。神様の心ではなくて、自分たちにとって便利なことを優先させていったのです。

 もう一つゼロテ党とかゼロタイ派と呼ばれる人たちがいます。この人たちは打倒ローマを打ち立てて民族としてのイスラエルの再興を声高く主張しました。民族主義的信仰と言えます。

 律法学者のような職業化した信仰、サドカイ派にみられる世俗化した宗教、ゼロテ党の民族主義的宗教とさまざまな人々がいたのですが、神様はこのような宗教家たちではなく、シメオンをお選びになっておられました。シメオンは、26節によれば「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。」のでした。

 このシメオンは、神の民が慰められることを求めていました。神の思いがそこにあることを知っていて、神のみ心を望み続けて生きたのです。ここに、信仰者としての美しい姿が示されています。

 シメオンは、神殿を訪れた赤ちゃんの主イエスを見てすぐに分かったようです。どうしてかは分かりません。不思議としか言えません。主イエスの両親が生まれて8日目の割礼を授け、ささげ物をするために神殿にやって来ました。この時赤ちゃんの主イエスを見て、シメオンはこのお方こそ救い主、キリストであることが分かったのです。 (続きを読む…)

2023 年 1 月 8 日

・説教 イザヤ書58章8節「しんがりの神」

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2023.1.8

田中啓介

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2023 年 1 月 1 日

・説教 創世記16章13節「その名はエル・ロイ」

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2023.1.1 元旦礼拝

鴨下直樹

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2023年間聖句カード

2023年間聖句カード


2023年ローズンゲンの年間聖句

彼女は自分に語りかけた主の名を「あなたはエル・ロイ(私を見てくださる神)」と呼んだ。

 今年、私たちに与えられている年間聖句は、主の名を「エル・ロイ」と呼んだというみ言葉です。「エル・ロイ」というのは、「見ておられる神」、「顧みられる神」という意味です。
 
 これは、アブラムとサライのもとにいた女奴隷ハガルが、女主人のいじめから逃亡した時に起こった出来事です。アブラムとサライは神様の約束を頂いていましたが、この時にはまだ子どもができませんでした。それで、サライは自分の女奴隷ハガルをアブラムに与えます。すると、ハガルは子を宿したのです。ハガルは自分の主人サライに子どもがいませんでしたが、自分に子どもができると、主人であるサライを軽く見るようになります。それで、そのことに腹を立てたサライが、ハガルをいじめたというのです。

 この物語は、私たちに衝撃を与えます。神がお選びになられたサライは完全な人ではありませんでした。自分を軽く見るハガルに腹を立てる、私たち普通の人と同じです。そして、アブラムも、このサライに「あなたの好きなようにすればよいではないか」と言うのです。

 今であればこの時のアブラムとサライのしたことは「自分の子どもを身ごもっているハガルに対してあまりにも冷たすぎる」とすぐにネットニュースにでも流れそうな対応です。

 アブラムもサライも、子どもが与えられることを心底願っていたはずです。それなのに、ハガルの態度は、そんな二人の心を忘れさせるほどのものだったということでもあります。

 ここで、ハガルが悪いのか、サライが悪いのか、それともアブラムが悪いのか。そんな議論をすることも間違っているように思われます。

 そこで、私たちが関心を抱くのは、聖書はこのドロドロした状況に神がどんな解決を与えようとするのかということです。

 聖書は、決して美辞麗句を並べた綺麗事を記しているのではありません。ここには、私たちの生活のリアルが記されているのです。

 ハガルは、主人の元を逃げ出します。100キロ以上離れたところまで逃げるのですから、どれほど追撃を恐れていたかが分かります。ハガルにとって、この状況から逃げ出すというのは、一つの選択肢でした。おそらく、自分が生き延びるには、その選択肢しか残されていないほどに、サライのいじめは過酷なものだったのかもしれません。

 さて、主なる神はさっそく行動を起こされます。この物語には、「主の使い」が現れます。クリスマスの物語に何度も登場した、御使いです。その御使いは、ハガルを見つけて尋ねます。

「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」

 「あなたはどこから来て、どこへ行くのか?」 御使いは、ハガルに自分の存在そのものについてお尋ねになりました。あなたは何者で、何をしようとしているのかという問いです。所属と、自分の行動の動機をお尋ねになられたのです。
 ハガルは応えます。8節です。

