2012 年 6 月 3 日

・説教 マタイの福音書24章1-14節 「最後まで耐え忍ぶ者」

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2012.6.3

鴨下 直樹

 

 先週、七つの悲しみについて書かれた主イエスの言葉を聞きました。山上の説教で語られた八つの幸いに対応するように語られた言葉です。もう二年も前になりますから思い起こして頂かなければならないかもしれませんけれども、山上の説教で語られた幸いの言葉は、心の貧しい者は幸いです、悲しむ者は幸いです、と語られていました。決して幸せとは思えないようなことが、神がその生活を支配してくださるならば、悲しみも幸いとなるのだと語られていました。しかし、ここで語られている、忌まわしいものだ、わざわいだと語られている言葉は、この世界では当たり前に行なわれている、人にどうしたら自分を良く見せることができるかということです。けれども、神がその生活を見てくださっていないならば、そういう生き方はこの世界では通用したとしても悲しいことなのだ、と語られています。

 普通幸せではないと思えるところで主は幸せなのだといい、この世界で幸せだといわれるところで、それは悲しいことなのだと語る。ここに、主の心があることを私たちはいつも忘れないでいたいと思います。

 

 そして、その言葉が語られたところで、主イエスの嘆きの言葉はさらに続きます。 (続きを読む…)

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