・説教 ヨハネの福音書11章45-57節 「イエスは何故殺されたのか?」
2014.5.3
鴨下 直樹
今日、私たちはヨハネの福音書11章の最後の部分を、私たちに与えられたみ言葉として聞こうとしています。このヨハネの福音書11章にはラザロの復活の出来事が記されています。そして、ここで、ラザロの復活の出来事の結果、主イエスが殺害されることになったと記されています。
月間予定表には、「イエスの殺害計画」と今日の説教箇所を書きました。看板にもそのように張り出されています。しかし、説教題を変えまして「イエスは何故殺されたのか?」と改めました。確かに、ここに書かれていることは、イエスの殺害計画についてですが、説教題としてはあまり良い題とはいえません。「イエスは何故殺されたのか?」としても十分ではないかもしれませんけれども、少なくても、イエスがなぜ殺されたのか、その理由であれば知りたいと思う方があるのではないかと考えるからです。
今日、私たちに与えられている箇所を読みまして、はじめに私が印象として心にとまったのは、ここに書かれているのは、主イエスを殺した人々の側の出来事についてです。そうすると、どうして、そんな内向きの話が、ここでこうやって記録されているのだろうかという疑問がわきます。こういう、ドロドロした話は、できるだけ隠しておこうとするものです。人に知られてはいけない話です。本来、人殺しの計画話などというものは、そこにいた身内の人間が裏切りでもしないかぎり、外に漏れることはないはずです。ということは、こういった内容が、聖書に記録されているということは、最初は主イエス殺害に加わって、この時の内密の話し合いを聞いていた誰かが、やがてキリスト者になって、その時の事情を話したと考える以外に、考えにくいことです。
45節以下にこう記されています。 (続きを読む…)