・説教 詩篇1篇「幸せな歩み」
2016.09.04
鴨下 直樹
今日から詩篇のみ言葉をともに聞きたいと思っています。改めて、自分の書斎の本を手にしながら、詩篇に関する本を一番沢山持っていることに気が付きました。詩篇というのは、じつにさまざまな作者がいます。言ってみれば、讃美歌集であるとか、祈祷集です。ですから、一人の人が全部一気に書いたというのではなくて、長い歩みの中でどこかで覚えられたり、聞いたりしてきたものをこうして一つに誰かがまとめたのです。
その多くは祈りと賛美です。ですから、これは神が人間に語りかけられた言葉というのではなくて、あるいは、教会のために書き記したのでもなくて、完全な個人の信仰が歌われているということができます。それぞれの生活の中から、悩みの中から、苦しみの中から生まれてきた、祈りと神への深い信仰とを言い表した言葉が、ここにはあります。ですから、人は詩篇の言葉に共感したり、あるいは、その独特の信仰の表現に驚いたりしながら、この詩篇に愛着を感じる人が沢山いるのではないかと思います。
そして、おそらくこの詩篇1篇は、そのすべてをまとめた人が、冒頭にこの詩篇を書き記しました。この150篇からなる詩篇の冒頭にふさわしい、いってみればそのすべての前書きとして、あるいは序文として、この詩篇を記したのです。
この詩篇は「幸いなことよ」という言葉からはじまっています。この言葉はヘブル語で「アシュレ」という言葉ですが、幸いの度合いだとかを表している言葉ではなくて、祝福の宣言の言葉なのだそうです。つまり、ここで言っている幸いというのは、神が祝福してくださるという事実の宣言なのです。そして、この神の祝福の宣言は、主の教え、これは、もともとはヘブル語で「トーラー」と言って普段は「律法」と訳されている言葉ですが、この主の律法をいつも口ずさんでいる者に与えられると宣言しています。
神の律法、神の戒め、それはそのまま聖書と言い換えてもいいと思いますが、聖書の言葉をいつも口にしている人は祝福される。それが、詩篇全体を通して語っていることだと言おうとしているのです。 (続きを読む…)