・説教 「インマヌエル・主が共におられる」 マタイの福音書1章18節-25節
第2アドヴェント主日説教
鴨下直樹
先ほど、私たちは共に洗礼と転入会をなさった方々の証を聞きました。いつも、このような証を聞く時に私が思うことは、神がこの一人一人と共にいてくださるということを覚えることです。
主イエスを信じる。自らの救い主として受け入れる。このお方をキリストと信じる。それは、インマヌエルであられる、主が共にいてくださってはじめて可能となるのです。
今日は、いつもよりも短い時間ですけれども、共に御言葉に耳を傾けていきたいと思います。先週からマタイの福音書を通して主の御言葉を聞いております。この福音書にはこの書き出しのところに、先ほども言いましたけれども「インマヌエル」という言葉が語られます。そして、この福音書の最後に、もう一度「インマヌエル」という言葉で締めくくられています。「神は私たちとともにおられるという意味である」と、新改訳聖書にはカッコ書きで記されています。新改訳はこれは後代になって説明として補われた言葉であって、もともとの本文にはなかった言葉ということでこれをカッコ書きにしているようです。
この朝、みなさんと共に考えたいと思っているのは、この「インマヌエル」、「共にいてくださる神」を私たちはどこで見出すことができるかということです。 (続きを読む…)
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