「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」

 ハガル自身、自分がサライに所属する女奴隷であることをよく理解しています。そして、自分はそこから逃げていることも分かっているのです。

「あなたはどこから来て、どこへ行くのか?」

 この問いかけは、私たち自身人生の節目節目で自分自身に問いかける必要がある問いなのではないでしょうか?私たちが、道を見失いそうになる時、私たちをあるべき道に立ち戻らせる問いです。 (続きを読む…)

2022 年 12 月 24 日

・説教 ルカの福音書2章1-7節「居場所のない救い主」

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2022.12.24 聖夜燭火礼拝

鴨下直樹

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宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 ここには衝撃的な言葉が記されています。

 イスラエルの人々は、長い間、メシアとかキリストと呼ばれる救い主が生まれるとの約束の言葉を、600年以上の長い間待ち続けてきました。その救い主がいよいよお生まれになった。これがクリスマスの出来事です。

 この12月24日に生まれたという、神の御子主イエス・キリストはイスラエルの人々の長い期待と忍耐の末に、ついにこの世界に来られました。この聖書の中には、神の預言の成就が記されています。

 ところがです。神の約束の実現は、私たちに衝撃を与えます。

 聖書は「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と書かれているのです。神の救いの計画は、落ち度なく完璧であったはずです。神ご自身が、人間の姿をとってこの世界においでになられるのです。このルカの福音書の前の所には、主イエスの誕生の前に、ヨハネの誕生を備えておられたことが書かれていました。神は、ゼカリヤとエリサベツという年老いた祭司の夫婦を備えられたのです。そして、神の御子を宿すことになったマリアと夫のヨセフもまた、ダビデ王の末裔でした。この長い時間をかけた神の計画に、落ち度があったとは思えません。

 この主イエスがお生まれになられたのは、今から2022年前、ローマの皇帝アウグストがイスラエルを支配している時代でした。この皇帝は、自分の支配している全世界の住民に住民登録を強要します。臨月に入っていたマリアまでもが故郷に戻らなければならないほどの強制力のある命令です。臨月の女性に、100キロを超える旅をさせるなど、今では考えられないことです。「妻はお腹が大きくて来られませんでした」と言えばいいだけの気がするのですが、それができなかったのです。

 しかも長い旅の末、ベツレヘムに到着したのに宿屋もないのです。この宿屋問題にしても、このルカの福音書には実際には宿屋の話は少しも書かれていません。そもそも、自分の故郷に戻るのですから、親戚がいたはずなのです。住民登録に行くのですから、親類縁者も、郷里を離れていた一族や親族たちがベツレヘムを訪ねて来ることが分かっていたはずです。ダビデ王の家系なのです。大事にされなかったはずはないと思われるのですが、結果は臨月の妻が出産するにあたって「その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた」とあるのですから、誰もこのお腹が大きくなっていた若い夫婦を迎え入れなかったということなのでしょう。 (続きを読む…)

2022 年 12 月 18 日

・説教 ルカの福音書1章57-80節「伝統を乗り越える神の御業」

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2022.12.18

鴨下直樹

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 四年に一度のサッカーワールドカップが間もなく終わります。決勝戦はフランスとアルゼンチンです。今朝の三位決定戦もなかなか白熱した試合だったようですがクロアチアが勝ったようです。明日の決勝も今からとても楽しみにしています。アルゼンチンにはメッシという世界最高と言われている凄い選手がいます。フランスにはエムバペという、メッシを超えるのではないかと期待されている選手も出て来ています。メッシは年齢的に今年が優勝できる最後のチャンスで、このワールドカップで代表を引退すると言われています。さて、どちらの国が勝つのか、本当に今から楽しみです。

 今回の大会は、日本は強豪国に勝ったこともあって、本当に楽しい時となりました。いわゆるサッカー大国と言われるドイツやスペインに勝ったのですから、これはもう歴史的な出来事でした。これまで日本はドイツにもスペインにも一度も勝ったことがなかったのです。

 たとえばドイツには「ゲーゲンプレス」という伝統的な戦術があります。ボールを取られたらすぐ取り返すというやり方です。こういう戦術もあって日本はドイツやスペイン相手にほとんどボールを持つことができませんでした。ほとんどの時間ボールを持たれてしまっていたわけです。それなのに日本が勝ったわけですから、これまでのサッカーの価値観を大きく変えるような衝撃を世界に与えることになりました。

