・説教 「地の塩、世の光」 マタイの福音書5章13-16節
鴨下直樹
今年も早いもので、もうゴールデンウィークが終わりました。今朝礼拝に来られたみなさんの顔を見ていますと、少しリフレッシュすることができたのかなと思っています。しかし、休みが終わって、また同じような一週間が始まるというのは、時として少し重たい気持ちになります。けれども、この朝、礼拝に集ってもう一度御言葉を聴いて、新しい思いで出かけていこうと思っておられる方も多いのではないかとおもいます。
今、礼拝でもマタイの福音書を読み進めておりまして、先日のところで山上の説教の一つの区切りを迎えたと考えることができます。山上の説教の冒頭にある、主イエスが語られた、幸いを告げる言葉の部分が終わったのです。この山上の説教の冒頭で、主イエスは八つ、もしくは九つの幸いをお語りになりました。そして、その幸いの祝福の最初と最後の言葉は「天の御国はその人のものだからです」とお語りになりました。ここで語られているように、主イエスは「天の御国」に人々を招くために宣教を開始されました。ですから、「悔い改めなさい、天の御国は近づいたから」という言葉を、主イエスは宣教の始めに宣言なさったのです。「天の御国」、「神の国」への招きこそが、福音そのものです。
しかし、「天の御国」、あるいは「天国」という言葉を耳にする時に私たちはすぐに、あちらの世界に生きること、と考えてしまいます。「天国」というのは、まるで死後の世界のような響きがあるからです。けれども、主イエスが語られる「天の御国」、「神の国」というのは、すでに何度も語っていますけれども、そのようなあちら側の世界の事ではありません。 (続きを読む…)
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