・説教 エペソ人への手紙 2章11-22節「平和の架け橋」
2016.05.29
鴨下 直樹
2016年、5月27日金曜日、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れて、歴史的な演説を行いました。原爆のために10万人以上という被害者を出してから、この訪問が実現するのに71年という年月を要しました。「謝罪はしない」ということが、すでに以前からいわれていましたが、この演説は、将来に目を向けた演説となり、人類が乗り越えるべき課題を明らかにしました。この演説の中でオバマ大統領は広島に落とされた原爆によって、一度始まったこの殺戮の連鎖は数年間の後に、六千万人という人々が死ぬこととなったと言いました。私などは改めて被害の大きさを知りました。
演説の結びの言葉はこうでした。「広島と長崎の将来は、核兵器の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした、未来をわれわれは選び取る」。自分たちが犯した過ちに気づいて、このようなことを再び起こさない未来への架け橋となるように。それは、まさに、平和への呼びかけです。
人と人とが争いあう時、国家と国家とが争いあうときに、その間には隔ての壁があります。そして、敵意が生じてしまいます。相手を理解できないとして、壁を築き上げ、敵意を膨らまし、人の心はどんどんと頑なになっていくのです。金曜の夜、ニュースを見ながら、広島の人たちがにこやかな笑顔を見せているのがとても印象的でした。原爆の被害者たちも、一様に、これで一区切りついたのだと口々に語っていました。このアメリカの大統領の勇気と愛のある訪問によって、71年間にわたって築き上げられてきた見えない壁が、崩れ落ちたのだということを、誰もが感じたのだと思います。
この出来事は、今も敵対しつづけ、戦い続けている世界に示された一つの平和のしるしとなりました。そして、今日、私たちはこの教会で、このエペソ人への手紙のみ言葉を聞いているのです。
14~15節。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
当時、生まれたばかりの教会で、異邦人たちの教会に敵意が生まれていました。それは、ユダヤ人と異邦人たちとの間に生まれた敵意です。エペソをはじめとするこの地域に生まれた小アジアの教会に、多くの異邦人たちが住んでいました。その多くはローマ人と呼ばれる人たちだったと考えられます。当時の世界はローマの支配する世界です。ローマの市民権こそが、誰もが求めるもので、ローマ人であるということが、この時代の人々の誇りでした。ローマの市民権を持つ人々には様々な特権が与えられていたのです。この時代のユダヤ人は実際ローマに支配された小国の民にすぎませんでした。ところが、生まれたばかりの教会にいくと、立場が逆転します。ユダヤ人こそが神の民で、ローマ人は異邦人。そもそも、神のみ救いにあずかれる身分ではなかった。実際に、エルサレムの神殿に行きますと、ユダヤ人の庭と、異邦人の庭とか壁によって仕切られていて、「この壁を超えた者は殺される」という警告文が張り出されていたといいます。教会にキリスト者が増えて行くにつれ、ユダヤ人たちの態度はますます尊大なものとなり、異邦人たちは委縮していくという現象がおこります。気付いてみると、キリストによって救われたという喜びよりも、我が物顔で振舞おうとするユダヤ人たちに対する嫌悪が、教会の中で日増しに大きくなっていったのです。
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