 今、私は「それまでの価値観」と言いましたけれども、これを私たちは「伝統」という言い方をします。サッカーの場合、ボールを持った方が有利であるという考え方が以前からあったわけです。こういった伝統的な考え方というのは、サッカーだけではなく、様々な場面に出てくるとても大切なもので、そこには歴史性や民族性というような特徴が表れています。この伝統が重んじられるのは、やはりその習慣が意味を持っていて、とても大切なことなので、次の世代にもこの伝統といわれるものを受け継がせていきます。

 今日の聖書の中にも、一つの伝統的な習慣が出てきます。それは、生まれて来る子どもに、親や親類の名前にちなんだ名前をつけるという伝統です。これは、とても大切な事でした。たとえば、イスラエルは家族に割り当てられた土地を代々受け継いでいきます。そうすると、ある地域にはその家族でいつもきまった名前の所有者がいるわけで、つける名前を固定することで、その父がどこの誰でどこの土地の所有者かが分かったのです。そうすると、子どもの代に替わったとしても、親類や家族の中で同じ名前が付けられていますから、すぐにこの土地はどの一族の土地であるというようなことが分かりました。これは、イスラエルの民にとっては非常に重要な伝統だったのです。そして、それはザカリヤのような祭司でも同様でした。

 今みたいに、みんなが自由に名前をつけてよいということになると、この時代であればとても大変なことになったわけです。

 さて、ここで母エリサベツは、生まれたばかりの子どもの名前を「ヨハネ」にすると言います。お祝いに駆け付けた人たちは、あなたの親類にそんな名前はないと言います。そして、今度はザカリヤに尋ねます。すると、話すことのできなかったザカリヤまでもが、書き板に「ヨハネ」と書いたので「人々は驚いた」と記されています。

 なぜ、人々は驚いたのでしょう。ここを読むと、ザカリヤは話せなかっただけでなく、耳も聞こえなくなっていたことが記されています。それで、この夫婦はどうやって会話をしたのだろう。そのことに驚いたのだと考える人もあるようですが、問題はそこではありません。それこそ、書き板に書くことだってできるわけです。ここでの驚きは、「ヨハネ」と名付けることに、二人が確信を抱いていることに対する驚きです。このヨハネという名前をつけることの背後に、何かがあったのだのだということを、人々は悟ったのです。 (続きを読む…)

2022 年 12 月 11 日

・説教 ルカの福音書2章11-14節「クリスマスの心」田中啓介師

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2022.12.11

田中啓介

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2022 年 12 月 4 日

・説教 ルカの福音書1章26-38節「恵みの告知」

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2022.12.04

鴨下直樹

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 今日の聖書箇所は、クリスマスの物語の中でも大変有名なところです。キリスト教美術の中でも、この箇所の場面を描いたものが最も多く、「受胎告知」と呼ばれています。御使いガブリエルが、一人の少女のところを訪ねて、「あなたから主イエス・キリストが生まれる」という告知をしたのです。

 このマリアにはいいなづけがいました。いいなづけはヨセフといいます。ですが、このルカの福音書にはヨセフのことは出てきません。あくまでも、マリアのことを描こうとしているのです。

 この時代、婚約をしている相手に、妊娠が発覚してしまいますと、婚約者が訴えれば石打ちの刑にされてしまいます。物語だけを読んでいますと、これはとても美しい出来事です。ですから、描かれている絵画も、美しく描かれているものが多いのですが、実際、このことが明らかになれば、マリアは夫となるヨセフに殺されてしまうという危機にあったのです。

 そのマリアの背景を、神はよくご存じだったはずです。そんなマリアに御使いガブリエルは神の恵みの告知をします。まず、28節にこう記されています。

御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

 
 最初から御使いは神の恵みを語ります。神の恵みの使いとなってガブリエルはマリアに「おめでとう」と告げました。

 みなさんは「おめでとう!」という言葉を誰かに言う時、そこにどんな意図を込められますか?

