・説教 「主イエスの語る幸いな生き方」 マタイの福音書 5章1節-12節
鴨下直樹
今週からマタイの福音書の第五章に入ります。この第五章から七章の終りまでを一般的に「山上の説教」と言います。聖書の中の最も有名な箇所と言うことができます。私の書斎にも様々な書物がありますが、ここの箇所の書物は群を抜いて多いのです。それだけ、多くの牧師たちも語ることに心を傾けてきたということもできるでしょうし、多くの人々がこの「山上の説教」と呼ばれる聖書の言葉に関心を払っていると言ってもいいかもしれません。
この第五章から七章の終りに至るまでの長い箇所が「山上の説教」と呼ばれているのには、この1節に「この群衆を見て、イエスは山に登り」と記されているからです。少し、前回の所に戻る必要がありかもしれません。主イエスは、漁師をしていたペテロ、アンデレ、ヤコブとヨハネたちを弟子に加えられ、ガリラヤ地方で宣教を始められます。
すると、様々な困難や状況に置かれている人々が主イエスの前に連れられて来たのです。主イエスはこれらの人々を癒された。そうすると、そこで何が起こるかと言いいますと、人々は自分の問題を解決してくださる方にようやく出会うことができたから、このお方について行こうとしたのです。そして、その人々が主イエスと弟子たちに従ってついてくるようになった。この間の説教でもお話しましたけれども、主イエスはこのような従い方を拒んではおりません。むしろそのような人々も招くように、ここで主イエスに従って山の上までついて来た人々にお語りになられたのです。 (続きを読む…)
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