・説教 ヨハネの福音書9章1-34節 「大人の信仰」
2015.02.01
鴨下 直樹
今日の説教題を大人の信仰としました。どういう意味だろうと思われた方があるかもしれません。教会の前を自分で通り、掲示板に掲げられている説教題を見ながら、これを見た町の人はどんなことを考えながらこれを読むのだろうかなどと考えました。
「大人」と言う時の一つの明らかな意味は「自立した」という意味です。自分で自分のしたことの責任がとれるということです。先週礼拝のあとで、Mさんから今イスラム国で拘束されている後藤健二さんのために祈り続けてきました。あれから一週間たちました。今朝、私たちは先ほどの祈りにもありましたけれども、悲しい知らせを聞くことになりました。後藤さんは、ご自分で初めに映像で、自己責任で行くのだと話しておられました。そのために、テレビやインターネットでも初めの頃は自己責任だというようなことがずいぶん言われていました。けれども今回の出来事は自分で考えられる限度を超えております。私たちはそういうなかで、自己責任、大人として行動するということの意味を突き付けられる一週間であったということができると思います。
まさに、今日の聖書の中でも、「大人」という言葉が出てまいります。盲人が主イエスによって目が開かれるようにされました。大勢の人々はこの目の見えない人を街中で見ていたはずです。心を痛めていたはずです。中にはこの人に施しをした人があったかもしれません。しかし、この人が癒されると人々は癒されたことを喜ぶのではなくて、誰が癒したのかという議論になってしまいます。そして、ついには両親まで無理やり引きずり出されて、どうして見えるようになったのかと問いかけられるのです。そして、いわば苦し紛れに言った言葉が23節の言葉です。 (続きを読む…)