 「退院おめでとう」「合格おめでとう」「誕生日おめでとう」「ご結婚おめでとう」いろんな場面で私たちはおめでとうという言葉を使います。この「おめでとう」というのは、何か嬉しいことがあった時に使う言葉です。そして、その多くの場合、その人が願っていることが実現してよかったですねという思いが、その言葉の中にはあるのだと思います。

 この言葉を言われたマリアは、この「おめでとう」という言葉に思い当たることが何もありませんでした。だから、困惑しました。
 29節にこう記されています。 (続きを読む…)

2022 年 11 月 27 日

・説教 ルカの福音書1章5-25節「良い知らせを伝えるために」

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2022.11.27

鴨下直樹

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 今日こうしてまた皆さんと共に、礼拝をささげることができることを嬉しく思っています。先週、私は入院していたこともあって病室からオンラインで礼拝に参加しました。私にとって、オンライン礼拝に参加するというのははじめての経験でした。確かに、画面越しに説教を聞くことができますし、礼拝の様子を見ることができます。便利になったものだと思います。

 ただ、同時にやはり物足りなさを感じるのも事実です。何よりも、教会の皆さんと顔を合わせることができない、みなさんと語り合うことができないというのは、オンライン礼拝の最大の欠点です。特に、私は入院中個室にいたということもありますけれども、ほとんどこの9日間誰とも会話をすることができませんでした。もちろん、手術の後というのは喉を傷めていますので、飲み込むときにかなりの痛みがあります。ですから、積極的に会話ができる状態でもありませんでしたので、教会にいたとしてもお話しできたか分かりません。

 今もオンラインで礼拝をされておられる方が一定数います。日本中の教会でも3割ほどの人が礼拝に来なくなったという報告もあるようです。オンライン礼拝というのは、便利ですが、どうしても人との交わりという部分、あるいは教会の愛の姿を奪うものとなってしまう要因になっていることは、大きな課題と言えます。

 私自身、この入院している間、それこそ誰とも交わりをすることができませんでしたから、この9日間、強制的に沈黙の時間を得ることになりました。この期間、私は何をして過ごしていたかと言いますと、病室でテレビをみたり、インターネットをしたり、本を読んだりして過ごしていました。入院というのはそういうものなのかもしれません。ただ、今から思うと、もっと違う時間の過ごし方があったのではないかと思っています。とても、怠惰な時間を過ごしました。
 
 そんな中で、今日のみ言葉を心に留めていました。ここに記されているのは、バプテスマのヨハネ誕生の秘話と言うべき内容が記されています。どうやって、ルカがこの物語を知ったのか、そのこともとても興味があります。

 ルカは、順序だてて書いていく中で、洗礼者ヨハネの誕生の出来事の背後に、大きな神の働きがあったことを知って、そのことをこのように記録しました。それはヨハネの両親の上に働かれた神の御業を記すことです。

 バプテスマのヨハネの両親は、ザカリヤとエリサベツと言います。ザカリヤは祭司をしていてアビヤの組に属しています。これはダビデが王様だった時に祭司を24の組に分けて、一年に二回それぞれの組で担当者になった祭司が一週間神殿の祭儀の奉仕をする当番になるようになっていました。このアビヤの組だけでも当時700人の祭司がいたそうです。その中で一年に2度しかチャンスが回って来ないのです。一度に何人が当番になったか分かりませんが、その担当者を決めるためにくじ引きをして神殿での奉仕に担当者に割り振られます。神殿の奉仕担当になった人は大変名誉なことだったようで、一度くじに当たると、次からはくじのリストから除外されていたようです。ですから、祭司としてのどれほどこの働きが名誉なことだったかが分かると思います。

 そんな、まさに祭司冥利に尽きると言ってもいいような奉仕をしていた時に、ザカリヤに主の御使いガブリエルがあらわれたというのです。この時、ザカリヤに語られた御使いのメッセージは13節から17節に記されています。

 最初の知らせはこうです。13節をお読みします。

恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。

 この時天使がザカリヤに伝えた知らせは驚くような内容でした。ザカリヤとエリサベツには子どもは無かったようです。そんな中で、二人は子どもが与えられるように祈ってきたのでしょう。この祈りは若い時にしたのかもしれません。その時の祈りが、もう諦めていたのかもしれませんが、その願いを主は聞き入れてくださったというのです。しかも、その子どもは「主の御前に大いなる者となる」と15節で語られて、続く16節と17節では「イスラエルの子らの多くを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼はエリヤの霊と力で、主に先立って歩みます。父たちの心を子どもたちに向けさせ、不従順な者たちを義人の思いに立ち返らせて、主のために、整えられた民を用意します。」と記しています。 (続きを読む…)

