・説教 マルコの福音書4章35節―41節「なぜ私だけ苦しむのか」
2018.01.14
鴨下 直樹
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今日の説教題はひと月も前に自分でつけたものです。まだ、聖書を丁寧に読んだわけでもないのに、説教題をつけるというのは時々無理があると感じているのですが、どうしてこういう題をその時付けたのだろうかと考えさせられています。
自分のことを話して恐縮なのですが、この一週間は私にとって心苦しい一週間を過ごしました。大きな岩が私の頭の上にのしかかっていて取れそうもないのです。水曜日の祈祷会のまえにSさんが、「仕事に行く時に気が重くなる時がある」と話してくださいました。「とても気持ちが重たくなって眠れなくなったとしても、私たちはお祈りすることができるので、そういう時はお祈りして、神様に委ねて出かけるようにしています。」その言葉を私自身に言われている言葉のように聞きながら、そういう時いつも祈る祈りの言葉を呟きます。
「マイゴット、マイオール」「わが神、わが全てよ」。アッシジの修道士フランチェスコの祈りです。まるで念仏を唱えるかのように、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返します。「わが神、わが全てよ。わが神、わが全てよ。私の神、主よ、あなたは私の全てです。私のすべてのあなたのものですから、あなたに委ねます。」心からそう祈ることができるようになるまで、何度も、何度も祈ります。
「なぜ、私だけが苦しむのか」。私たちはこのように叫びたくなる思いを持つことがあります。何故こんなことが起こるのか。主はこのことをおゆるしになっている。残念ながら、私たちは毎日平和で、安全が保障されているところで生きることができるわけではありません。
今日の聖書の箇所はまさに、そのような弟子たちの叫びが記されています。 (続きを読む…)