2022 年 11 月 20 日

・説教  「はこぶねの中で」鴨下愛

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2022.11.20

鴨下愛

 夜眠る時、目をつぶろうとする時、どうしたって怖くなって、不安になってお母さんを呼んだことはありませんか?私は小さい頃、夜になると、ここはベッドの上なのに、まるで小さなボートの上、暗くて重い霧の中、深い深い水の上を浮かんでるみたい。急に怖くなって、不安になって、泣き出してしまったことがありました。この世界はあまりにも広くて、知らないこといっぱい! 私の未来は、どうなるんだろうと怖くなってしまう、みなさんもそんな夜はありませんか。

 今日は子ども祝福式の礼拝です。神様の祝福があなたと一緒に、いつもかわりなく、今も未来にもありますようにとお祈りするのです。
 神様の祝福とは、いろんな意味がありますが、今日は一つ、「安心していられる」ってことを、ノアのはこぶねのお話から「はこぶねの中で」という題で、みなさんにお話ししたいと思います。

 まず上を見てみましょう。木材がきれいに組まれて、窓がほとんどなくて、ここはまるで大きな船の中のようではないですか? では船の中に私たちも乗っているって、ちょっと想像して聞いていてね。

 この絵の子どもたちは、うす暗い船の中で、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんのそばにピッタリすわって、じっとしていました。子どもたちはこの大きな船のことをはこぶねと呼んでいました。船の中はいくつもの小さな部屋に仕切られていています。どの部屋からも、動物たちの鳴き声が絶え間なく聞こえてきます。立ち込める動物の匂い。もう40日も雨が降り続けています。その間ずっと波の上を漂い続けていました。

 時々ノア爺さんが、小さな窓を開けて外をうかがいました。けれどそのたびにすぐに窓を閉めなければなりません。大粒の雨が吹き込んできてしまいます。
 「まだ、やまないのね」お母さんたちがため息をつきました。
 「だいじょうぶだ。心配いらないよ」ノア爺さんがなだめるように言いました。
 「でもノア爺さん、いつ、この雨はやむの?いつになったらこんな生活からぬけだせるの?いつになったらこの苦労はむくわれるの?」
 みんなが不安になるのも、仕方がありません。大海になってしまった世界で、ポツンと一隻この箱舟は、行く目的地がないようにさまよっているのですから。
 
 なぜこんなたいへんなことになっているのでしょうか?

 それはこういうわけだったんです。

 神様は世界を造られ、アダム、エバと名付けた、人を作られました。でも人の心に罪が生まれました。人間も動物も世界中に増え広がるといっしょに、神様を悲しませる罪も増え広がっていきました。

 罪とは、差し出された神様の手を振り払うことです。愛されて造られたものが、つくり主に「あんたに造られた覚えはない」ということです。神がいては自分の好きにできないと思って、神などいないことにして生きるのです。しかし神様がいないので自分のことは自分でなんとかしなければなりません。人は心から安心することができなくなりました。安心できないので、戦います、傷つけます、奪います。いつのまにか世界に強い人と、弱い人が分けられました。あたりまえにお金持ちと、貧しいひとが分けられました。それが罪の増え広がった世界です。

 そんな中で、ノアだけ違っていました。

 もうお爺さんですが、いつも安心しています。なぜかというと神様を知っていたからです。知っているだけじゃなくて、小さい子どもが、お父さんお母さんにやっていいことか悪いことか聞くみたいに、神様に心を向けていました。お父さんお母さんが私をちゃんと見守っていることを確かめるみたいに、手をつないでもらって安心して歩いていけるみたいに、ノアは神様を信頼していました。

 ある日神様はご自分の子どもに話すように、ノアに言われました。
 「ノアよ、わたしはこれから大雨を降らせる。すると大洪水が起こるだろう。この世界の罪を、洗い清めたいのだ。しかし私はあなたと家族を救う。今からあなたは箱舟を作りなさい。大きさも、作り方も、乗せるものも全部私が言った通りにしなさい」 (続きを読む…)

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